熱愛未満な私たち ~失恋から始まる同級生とのお見合い結婚~
宇月朋花
第1話 初空月
自分の底意地の悪さが甲斐見える瞬間は、誰かが幸せそうにしているのを目の当たりにした時だ。
もうずっと前から分かっていたことなのに、それでも淡い期待をズルズル引きずって、宙ぶらりんのまま燻らせていた片思いは、彼女が彼の前で見せる表情のちょっとした変化がきっかけで、失恋確定の札がぶら下げられることになった。
せめて、涼川さんじゃなくて、他の全然知らない誰かが山尾先生の想い人なら良かったのに。
あの頃の私だったら、絶対に山尾先生は、涼川さんじゃなくて、私を選んだはずなのに。
込み上げてくる苦い思いを溜息をと共に吐き出して、ほら、こういう考えだから自分は幸せになれないのだと叱咤する。
すべての人間に人生のピークがあるのだとすれば、間違いなく
クラスメイトはおろか学年中、学校中の生徒が長谷愛果を知っていたし、放課後の愛果の予定を尋ねられない日は無かった。
クラスメイトに話しかければ男女問わず嬉しそうに照れ臭そうに返事が返ってきて、隠しようのない好意と羨望の眼差しは心地よくて、それに甘んじて天狗になることは無かったけれど、彼らは愛果の誇りになった。
当時クラスメイトだった涼川恵は、愛果とくらべれば地味な目立たない生徒で、彼女との接点はほとんど無かった。
だから、勤め先の山尾医院にある日彼女が現れた時には息が止まりそうになった。
学校中の生徒たちがダントツで可愛いと太鼓判を押してくれていた頃の容姿からはかけ離れた丸顔とふっくらとした体型の自分を見られたくなくて、必死に気づかない振りを通そうとしたけれど、目が合った瞬間彼女に気づかれて、ひきつった笑顔を浮かべて挨拶を交わすのが精一杯だった。
同窓会にも行っていないし、高校時代の友人とは疎遠になっている。
卒業してから10年以上経っているし、もう過去の自分は忘れられたと思っていたのに、恵の顔を見た瞬間、自分がどれくらい幸せな青春時代を過ごしたか、あのキラキラした時間にどれだけ焦がれていたのかを嫌というほど思い知らされた。
少しも忘れられていなかったのだ。
忘れた振りをしていただけだった。
だって、あれが唯一、人生で胸を張れる瞬間だったから。
どんな風に笑って、どんな風にはしゃいで、どんな風に友達とふざけあって大騒ぎして過ごしたかハッキリと覚えている。
一番笑って過ごせたひと時だった。
あのまま自分は明るい道をただひたすら真っ直ぐ進んで行くのだと思っていたし、その隣には、きっと彼が居てくれるのだろうと思っていた。
それは、儚い夢で終わってしまったけれど。
「ひ、ひさしぶり・・・・・・涼川さん」
ここは山尾医院で、自分は受付助手なのだから、自分から挨拶するのは当然だと言い聞かせて口を開けば、パチパチと瞬きをした恵が緊張した面持ちで口を開いた。
「ご、ご無沙汰です・・・・・・長谷さん・・・・・・」
抱えている男の子は恐らく彼女の息子なのだろう。
自分たちの年齢を考えると子供が一人か二人いたってちっともおかしくない。
真面目で堅実な人生を生きて来たのだろう恵が母親になっているのは、物凄くしっくりくる。
ああ、やっぱり自分は既定路線から外れてしまっているのだ。
「えっと・・・お子さん?」
「え!?あ、いや、この子はお姉ちゃんの子供で・・・いま面倒見てて・・・私はまだ独身で・・・」
「あ・・・・・・そうなんだ・・・・・・込み入ったこと訊いてごめんなさい」
恵の返事にホッとして、ホッとした自分にさらに嫌気がさした。
昔は、愛果が話しかけると緊張して言葉を詰まらせるのは相手のほうだったのに。
もしも、高校時代の自分だったなら、もっと溌剌とした笑顔を振りまいて自ら近況報告をしあったことだろう。
けれど、残念ながら近況報告できる内容がなにもない。
恵はあの頃と全く変わらない容姿で、あの頃と同じように眩しそうにこちらを見つめてきて、心底居たたまれなくなった。
そんな眩しい眼差しを向けて貰えるような、歳の重ね方をしてはいないのだ。
再会が何とも気まずい形だったので、それ以降愛果は自分から恵に話しかけることはなく、恵の方も、挨拶以上のコミュニケーションを取ろうとしてこなかったので、二人は受付助手と、患者の関係をずっと続けている。
けれど、それももう時間の問題だ。
山尾が本気で恵を捕まえるために走り出したら、彼女はきっと逃げられない。
そう遠くない未来、恵は院長夫人になる。
愛果が、朝長の次に唯一好きになった人のお嫁さんに。
以前勤めていた食品メーカーを体調不良で退職して地元に戻ってから、母親の勧めで勤め始めた近所の山尾医院は、静かで穏やかで、ストレスフルだった愛果の心と体を優しく癒してくれた。
何より一番嬉しかったことは、現在の愛果をありのまま受け止めて笑ってくれる山尾の存在だ。
父親の跡を継いで、若先生と呼ばれて地元住民から慕われている彼の温かい人柄に触れるたび、胸が高鳴って惹かれるのにそう時間はかからなかった。
高校時代をピークに目減りしていった自尊心は簡単に復活するわけもなく、静かに思いを募らせ続けていた愛果の前で、山尾が一度も見せた事のない柔らかい表情と声で恵の名前を呼んだ瞬間、鋭い痛みが胸に走った。
昔みたいに痩せていてもっと可愛ければ、あの頃のように自分に自信が持てていたら、もっと積極的に彼に自分の気持ちをアピール出来ただろうか。
勤務するスタッフ全員にいつだって平等に紳士的な態度を貫く彼が、相好を崩して気安い表情を向けるのは本当に心を赦した相手にだけ。
そして、それは自分では無い、とはっきり目の当たりにすると同時に、ああ、久しぶりの失恋だな、と苦い記憶が甦って来た。
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