第21話 橘月その1

「俺、映画のチョイス失敗したかな・・・?」


館内が明るくなって、観客たちが次々と立ち上がり後ろの出入口へと向かっていくのを横目に、朝長が声を潜めて窺うように顔を近づけてきた。


レイトショーのお誘いを受けたのは、突然のランチデートの後のこと。


山尾とのやり取りの一部始終を見ていたらしい彼は、愛果に何も言わなかった。


愛果も何も言えなかった。


だってただの同僚同士の立ち話で、報告するような何かがあるわけではない。


愛果が二人の後ろ姿を見つめていたことだって、上司を見送っていたと言い切れば朝長に否定なんて出来るわけがない。


けれど、何を言っても言い訳になると思ったし、自分の気持ちを彼に吐露したくはなかった。


ちょっと時間が空いたから、と送られたメッセージと同じ文言で誘いかけてきた朝長は、浮かない表情の愛果を助手席に座らせると、山の手に車を走らせた。


連れて行かれた先は、住宅街の中にひっそりと佇むフレンチのお店で、完全予約制のそこはテーブルが三席しか置かれておらず、紹介でしか客を取らないことで知られているらしい。


アレルギーや好き嫌いについて確認された後運ばれてきたお任せランチコースは、見た目も鮮やかなパプリカのゼリー寄せから始まって、具だくさんのスープと、メインディッシュの臭みの無い柔らかいラム肉のオーブン焼き、最後に出てきたほろ苦のキャラメルムースで締め括られた。


バス停からも離れている場所にあるお店は、車が無いと来れない場所にあって、家族で食事をする時には、大抵お馴染みの隣町のレストランか割烹に出かけることが多い愛果は、自分よりこの辺りに詳しい朝長に驚いた。


10年もこの仕事してたらそうなるよ、とけろりと言った朝長は、愛果の職場が気になって、とさりげなく話を振って来て、食事を終える頃には動揺もそれなりに落ち着いていた愛果は、話していたのが、医院長の山尾で、後からやって来た女性が、山尾の高校時代の後輩で、愛果のクラスメイトでもある、と簡潔に説明を終えた。


『あの二人は夫婦?』


ごく自然な流れで切り出された問いかけに、ぐっと息を飲んで、首を横に振った。


それから、短く付け加えた。


『でも、先生は涼川さんが好きだから、上手くいったら結婚するんじゃないかな』


山尾が気持ちを伝えたら、多分恵は逃げられないし、二人の年齢を考えても確実に結婚が視野に入ってくるだろう。


山尾は、一度もあんな眼差しで愛果を見つめてくれたことがない。


あくまで、先生と助手の立場でしか向き合ってくれたことがない。


それは、経営者と従業員としては物凄く正しいのだけれど、その正しさを突き付けられるたびに、涼川恵になりたいと思ってしまった。


山尾の一方的な片思いが続いているうちは、まだ見込みがあるかもと思えていたが、恵の態度が変わった今となってはもう確実にそれはない。


だから、朝長に伝える声は震えなかった。


やっぱり胸は痛んだけれど。


彼はそれ以上山尾医院のことも、山尾のことも尋ねては来なくて、代わりにデートに行かないか、と誘いかけてきた。


あからさまに山尾を意識しまくった態度を見られてしまったし、朝長の本心は分からないが、二人は結婚を前提に交際を進めているのだから、断る理由もない。


出来れば予定を確認してから、と濁したかったけれど、罪悪感も相まってすぐに頷いてしまった。


愛果の返事に朝長は、すぐに映画でも見に行こうかと提案してきて、話題の純愛映画を示されて、深く考える暇もなく頷いた。


彼と面と向かって話したり、食事をするのはやっぱりまだ緊張するので、スクリーンに向き合って数時間過ごすほうがずっと気が楽だと思ったのだ。


朝長は、再会してからずっとあの頃と同じように真っ直ぐ愛果を見つめてくる。


彼の視線を感じるたびに、高校生の頃の愛果を彼が探しているように思えてしまって、どこにも残っていないキラキラしたあの頃の自分を探しては一人虚しくなるのだ。


朝長は父親のことは関係なく愛果と付き合いたいと言ってくれたが、出世したいので結婚してくださいと言えるわけもないのだから、あの場合の台詞の選択肢は一つになる。


昔の自分だったならば、彼の言葉を真っ直ぐ受け止めて、恋人未満の関係で終わってしまった二人の関係に立ち戻ってあの場所からやり直したいと思えるけれど、いまの長谷愛果には無理な話だ。


だって鏡を見るたびに溜息しか出ないのだから。


自分でもうんざりしてしまう大人の自分に、彼が惹かれるわけがない。


仕事帰りに山尾医院の近くまで迎えに来てくれた彼と軽く食事をしてから、映画館に向かった。


レイトショーの映画なんて久しぶりすぎて、周りがほとんどカップルだらけで、予約シートの感覚もかなり広めに取られていて、別の意味でドキドキしてしまう。

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