第6話 moon phase 6

「あ、長谷先輩だ」


「え、どれ。あーほんとだ。遠目にも分かる可愛さ。えぐいな」


部室の窓に張り付いて、換気の為に開けっ放しになっている体育館の中を覗きながら、後輩二人がデレデレと頬を緩める。


もう何度も見てきた光景だ。


誰かが置いて帰った数週前の少年誌をパラパラ捲りながら手元のペットボトルを引き寄せたら、部員の一人がしかめ面で口を開いた。


「こらー一年、朝長の前で長谷さんの話すんなよ。機嫌悪くなるから」


「俺なんも言ってねえだろ!」


もうこの手のやり取りは慣れっこだし、今更目くじら立てたってしょうがない。


長谷愛果はみんなものだ。


未だ告白する勇気のない朝長が、所有権を訴えられるわけもない。


後輩二人の上から体育館を覗いていた同じ学年の部員がこちらを振り返ってにたあと意地の悪い顔になった。


「じゃあ黙っとける?」


黙っておきたいか、おきたくないのかと問われれば、当然黙っておきたくはない。


もっと言えば、今すぐ体育館のドアを閉めに行きたいくらいだ。


冬場以外はずっと開け放たれたままの体育館のドアの前を、明らかに用事がないはずの別の部員が通ったり、わざとらしく歩調を緩めて歩く生徒を見つけるたび、苛立ちが募るのは一年前からずっと変わらない。


朝長が彼らと同じ行動をとらずに済んでいるのは、たまたま愛果と同じクラスで、たまたま席が近くで、たまたま最初に仲良くなったからだ。


けれど、二年生になってクラスが離れてからもこうして友達関係が続いているのは、決してたまたまではない。


朝長がそうあり続けるように努力を怠っていないからだ。


だから、この発言は友達を守る為の正義感からくる言葉である。


「見てもいいけどエロい目で見んな」


「え、それ無理でしょ!?」


「っていうか、それ自分がエロい目で見てるって言ってるようなもんだからな!」


ぎょっとなって突っ込んだ後輩に続いて、ゲラゲラ笑いながらこちらを指さして来た部員の足を遠慮なしに蹴りつける。


見ていないと言えば嘘になるが、あくまでそれは、好意から来るもので、他の男子生徒たちが考えているような、件のアイドルにしてみたいことを長谷愛果でお願いしたいとかいうゲスいものでは決してない。


その証拠に、彼女によく似た細身の女優が出演しているDVDが回って来た時も、手を出すことなくそのままスルーした。


見てしまったら、次の日どんな顔で愛果に会えば良いかわからなかったのだ。


高い進学率を誇る公立校は、県大会常連のサッカー部といえど夏を過ぎても残る三年生はほとんどおらず、秋には新体制でスタートを切る。


目の上のたん瘤だった上級生が居なくなった部室はどこかがらんとしていて、在籍部員数が多いため、一年生は会議室を仮部室にさせられていた事もあり、ようやくクラブハウスへの入居権を手に入れた一年生たちのはしゃぎぷりと、主要メンバーが殆ど抜けた後の新体制では、県大会出場も危ういレベルになっている現状を痛感しているどこか諦めモードな二年生との温度差が凄まじい。


馬鹿みたいに何度も読んだ王道サッカー漫画のように全国を目指すつもりもなければ、プロになるつもりも、推薦で大学に入るつもりもない。


このまま怪我無く引退までサッカーを楽しめればそれでいい。


熱血漢とは言い難い朝長の現状とは真逆に、愛果のほうは、ミニバスと県選抜経験者の一年生が加入したことによって初めて県大会出場が視野に入ったところで、ここ最近ずっと練習と練習試合に追われている。


この感じだと、本気で引退まではバスケ漬けになりそうだ。


二年生になってからも、試験休みは何度か一緒に出掛けることがあったが、さすがに類型が違うのでテスト勉強まで一緒にする事は出来ない。


今更のように、去年愛果が言っていたクラスが離れたら、という台詞が思い出されて苦くなった。


長谷愛果とお近づきになりたい生徒は、この高校にごまんといる。


去年の文化祭は、クラス委員として一緒にあちこち見て回ることが出来たけれど、今年はクラスも違うし、それぞれが自分のクラスのクラス委員になっているので、去年と同じようには出来ない。


さらに今年は、バスケ部の招待試合もあるのだ。


「朝長さんって、長谷さんに告んないんですか?」


「いや・・・・・・そういう関係じゃねぇし」


「そういう関係じゃないけど、長谷さんの事エロい目で見られるのは嫌なんだ?」


「友達そういう目で見られるの普通嫌だろ!?」


「あー・・・ねぇ・・・友達・・・ねぇ・・・・・・というわけで、こっそりオカズにしてもいいけど、朝長にはバレないように。あとその席は朝長の特等席だから譲ってやって」


体育館が一番よく見える奥の席に最初に座ってから、自然とそこが朝長の指定席になった。


二年生は誰も定位置を奪おうとはして来ないが、最近クラブハウスの住人になった一年生はこの辺りの暗黙のルールを知らない。


「あ、さーせんっ!」


慌てて席を立った一年生に別にいいよと返事をしたところで、先にグラウンドに向かおうとした部員が何かを思い出したようにこちらを振り向いた。


「そういやさぁ、お前、去年の夏休み長谷さんとプール行った時の写真、まだ見せて貰ってないけど?」


「・・・・・・なんでいま思い出すんだよ」


「え?さっき体育館で走ってる白くて細い足が見えたから?長谷さんってビキニ?パレオ?」


どっちだったの?と興味深そうに尋ねて来る部員に向かって、廃棄予定のサッカーボールを蹴りつける。


「っせえわ!」


去年の夏、クラスメイトたちと市民プールに行ったのは事実で、うっかりそれを部室で零したら、途端部員たちから写真を見せろと迫られてのらりくらりと逃げて躱して、無かったことにしていたのに、どうしてこのタイミングで思い出すのか。


ぜえはあ肩で息をしながら振り返れば、後輩二人が期待一杯の眼差しでこちらを見ていた。


「俺、ビキニに一票なんすけど!」


「俺ワンピース好きです!」


「お前らもさっさとグラウンド行けよ!!」




ちなみに、あの日愛果が着て来たのは、胸元が幾重ものフリルで覆われた赤と白のタータンチェックのフレアビキニだった。


前日女友達と買いに行ったと照れくさそうに話す彼女は白くて折れそうに細くて最高に可愛かった。


だから、あの日写した写真は絶対に誰にも見せないと決めている。



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