第46話 梅見月その2

これ以上眩しくなられると、夫としては色々と心配が絶えなくなるので、ほどほどでお願いしたいところではあるのだが。


いまだって、山尾医院の受付に自分の妻がナース服を着て座っていること自体、あまり楽しくは無いのに。


あれがナース服ではなくて、事務服だったらもう少し心穏やかでいられただろう。


「うちでも、お義父さんたちの話を良く聞きますよ」


「え、そうなのかい?愛ちゃん、何て言ってる?口煩いって嫌がってないかな?」


「嫌がってませんよ。実家が近くて便利だって喜んでましたよ」


これは本当で、嘘じゃない。


家事のちょっとしたことや、料理の質問を身近に出来る人がいることが心強いと愛果は言っていた。


実家に戻って暮らしてから随分経つし、新生活でまだまだ戸惑うことも多いだろうから、朝長としても、義理の両親との距離感はこのまま保って行きたいところだ。


瑞々しいしっとりとした味わいの日本酒は、風味も良くて飲みやすい。


きりりとした濃厚な味なら、愛果にはお勧めできないが、これなら食事を一緒に楽しめるかもしれない。


夫婦で日本酒を飲んだことはなかったな、と思い出す。


学生の頃の食欲が嘘のように少食になった彼女は、酒量も控えめで絶対に羽目を外さない。


「やっぱり一人娘だから、どうしても手元に置いておきたくてねぇ・・・いくつか取引先からも見合い話を持ち掛けられたりもしたんだけど、どれも乗り気になれなかったんだよ・・・」


「うちは転勤と言ってもせいぜい隣の県ですしね」


西園寺不動産は、地域特化型企業なので、他地方に大きく手を広げていない。


取引先から要望があれば、地方案件に加わることもあるが滅多にない。


「うん。だから、社内でいい相手を探してやろうと思った。あの子の状況も含めて理解を示してくれるような、優しい夫が見つかればな、と思ってたんだよ」


「・・・・・・俺は眼鏡に適いましたか?」


「理想以上の義理の息子だった。あ、もちろん、仕事についても評価してるよ?けど、それ以上に朝長の人柄に惹かれたよ。僕の部下の誰一人、きみを悪く言う男がいなかった。社内折衝が出来ない人間に、営業なんて出来ないからねぇ。これは間違いないと思っていたけれど・・・あんなに愛ちゃんが幸せそうに笑ってくれるなんて」


目頭を押さえて本当に良かったよと零す長谷の、柔らかい表情に任された責任で背筋が伸びた。


向けられる期待も責任も覚悟の上で、彼女を捕まえたわけだが。


これはより一層彼女を大切にしないといけない。


「俺の前でもよく笑いますよ、最近は、とくに・・・」


緊張が解けて、鎧がはがれた彼女が向けてくれる心根が透けて見えるような笑顔は、見ているだけで癒されるし、満たされる。


満たされて満足した途端、またすぐに満たされたくなって彼女を追いかけてしまうのだから、この追いかけっこは多分一生続くのだろう。


最初に彼女に惹かれた自分の負けは、確定している。


こんな幸せな負け戦もないのだけれど。


義理の父親の前で口に出すのは憚られたらが、すぐにでも家に帰って彼女に触れたくなった。


最近は素直に身を預けてくれるから尚更手放しがたいのだ。


愛果は絶対に嫌だと拒むだろうが、朝長としては、自分たちの結婚を大々的に伝える為だけに同窓会を開きたいくらいなのである。


あの長谷愛果を朝長がつかまえたと分かったら、みんなどんな顔をするだろう。


あの頃は、校内一のお似合いのカップルだったけれど、今の方がもっとお似合いだと言わせる自信がある。


いや、むしろ自信しかない。


「・・・・・・それはなんだかちょっと妬けるねぇ・・・この間まで、あの子が一番先に笑いかけるのは、パパかママだったのに」


「・・・すみません・・・お義父さんでもそこはもう譲れませんね」


名実ともに彼女は朝長の妻で、苗字だってもう長谷ではないのだから。


「・・・・・・ねえ、きみたち本当は高校の時に付き合ってたんでしょう?」


もう時効だから白状しなさいよと水を向けられて、朝長が苦笑いを浮かべた。


「ほんとに付き合ってませんよ。愛果も憎からず思ってくれてたみたいですけど、俺のほうがずっと好きだったんで・・・この結婚が、未だにちょっと信じられないです」


「・・・へえ・・・そうなの・・・僕に気を遣ってるとかじゃなくて?」


「絶対に違います。というか、あの頃付き合えてたら、今まで続いていたか分からないですし」


「まあ、高校生の恋愛と社会人の恋愛は違うからねぇ・・・・・・まあ、どっちにしても、うちの娘が選んだのか、きみで本当に良かったよ」


これからもうちの愛ちゃんよろしくね、とグラスを持ち上げた長谷に、同じようにグラスを持ち上げて、朝長が穏やかに微笑んだ。


いや、むしろもう、うちの愛果なんですが、と心の中で言い返しながら。

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