第23話 鳴雷月
「で、何回デートしたんだっけ?愛ちゃんと朝長は」
「いちいちお父さんに報告したりしないわよ。っていうか、中学生じゃないんだから訊かないでよね、そんなこと!」
長谷家行きつけの割烹の個室で、料理人自慢の季節のお任せコースに舌鼓を打ちながら、日本酒でいい具合に酔っぱらった父親がいやらしい顔で尋ねてくるものだから、愛果も思わず自宅にいる時のような口調で言い返してしまった。
内向的になったのは外向きの長谷愛果だけで、長谷家の中では子供の頃と同じように快活な愛果である。
むきになって言い返す愛果の隣で父親のグラスに冷酒を注ぎながら、朝長が穏やかに口を挟んできた。
「4回ですよ。結婚するまでは遅くならないように送り届けますので」
「ちょっと朝長、なんで答えるの!?」
「だって別に隠すことないだろ。両家公認なんだから」
柔らかく笑んで、過剰反応しすぎだよと小さく付け加える朝長には一切の緊張が見られない。
このまま行けば将来の義理の両親になる長谷夫妻を前にしても如才なく振舞う彼は、まさにエリートサラリーマンの鑑のようだ。
一度だけドライブがてら挨拶に伺った朝長家の実家では、緊張しすぎてまともに話せなかった愛果とはえらい違いである。
「あらやだ、愛ちゃん、まだ朝長くんのこと名字で呼んでるの?他人行儀ねぇ」
母親からの指摘に、しまったと顔を顰めたがもう遅い。
本人には名字呼びの了承を貰っているのだからいいじゃないか別に。
名前が何であれ向かう未来は同じである。
もう後戻りはできないし、引き返すつもりもない。
「だって昔からそう呼んでるから・・・今更名前で呼ぶのは・・・ちょっと・・・・・・」
正直死ぬほど恥ずかしいのだ。
そりゃあ彼に恋焦がれていた高校生の頃は、いつか蘇芳と呼んでみたいなと思わなかったわけではない。
が、実際大人になった彼を目の当たりにしたら、とても呼び捨てになんて出来そうに無かった。
そのくせ朝長はあっさりと愛果の名前を呼び捨てにし始めてしまって、この何とも慣れた感じが物凄く悔しい。
愛果が知らない色んな経験が彼に余裕と自信を与えたのだろう。
高校生の頃のピュアな彼はきっともうどこにもいないのだ。
愛果が名前を呼ぶたびに照れたように笑ってくれた彼が懐かしい。
やっぱりここでも後れを取った気分だ。
いやもう周回遅れは決まっているのだけれど。
ごにょごにょと言い淀んだ愛果の言葉尻を掬うように、朝長が言葉を付け足した。
「愛果が照れ屋だってことを、俺も最近知りました。可愛いですよね」
「あらまあ」
嬉しそうに頬を染めたのは愛果ではなく母親だ。
「昔は、俺のほうが赤面することが多かったのに・・・ちょっと優越感感じるよ」
「確かに、昔の愛ちゃんはパパがカメラ向けるとすぐ笑顔を見せてくれたもんなぁ・・・カメラ嫌がるようになったのっていくつからだっけ?あれから愛ちゃんコレクションが途切れちゃったんだよなぁ・・・・・・」
「そのうち俺が大量に写真を撮ってお送りしますよ」
「ああ、そうだな。ぜひ頼むよ」
「撮らせないからね!?写真嫌いなの」
「昔は誰とでも映してたのに?」
使い捨てカメラが大流行していたあの頃、しょっちゅうクラスメイトや部活仲間たちと一緒に写真を写していた。
父親のおかげでカメラ慣れしていたせいもあって、いつでも満面の笑みを返せていた気がする。
「あ・・・・・・あの頃は若かったからよ」
「あのね、女性は年齢を重ねれば重ねるほど深みが増して綺麗になるのよ。若いころの愛果はそれはもう可愛かったけれど、今のほうがしっとりしててママは好きよ」
「俺もそう思います」
真顔で頷いた朝長が、父親が入れた冷酒を一気に煽る。
彼とお酒を飲んだのはこれで二度目だが、さっきから結構な量を飲んでいるにも拘わらず全く顔に出ていない。
そういえば、若手の間は飲み会も仕事のうちだと父親が酔った時に話していた気がする。
色んな経験を経て今の彼が出来上がったのだと思うと、離れていた十数年の彼にも興味がわいてくる。
「しっとりって・・・・・・褒めてないでしょ」
「褒め言葉だよ。愛果は肌も綺麗だし」
無茶なダイエットを繰り返して肌荒れをして、どんどん内向的になっていく娘を心配した母親が、真っ先にしたことは、美容医療に娘を放り込んで肌質改善することだった。
高給取りの夫を持つ長谷夫人は、時間とお金を持て余しており、可愛い娘のためならいくらつぎ込んでも構わないと、最新技術で愛果の肌を綺麗にしてくれた。
マスクをして俯き加減で大学に通い、講義が終わったら真っ直ぐクリニックに向かう数か月を経て、食事と睡眠がいかに美容と健康に重要かを思い知らされた愛果は、その時の経験から食品メーカーに就職しようと思ったのだ。
あの時は、とにかく少しでも昔の自分を取り戻そうと必死で、綺麗な肌を手に入れてからはとにかくそれだけは守ろうと躍起になって来たけれど、隣から聞こえて来た賞賛の声に、あの日々が一気に報われた気がした。
こんなことを繰り返していたら、あっという間に朝長に惹かれてしまいそうだ。
映画館デートの後、休日のドライブと、食事デートに出かけた。
朝長はあの日宣言した通り、ゆっくりと愛果との距離を詰めて来て、それは決して強引ではなくて、今では、山尾の顔を思い出す時間もぐんと少なくなった。
”急がなくていい”
という言葉が、逆に愛果を、朝長とちゃんと向き合わなければという使命感に駆り立てたのだが。
大人になった朝長を実感する度、あの頃より減ってしまった自分の魅力にげんなりするのは相変わらずだけれど、俯くことは少なくなった。
それは、愛果が視線を下げるたびに朝長が愛果を迎えに来るからだ。
掬い上げるように顔を覗き込まれると、俯くわけには行かなくなって、視界が上を向くと、自然と気持ちも上向きになる。
人込みで繋いだ手を、駐車場の手前まで来ても離したくないと思ってしまった時に、自分のなかで、一つトラウマが消えたような気がした。
このまま朝長といたら、本当に変われるかもしれない。
そんな気持ちにさえなってくる。
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