第7話 moon phase 9

「朝長ーいらっしゃーい!あ、いっぱいお客さん連れて来てくれたんだ!?ようこそートロピカルカフェへー!」


愛果のクラスの文化祭の出し物が、トロピカルカフェと聞いた時から、呼ばれなくともどうにか時間を作って見に行こうと思っていた。


が、宣伝のチラシと一緒にドリンク無料券を手渡された時には死ぬほど嬉しかった。


友達いっぱい連れて来てね、と言外に売り上げ貢献よろしくと告げて、多少げんなりはしたけれど、枚数限定の無料券の譲渡先を自分にしてくれたことは嬉しかったし、顔の広さを見込んで頼ってくれたことも嬉しかった。


朝長が部員たちを引き連れて顔を出さずとも、長谷愛果がフルーツ柄のエプロン姿で店の前に立てば、あっという間に空席待ちの列が出来る。


空いて居そうな中途半端な時間帯を狙って見に行ったが、案の定席は埋まっていた。


朝から売り子に徹していたらしい愛果は、慣れた様子で空になったテーブル席から使い捨てのカップや紙皿を撤去していく。


まめまめしく後姿を見ているだけでも新鮮で楽しい。


と思ったら、連れて来た部員のほとんど同じ目線で愛果の後ろ姿を追いかけていてイラっとした。


「女子は全員お揃いのエプロンなの?」


「うん、そう!手芸部の子が布買って来てあっという間に作ってくれて・・・あ、先にメニュー見とく?お勧めドリンクはねーグァバオレンジと、ラズベリーグレープフルーツかな?色も綺麗で美味しいよ。後は、パインシャーベット」


手に持っていたA4サイズのメニューが記載された紙を、朝長たちに配りながら覚えたてのセールストークを繰り広げる愛果の表情は今日も明るい。


この後夕方から、近所の高校のバスケ部を招いての招待試合にも参加するのに、体力は持つのだろうか。


「長谷、全部試した?」


「うん。もちろん試食会で全制覇したよー」


「どれが好き?」


「私は、ラズベリーグレープフルーツかなぁ・・・酸味と甘みのバランスが好きだったかも」


「じゃあそれにする」


彼女が好きな味を知りたくて、そう答えれば、瞬きをした愛果が一気に破顔した。


アイドル顔負けの笑顔だった。


入学当初、席が近かった愛果に声を掛けたのは、件のアイドルのことがあったからだが、生身の彼女と言葉を交わした瞬間に、アイドルの存在はどうでも良くなっていた。


あの日からもうずっと、朝長のなかで、彼女とあのアイドルは完全に別人である。


そして間違いなくテレビを賑わせている彼女よりも、愛果のほうが可愛いと思う。


明るくて飾らない人柄も、見た目以上に大食漢なところも、バスケに一生懸命なところも何もかもが好ましいのだ。


それを本人にちゃんと伝える勇気が未だ出せないことがもどかしい。


けれど、部活に全力を注ぐ彼女を見ていると、無理に関係を変える必要はないような気がして来て、引退までは、このままでいいかな、と思っていた。


もちろん、本格的に愛果を追いかけ回す誰かが出てきたら、その時は傍観者なんてしていられないので、喜んでリングに上がるつもりだが。


幸いなことに、入学当初から愛果と朝長はセット扱いされていて、それを両方が否定して来なかったので、朝長以上に愛果と距離を詰める男子生徒は今のところ存在していなかった。


つくづく、入学当初の自分の行いに感謝である。


「試合、何時から?」


「15時半から。引退した三年生も出るから、フルじゃないし、出番は後半かなぁ」


教室の壁掛け時計を確かめた愛果に一つ頷く。


三年生同士の仲が良く、教師同士も交流のあった近隣の高校を招待試合というかたちで文化祭に招くのは二度目のこと。


一度目は涼川恵の姉が現役生徒会長だった頃で、その時は弓道部を招いての招待試合を行ったらしい。


「どうせ暇だから見に行くわ」


「あ、ほんとに?嬉しい。頑張ってシュート決めなきゃ」


「昨日も遅くまで練習してたもんな」


「うん?え、なんで知ってんの!?」


「え・・・・・・いや、俺らが帰る時も体育館の明かりついてたから・・・多分残ってるんだろうなと」


これは嘘で、本当は、明かりが点いている体育館までこっそり様子を見に行ったのだ。


残った数人の部員たちと楽しそうにシュート練習をしている愛果をしばらく眺めて、声を掛けずにその場を離れた。


黙っておけば良かったなと思いながら視線を逸らせば、愛果が照れたように笑った。


「先輩と久しぶりに一緒にバスケ出来るから、カッコいいとこ見せなきゃと思って」


「副キャプテンだもんな」


「まあ、一応名前だけね」


本当はキャプテンをやって欲しいと言われて、それを断ってしぶしぶ副キャプテンになった事も聞いている。


周りは愛果の容姿についてあれこれと勝手に騒いでいたけれど、彼女は一度として自分の容姿を自慢したことはなかった。


本来の彼女は、どちらかというと控えめなタイプなのかもしれない。


三年生が引退してから、いつも最後まで残って練習していることも知っていたし、それを誰にも言っていないことも知っていた。


見た目の可愛らしさに惑わされてしまえば見抜けない、彼女のブレない本質みたいなものを、自分だけは知っているのだと思うと、嬉しくなる。


テーブル席を用意し終えた愛果が、こちらへどうぞと朝長たちに声を掛けたところで、廊下から別の声がした。


「すみません。生徒会の見回りです」


振り向けば、実行委員会の腕章をつけた生徒会役員たちが立っている。


そこには、久しぶりに見る涼川恵の姿もあった。


愛果と朝長に気づいた彼女が、あっという顔をして、小さく会釈してくる。


一年生の一学期だけ一緒にクラス委員を務めた彼女は、とにかく大人しくて言葉数が少なくて、気付けばいつもノートに向かっているタイプだった。


愛果と交わした言葉の半分も、彼女とは口を聞いていない。


そのくせ、議事録は完璧で、会議内容の聞き漏れもない。


報告ばかりの会議に飽きて、ついウトウトしてしまう朝長に代わってしっかりと会議内容を把握して議事録に落とし込む彼女の手腕は見事なものだった。


そして、それを一度もひけらかすことなく、愛果にバトンタッチした。


「涼川さん久しぶりー。見回りお疲れ様ー。もしよかったら、後でドリンク飲みに来てね?」


にこやかにエプロンのポケットからドリンクの無料券を取り出した愛果が、それを恵の手に握らせる。


「え、あ、いいんですか!?」


まるでアイドルの握手会に参加したファンのような反応を返した恵に、愛果はアイドル顔負けの笑顔でもちろん!と頷き返した。

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