第41話
何が起こったのか、理解が追いつかなかった。草薙のもとに駆け寄ってきた部下の頭が、突然破裂したかと思うと関の視界は赤く染まった。
顔を濡らす液体は血と脳漿が混ざり合い、頬に吹き飛んできた歯が当たって足元に落下した。それまでの弛緩していた空気が途端に消え去り、全員の顔に緊張が走る。
李の手下がまだ残っていたのか? 首を左右に振って襲撃者の姿を探したが、人の気配などまるで感じない。
「関さんッ、こっちへ来てください!」
複雑に絡み合う可能性の糸。振りほどくように手首を掴む草薙の切迫した声が、事態の深刻さを表していた。
音もなく、気配もなく二人を殺した者が誰であろうが、自分達を狙っていることに変わりはない。必ず見つけ出して殺す。
奥歯を軋ませながら草薙に導かれ、マイクロバスの裏側に逃げ込み身を隠した関は、スマホを取り出して時東に電話をかけた。
「も、もしもし……」
「今すぐライトを切るんだ」
上擦る声の時東に要件だけ伝え一方的に電話を切った。すぐさま日吉にも連絡し、同じ内容を繰り返す。ヘッドライドが順番に消されると、あたり一帯に密度の濃い闇が垂れ籠める。
「完全に後手に回りましたね」
バスの車体に背中を預けていた草薙が、普段の飄々とした声色とは打って変わって低い声で話しかけてきた。硬く、強張り、これまで見たことがないほど真剣で余裕のなさが窺えた。
マシンガンを間断なくぶっ放す紛争地でさえ、笑顔を絶やさなかった男がだ。
誰も正体不明の襲撃者について口にする者はいない。襲撃者が誰なのか、人数も定かでない状況下での仮定は、咄嗟の対処の際にコンマ数秒判断を遅らせる要因となりうる。
そのことを肌で知っている草薙達だからこそ、二度も醜態を晒すとは思えない。思えないが、その一方で肌に纏わりつく空気は、得体の知れない緊迫感を孕んでいた。
背中から、脇から、額から吹き出す汗。闇夜にも関わらず、二人の頭をほぼ同時に射抜く技量は、草薙をもってしても真似ができるかどうかの至難の
五分、十分――互いに次の一手を繰り出さぬまま、重苦しい時間が流れる。これ以上忍耐を強いられるのは耐え難い苦痛だったが、隣に視線を送るも草薙は静かに首を横に振っていた。今は、まだその時ではないらしい。
「ここは、僕に判断を委ねてください」
一瞬とはいえ、襲撃者相手に後手を踏んで身を隠している自分に、猛烈な怒りが沸いた。この関克洋が恐れることなどありえない――最後に笑うのは自分だ。
自分に強く言い聞かせ、草薙の申し出に頷いて答える。どれだけ襲撃者の腕が立とうが、本気になった草薙を相手に通用する人間が、この日本にいるとは思えない。
痺れを切らした部下の一人が、車体の陰から顔を出して様子を窺った瞬間――目の前で後頭部が頭蓋ごと四散した。骨と肉片が一緒くたになったシャワーがアスファルトに降り注ぎ、二、三歩後退った頭部なき体は、仰向けに転がって動きを止めた。
――なんだこれは?
関の思考は袋小路に嵌っていた。最初の奇襲は、こちらに隙があったことを素直に認めよう。だが、警戒してこのザマは一体何なんだ?
上海マフィア、李をトップとする流氓どもを駆逐したまではよかった。あとは五億の金を李に変わって受け取るだけのはず――それが、どうしてこちらの部隊が一人、また一人と消されて追い詰められている。
いったい、誰がこのような真似をしでかしてくれたんだ。血管を流れる血が沸騰する。その時、関の脳裏に宝来とともにいた外人の顔が浮かんだ。
氷の瞳を浮かべるあいつなら――。
渇いた喉を唾が伝い落ちる。その刹那、マイクロバスの窓ガラスが一斉に割れ、バスの車内で震えていた密航者どもがパニックに陥り車外へと一斉に飛び出した。
蜘蛛の子を散らして逃げる金の成る木。逃がすとういうことは即ち、金を手放すということに等しい。時東が必死に密航者を連れ戻そうとしていたが、命の危機に瀕している連中がいうことを聞くはずもない。
「これは敵側の撹乱です。今すぐ、ここを離れましょう」
「どういうことだ。少なくともここにいれば」
「ごめんなさい。説明してる暇はないんです。早くここから移動しないと」
有無を言わさぬ気迫に、仕方なく提案を受け入れた関の目は、確かにその姿を捉えた。全てがスローモーションに映った。
自分の言葉を遮ってまで、ここに留まることを危険視した草薙の背後、バスの影から銃口を向けて現れた襲撃者の姿を。
関の視線に危機を感じた草薙が振り返るのと、激発音が立て続けに轟いたのはほぼ同時のことだった。一発は残り一人となっていた部下の頭部に命中し、膝から崩れ落ちた。草薙は肩、腹に被弾したものの、体勢を崩すことなく応戦して放った銃弾は男が立っていた宙を切り裂いた。
それ以上の追撃をしてこなかった襲撃者は、踵を返して走って逃げていく。なにが目的だ、お前は一体何者なんだ。
「追えッ! 生きて帰すなッ! しくじったらテメエも後はねえぞッ!」
怒りが限界を超え、草薙の背中を思い切り蹴り飛ばす。それでスイッチが入ったのか、それともプライドが傷付いたのか知らないが、温度をなくした瞳を関に向けると無言で襲撃者の背中を追っていった。
精密な射撃技術にくわえ、大胆にも密航者の群れの中に混じって接近してくる強かさ――月光に淡く照らされた顔は、間違いなく宝来とともにいた外国人の男で間違いなかった。
予感は最悪な形で的中してしまった。つまり、この襲撃の絵を描いていたのは、長年鼠と侮って相手にしなかった宝来ということになる。
屈辱の炎で体が焼き尽くされていく。我慢の限界を迎え、殺戮衝動に身を委ねてバスの陰から駆け出すと、視線の先で草薙がアスファルトに膝をついていた。
真下に夥しい量の血が滴っている。視界の隅には事切れた時東が俯せに倒れ、いつの間にか密航者の姿は散り散りとなって足音が遠ざかっていく。
「これは罠ですッ! 関さん、逃げてくださいッ!」
視線を正面に留めながら、悲鳴に近い声を上げた草薙の声が最期のものとなった。
次の瞬間に草薙の頭は仰け反り、大の字で月を見上げる。もう二度と起きあがらないことは、額から伝い落ちる黒い血の跡が証明していた。
シングルハンドで構えていた男の銃口が、ゆっくりとこちらに向けられた。風に乗って聴こえるパトカーのサイレンが、関の敗北を宣言した。
「貴様は……絶対に殺してやる」
牽制に一発銃弾を放つと、運転手を失ったバスに乗り込んで運転席に滑り込んだ。ギアをドライブに入れてアクセルを全開に踏む。
アスファルトを噛むタイヤの異臭。フロントガラスを突き破る弾丸の雨霰。工場跡地へ雪崩れ込む複数のパトカーを潜り抜け、関は闇夜を駆け抜けた。
自分とは無縁のものだと思っていた死神の存在を、今では隣にはっきりと感じる。
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