第27話 moon phase 22

「気分悪くない?薬貰ったんだよな?」


まさか腕の中に倒れ込んで来るくらい具合が悪いとは思ってもみなかった。


朝長の姿を目にした途端駆け出して来た愛果に、反射的に腕を広げた瞬間は、ようやく彼女から会いたいと思って貰える存在に慣れたのかと嬉しくなった。


その数瞬後、抱きしめた愛果の身体が想像以上に熱くて、これは焦がれて抱き着いてきたのではなくて、ただ単に自力で歩けなくてそうなったのだと理解した。


肩透かしを食らった気持ちになって、けれどこれほどまで具合が悪かったのなら、やっぱりここまで迎えに来て正解だったと自分の行動を正当化する。


ほんの一瞬だけ、ふわりと広がる甘い香りと柔らかい身体に陶酔しそうになったことは内緒だ。


力加減を間違えれば折れてしまいそうな細すぎる身体には手を伸ばせなかったが、いまの愛果はそうではない。


ほどよく丸みを帯びた身体はどこまでも魅力的な女性らしい輪郭を保っていて、軽く触れた指先でさえしっとりと吸い付くような触り心地なのだ。


彼女が好んで纏うふわりとしたラインのワンピースの下を想像しなかったと言ったらウソになる。


あの頃さんざん周りにはそういう目で愛果を見るなと言いながら、誰より愛果でそういうことを想像したのは自分だという自負もあった。


未だにパソコンのフォルダには、あの頃の愛果の写真が残っているし、大学生になって会えなくなってからも幾度となく見返した。


もう一生会えないし、触れられないと思っていたのに。


助手席に座らせた愛果が、薄っすらを目を開けてこちらを見つめてくる。


熱のせいで潤んだ瞳は強烈な色香を放っていた。


暗がりで見つめ合ったのは失敗だった。


一気に騒ぎ始めた心臓をどうにかしようと視線を逸らせば、愛果が白い指先をこちらへと伸ばして来た。


「朝長・・・・・・ごめんね」


ハンドルに向かわせた手のひらを握り込まれて、彼女の指先から伝わる体温の高さにぎょっとなる。


これは一刻も早く彼女を家まで送り届けなくてはならない。


「謝ることないって。また元気になったら出掛けような」


あやすように頭を撫でれば、愛果が涙目のまま首を横に振った。


「違うの・・・そうじゃないの・・・・・・私、ずっと朝長のこと好きだったよ・・・」


「・・・・・・・・・うん」


高校時代、彼女と目が合うたび、柔らかく微笑まれるたび、そうだといいなと何度も思っていた。


”好きだった”という過去形だけが、どうにも悔しい。


握り込まれた手のひらを振りほどけずにいると、目を伏せた愛果が言葉を続けた。


「おんなじ大学行きたくて・・・・・・めちゃくちゃ勉強したし・・・・・・家庭教師も付けて貰ったし・・・・・・無理だって言われても最後まで諦めなかった・・・・・・だって・・・大学行ったら、告白しようと・・・思ってたんだもん・・・だから、第二ボタンちょうだいって言えなかった・・・・・・もしフラれたら気まずくなるの嫌だし・・・・・・怖かったから・・・・・・大学入って太った時も、朝長の好みのタイプじゃなくなったから、もう会えないって思ったら悲しくて・・・・・・でも痩せられないし・・・・・・どんどん自分のこと嫌いになって行くし・・・・・・・・・もう会えないって思ってたのに・・・・・・こんな形で再会するし・・・・・・いまも好きとか言ってくるし・・・・・・いまの私・・・全然駄目なのに」


いきなりぶっこまれた情報量が多すぎて処理が追い付かない。


愛果に志望大学を尋ねた時のことを思い出す。






・・・・・・・・・・







彩出大さいでだいを受けると答えた時の嬉しそうな笑顔には、そんな意味が込められていたのか。


図書室で必死に勉強する彼女の隣に居たくて、何かと理由をつけては様子を見に行っていたあの頃の自分と愛果は、ちゃんと両想いだったのだ。


『E判定でも受かった人もいるんだから、あんまり神経質になるなよ』


模擬テストの結果を前に、しょげた表情を見せる愛果の肩を軽く叩けば、珍しく重たい溜息が聞こえて来た。


『でもさ、C判定って5割でしょ?・・・・・・本気でやばいよね・・・・・・先生にも志望校再確認された・・・』


『え、変えんの?』


今更ここで別の大学にしますとか言われたら、色々と予定しているキャンパスライフのプランが一気に変更になってしまう。


『絶対変えない。意地でも彩出大さいでだい行くんだから』


『うん。大丈夫。絶対受かるよ』


『あのさ、朝長。大学行ったらさぁ、たまにはお昼一緒に食べたりしようね。授業で会えることは少ないかもしれないけど』


『購買に美味い焼きそばパンあるといいな』


『最近は食べてないってば!』


部活の前に焼きそばパンを頬張るのは愛果の日課になっていて、そしてそれはいつからか朝長にも伝染していた。


『え?そうなの?俺、長谷が美味しそうに食べてるの見るの結構好きだったのに』


美味しそうに頬を膨らませる愛果の横顔はずっと見ていられるくらい可愛かった。


けれど、本人としては納得できなかったらしい。


『なにそれ!全然褒められてる気がしないよ!!』


模擬テストの結果をくしゃりと握りしめて愛果がこちらを見上げてくる。


二人の間にあるこの微妙な隙間が、もどかしくて愛おしい。


『一応褒めてるんだけどな』


呟いた朝長をキッと睨みつけた愛果が、図書室の前で立ち止まる。


人差し指を立てて静かにねと合図を送る彼女に頷いて、ああやっぱり好きだなと思った。







・・・・・・・・・・






彼女の中で凝り固まったままの価値観をどうやったら塗り替えることが出来るんだろう。


つくづく離れて過ごした十数年が恨めしい。


「駄目じゃないし、俺は今の愛果のことを好きだよ。前も言っただろ」


言い含めるように伝えれば、愛果がくすんと鼻をすすった。


「・・・・・・・・・ありがとう・・・・・・朝長優しいから・・・」


「優しいからって誰でも好きになるわけじゃないぞ」


相手が愛果だから優しくなるのだと言外に告げれば。


「・・・・・・うん・・・・・・でも優しいよ」


小さく頷いた愛果の目尻からぽろりと涙が零れた。


伸ばした指でそれを拭って、いい具合に回らなくなってきた思考回路で思ったことをそのまま口にする。


「・・・・・・・・・優しい俺のことは好き?」


朝長の問いかけに、愛果が照れたように微笑んだ。


「・・・・・・・・・大好き」


もう無理だと諦めて、熱の籠った身体をそろりと抱き寄せる。


「それさ、熱ない時にもっかい言ってよ」

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