第2話 moon phase 0

慕ってくれていた後輩たちと別れを告げてから数か月、再び最下級性になった愛果の朝は早い。


母親が用意してくれていた朝食を大急ぎで食べて、お弁当と、夕練の前に食べる総菜パンをカバンに入れて、まだほとんど生徒が登校していない早朝の学校へ向かう。


上級生が朝練に来る前に、体育館のモップ掛けをしてゴールとボールの準備をするのは一年生の仕事なのだ。


男子バスケ部は雑用をこなしてくれる女子マネージャーがいるけれど、女子バスケ部にはそんなものは存在しないので、雑用も練習準備も全て一年生が担っていた。


愛果が通うのは市内の公立校なので、県大会常連校でもないので、強化合宿もない。


比較的緩い雰囲気の部活は、上下関係もそう厳しくはなく、大会前だけ朝練を行っている。


さすがにこれが真冬まで続くのは勘弁して貰いたいところだけれど、三年生は夏に引退が決まっているのでそれまでの辛抱だ。


それに、クラブハウスに向かう途中で必ずグラウンドを通ることになるので、サッカー部の朝練を見られる。


それが何より嬉しかった。


昔からひょろりとした体型で、悪く言えば痩せっぽっち。


思春期になればふくよかな母親に似て丸くなって来るのではと戦々恐々としていたが、中学入学と同時にバスケ部に入部したおかげか身長こそ伸びたけれど体重はそのまま。


胸に肉がつく気配は一切なく、周りの女の子がどんどん女子っぽくなって行く中、さっぱり代わり映えしない自分の容姿に不安を覚えた矢先、オーディション番組からデビューしたアイドルグループの一人が自分と面立ちが似ている事に気づいた。


グループの中でも一番細身であること、くりんとした愛嬌のある目元が特徴的で、それは母親譲りの愛果の目元とよく似ていた。


部活をする時ポニーテールに髪を結ぶと、まさにそのアイドルそっくりで、可愛いね、と言われることが増えて、肉付きの良くない自分のことをちょっと好きになれた。


そして、可愛いと言われるようになってさらに嬉しかったのは、高校に入って初めて出来た好きな男の子と仲良くなれたことだ。


中学時代は部活一辺倒でバスケばかりしていた愛果にとっては、小学校以来の片思いだった。


この時間に登校すれば、間違いなく朝長に会うことが出来る。


だから、今朝も丁寧に髪をポニーテールに結った。


愛果のトレードマークだ。


ちょうどクラブハウスの手前まで来たところで、サッカー部の部室のドアが開いて、愛果と同じく練習準備をする為に一年生の部員たちがぞろぞろと出て来た。


県大会ベスト8の成績を誇るサッカー部は、市内でも強豪校として知られており、毎朝欠かさず朝練がある。


サッカー部には当然美人マネージャーが居るのだが、なんせ部員数が多いので、一年生は早めに来て準備を手伝わされるのだと聞いていた。


「あれ、長谷、今日朝練?」


部室から出て来た練習着姿の朝長が、愛果に気づいて手を挙げてくれる。


飛び跳ねたい気持ちになりながら、笑顔で頷いた。


「朝長!」


目が合った彼が照れたように笑顔になる。


やっぱり早起きして良かった。


朝長の声に、周りの部員たちが、あー、アレが長谷愛果だって、うわ、ほんとだ似てるなーと興味深そうにこちらを見てくる。


学校説明会の時点から、件のアイドルによく似た女の子が入学してくるとかなり注目を集めていたらしく、入学してすぐに愛果の名前は学校中に知れ渡った。


最初のひと月ほどは、周りの視線が気になったけれど、朝長を好きになってからは彼の視線以外はほとんど気にならなくなってしまった。


現金なものである。


「おはよー!うん、大会まで2週間だから、今日から」


「そっかー。早起き慣れるまでキツイぞー」


「大丈夫、頑張れるよ!」


朝長と会えると思うと、朝起きるのだって辛くない。


今朝だって、何度姿見の前で制服姿の自分をチェックしたことか。


母親は高校入学と同時に急に色気づいた愛果を見て、愛ちゃんも年頃ねぇとニヤニヤして、父親は複雑そうにしていた。


「長谷、いっつも元気だもんな。あ、グループメッセージ見た?返事きて無かったけど」


「あ、ごめん!朝寝坊したら駄目だと思って早く寝たからまだ見てない」


早く寝ようといつもより2時間近く早くベッドに潜り込んだはいいものの、朝から朝長が練習している姿が見られると思うと、ドキドキしてなかなか寝付けなかった。


おかげでしっかりアラームが鳴って、母親が起こしに来てくれてから目が覚めた。


「そっか。返事無いから気になってた。次の試験休みみんなで集まって勉強しようって」


入学してすぐに、同じクラスの気の合う何名かでトークグループを作った。


それ以降、部活が休みの時は、みんなで一緒に繁華街に繰り出して、カラオケやファミレスで過ごしている。


学校帰りの寄り道なんて、中学時代はコンビニ以外考えられなかったことだ。


いつも集まるメンバーの中に、好きな人がいるとそれだけでテンションが上がる。


男女7人グループの中で、愛果だけが返事をしていなかったらしい。


そんなことまで気にかけてくれるところも、もう嬉しくて堪らない。


朝長とは、最初の席が近かったことですぐに仲良くなって、それ以来ずっと良い友達を続けている。


最初に、トークグループ作ろうよ、と一人が言いだした時、真っ先に朝長が、愛果に誘っていい

?と声を掛けてくれて、そこから彼を好きになった。


朝長は基本的に誰に対しても優しい。


けれど、愛果を前にする時の朝長は、みんなよりもほんのちょっとだけ優しい。


その微妙な匙加減が誤解では無いようにとどれくらい祈っているのか、きっと彼は知らない。


「いいね!一人でやるより捗りそうだし。私いっつも数学躓くから、教えてくれると助かる」


少し前の授業で当てられて困った時も、朝長が上手く助け船を出してくれたのだ。


「教えられるほど賢くないけど、まあ、小宮山いるから大丈夫だろ」


クラス一の秀才の名前を出した朝長に頷いてそうだね、と答える。


と、体育館の方からサッカー部の女子マネージャーが出て来た。


「朝長くーん!ちょっと手伝ってもらえるー?」


「呼ばれた。行くわ。じゃあ後でな。練習頑張れよ」


照れたように手を振って走り出した朝長に、後でねーと言って手を振り返す。


このくすぐったい毎日が、最近の愛果の日常だった。

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