第20話 花残月
お見合いの返事から、二人で食事をしたのが1回。
早めに帰宅できた夜に電話をしたのが1回。
今では、一日に数回はメッセージのやり取りをしている。
再会してからそう時間が経っていないとはいえ、お見合いなのだからまあこんなものだろう。
愛果の反応はどれも決して悪くは無かった。
思い出話に花を咲かせることもあれば、最近好きなものについての情報交換をして、お互いの今について教えあう時間は、久しぶりに朝長に潤いを与えてくれていた。
楽しかったのは自分だけだったのだろうか。
まるっきり朝長のことはノーカウントな前提婚約者を詰りたい気持ちでいっぱいになる。
愛果の言葉に白衣の男が柔らかい返事を返した。
「そんなことないでしょ。メッセージの着信が光ってたから、俺も忘れ物に気づけたんだよ?良かったね」
人好きのする笑みは、患者を安心させること間違いなしだが、愛果の前ではあまり使って貰いたくない。
「・・・ありがとうございます」
受け取ったスマホをぎゅっと握りしめた愛果が小さく頷く。
その反応は、自分を思い出してくれたと思ってよいのだろうか。
悩みながら見守り続ける視線の先で、敷地の奥から別の私服姿の女性が駆け出して来た。
「せんぱーい!スマホ、鳴ってましたよー!」
手にしたスマホを大きく揺らしながら近づいてきた彼女に向かって、白衣の男が血相を変える。
「あ、ごめん、恵!・・・・・・あはは、俺もスマホ家に忘れてたよ・・・長谷さんのこと言えないな」
「いえそんな・・・・・・こんにちは」
愛果に気づいた恵が、やや緊張した面持ちで軽く頭を下げた。
どうやら二人は知り合いらしい。
たしかに、恵と呼ばれた女性はどこかで見たことがある顔のような気もするが、よく思い出せない。
これといった特徴のない女性は、取引先の事務員に似ているような気もする。
恵の挨拶を受けて、愛果がいつもより硬い声で答えた。
「こんにちは、涼川さん」
どこか張りつめた愛果の声と、彼女が纏う雰囲気に、嫌な予感が頭を過った。
ばつが悪そうに後ろ頭を掻きながら、恵と呼ばれた女性が差し出したスマホを受け取った彼が、愛果に向かって気を付けてね、と微笑んだ。
「山尾先生、追いかけて来てくれてありがとうございました。お疲れ様です」
丁寧に頭を下げた愛果に軽く手を振って、山尾が隣に並んだ恵と一緒に敷地の奥へと戻っていく。
「誰からだろう・・・あ・・・外川先生だ。連絡しないと不味いな・・・ねえ恵、スマホどこにあったの?」
愛果に向けるものより数倍柔らかくて気さくな口調は、二人の間柄が気心知れたものであることを示していた。
「玄関の靴箱の上ですよ。先輩なかなか戻ってこないからお庭ウロウロしてたら着信音が響いてきて、緊急だったら困るから、勝手に玄関開けちゃいました」
「うちの玄関鍵かかってることのほうが少ないからな。助かったよ。えらいえらい。なに食べに行こうか?」
「中華どうですか?昨日見たテレビのやつが美味しそうで・・・」
「昼から飲むの?」
「え、先生午後休診ですよね?」
「・・・・・・まあいいかー・・・」
親しげと呼んで過言ではない距離感で仲睦まじく歩いていく二人の後ろ姿を、愛果は立ち止まったままいつまでも見つめていた。
その横顔が決して穏やかではないことは、遠目にもすぐに分かった。
ああ、そういうことだったのか。
その眼差しは、物凄く身に覚えがある。
何度も同じような眼差しを、長谷愛果に向けて来たからだ。
彼女が自分とのお見合いを進める事に決めた理由も、同時に悟った。
よりによって勝ち目のない片思いをするなんて。
愛果がもし結婚しても仕事を続けたいと零していたのは、恐らく山尾への未練が絶ち切れていないからだ。
山尾の表情や態度を見れば、彼の好意が隣にいる恵という女性に向かっている事は一目瞭然である。
二人の間柄は定かではないが、まあまず間違いなく付き合っているのだろう。
なるほど・・・だから、俺でもいい、と思ったわけか。
父親が見つけてきたお見合い相手は、信頼のおける部下で、同級生。
愛果と両親が安心して将来を任せられるちょうどよい男だったのだ自分は。
”長谷本部長のお嬢さん、ということを差し引いて、純粋に長谷と結婚したいと思ってる”
朝長が愛果へ伝えた誠意は、紛れもない本物。
頷いて微笑んだ愛果が、どこか寂しそうに見えたのは、彼女の中でいまだ燻り続けている思いがあるからだ。
これは、想像以上に前途多難な恋かもしれない。
高校時代の数倍、目の前に置かれたハードルは高い。
あの頃は感じられていた愛果からの思慕が、再会してからこちら少しも感じられない理由はここにあったのだ。
だからといって諦めるなんてしたくない。
こんな風に誰かを望んだのはきっと高校生以来のこと。
愛果を逃したら、もう二度と自分は誰のことも好きになれない気がする。
この数週間の間、仕事よりもプライベートを優先したくなっている自分に気づいて、社会人になってからそんな風に思えたのは初めてで、自分の心が生き返ってくるような気がしていた。
心が死ねばきっと身体も死んでしまうのだ。
だから、この気持ちが成就すれば、きっと愛果と今度こそ幸せになれると信じて疑わなかった。
二人の姿が敷地の病院のさらに奥に消えるのを待って、こちらを振り返った愛果が、朝長に気づいて立ち止まる。
真っ青になった彼女は、朝長がずっと自分を見ていた事を瞬時に悟ったようだった。
スマホを握りしめた手が、わずかに震えている。
「長谷、お疲れ様。仕事終わりだろ?ランチ一緒にどうかなと思って、お母さんに連絡してから、メッセージ送ったんだけど・・・」
穏やかに話しかけた朝長から、手元のスマホに視線を落とした愛果が、罪悪感いっぱいの表情で呟いた。
「・・・・・・・・・ごめん、いま見た」
こんな顔を見るのは初めてだな、と苦く思った。
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