第4話 初見月

人生のピークは一瞬で、後は坂道を転がり落ちるように全部のことがマイナスに作用するようになった。


大学卒業後、就職した健康食品メーカーでは、ダイエット食品の企画をいくつも起こしたけれど、細身とは言い難い体型になってしまった愛果の企画には説得力がない、という辛口の反応ばかり返って来て、結局それがストレスになってさらに太る羽目になり、最終的には体調を崩して退職することになった。


愛果の身体を心配する両親からの強い勧めで地元に戻って、ストレスとはかけ離れた生活を送るうちに体重は標準体重まで戻ったけれど、引き締まるには程遠い体型は、鏡を見る機会を少なくさせた。


万年Aカップだと思われていた小胸は、ピーク時はFカップまで膨れ上がって、標準体重に戻った時にEまで目減りしたけれど、それ以降は変化がない。


胸とお尻にもうちょっとお肉があれば、なんてぼやいていた10代の頃が心底恨めしい。


今ではすっかり体型が分からないワンピースばかり選ぶようになってしまった。


ブラウスとタイトスカートなんてきっともう一生選べない。


娘の体型がどんなに変わろうとも、両親から向けられる愛情は少しも変わることなく、そのことだけが救いだった。


いま思えば、明らかにぽっちゃり体型の母親から生まれた自分が、あんなに細身で居られたことのほうがおかしいのだ。


幸い父親は大手企業の高給取りで、ローンを払い終えた大きな邸宅は部屋数も多く、愛果を厭う人間は誰一人として存在しない。


地元に戻って暫くした頃、気分転換に働いてみればと勧められた受付助手の仕事を始めてからは、もうこのまま愛果は結婚なんてせず、いつまでも家に居てくれればいいよと言ってくれていた父親が、急な方向転換をしてお見合いを勧めて来たのは、山尾への失恋が確定してからひと月ほど後の事だった。




『え、お見合い!?なんで急に・・・・・・ずっと家に居ていいよってお父さん言ってくれたじゃない・・・』


いよいよ我が家も安息の地ではなくなってしまうのかと、絶望に駆られながら詰れば、父親は娘仕様に目尻を下げて柔らかく微笑んだ。


『もちろん、その気持ちは変わってないし、愛ちゃんが気に入らなかったら、これまでと同じようにこの家で過ごせばいい。でもね、父さんの部下、物凄く優秀で、責任感もあって、何より人柄がいいんだよ。彼になら、うちの娘を預けてもいいと思えた。だから、一度だけでいいから、会ってみて欲しいんだよ』


『愛ちゃん、パパがこんな風に言うんだから、きっとすっごいイケメンなのよー。お食事してくるだけでもいいじゃない?あなたこの家に帰って来てから、山尾医院と家の往復ばっかりでしょう?昔みたいにママと一緒にお買い物も行ってくれないし、ランチにも行かなくなったし』


『それは、昔みたいに食べられないし・・・そんな気分になれないからで・・・』


悲しいかな一度でも羨望の眼差しを向けられたことのある人間は、その一瞬の栄光をどこまでも忘れられないようにできているのだ。


”あの子可愛くない!?”


”○○にめっちゃ似てるよね!?”


いつも聞こえていた耳障りの良い声が一気に鳴りを潜めてから、向けられる眼差しがどんなものであれ避けようとする癖が身に付いた。


俯けば誰の視線も気にせずに済むし、ショウウィンドウに映る自分の姿にがっかりすることもなくなる。


『何もお見合いしたから、結婚しなきゃいけないって決まりがあるわけじゃないよ。相手の気持ちもあるものだしね』


そう言われて、改めて自分の格好を確かめた。


32歳を迎えて、定職にも就かず実家暮らしを続けている自分は、どこからどう見ても魅力的とは言い難い。


昔の面影はどこにもないし、実家に戻って食生活が安定したせいか、肌は昔のように綺麗になったけれど、それ以外はどう高く見積もっても中の下だ。


いま流行りの洋服なんてこの身体では着こなせないし、何よりそんな自信もない。


どうせお見合いしたって、向こうからお断りされるのがオチだ。


けれど、それは好都合に思えた。


このまま山尾を思い続けても苦しいだけだし、いつまでも彼を引きずるのもこの年齢ではしんどすぎる。


先方からお断りされたら、娘に甘い両親も現実に気が付いて、この先気安くお見合いを勧めてくることはなくなるかもしれない。


最終的には考えることにも疲れて、もうどうにでもなれと投げやりな気持ちで挑んだお見合いの場で、まさか高校生の頃好きだった男、朝長蘇芳ともながすおうと再会するだなんて夢にも思っていなかった。









・・・・・・・・・・








「・・・・・・・・・え・・・・・・っと・・・・・・長谷、だよな?」


待ち合わせ場所のホテルのティーサロンで、先に到着して愛果を待っていた彼は、信じられない表情でこちらを見て、愛果本人であることを確かめて来た。


高校生の頃は会えるだけで嬉しくて、メッセージが届いた日は眠れなくなって、みんなで遊び出掛けた日には何度も二人で交わした言葉を反芻しては胸をときめかせた相手。


朝長は、あの頃よりずっと素敵になっていた。


年齢と共に精悍さが増した面差しには、父親が話していた責任感の強さや、人柄の良さが滲み出ている。


誰が見ても惚れ惚れするようなカッコいい大人。


高校時代の自分が憧れて思い描いていたままの社会人になった彼が目の前にいる。


地に足をつけて、きちんと自分の力で人生を歩んできた32歳の大人の男性。


行き場を無くして実家に舞い戻ってそのまま寄生状態の愛果には、現在の朝長はひたすら眩しく見えた。


あの頃の自分は、こんな風に目を細められる存在だったのに。


32歳の長谷愛果は、場違いな場所に来てしまったのだとすぐに気づいた。


高校生の頃で立ち止まっているならまだいい。


あの頃よりはるかに劣化してしまった愛果は、朝長とは真逆の場所に居る。


こんな自分では到底釣り合うわけがない。


それでも帰ります、と言えなかったのは、朝長が懐かしそうに目を細めてあの頃みたいに愛果のことを呼んだからだ。


「会えて嬉しいよ」


その言葉が、たとえお世辞だったとしても、渇ききった心を高校時代に呼び戻すには十分だった。

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