第40話

 光源には心許ない街灯を受けて走るマイクロバス。運転席でハンドルを握る時東が右へと切ると、先頭の座席に座っていた関の重心が僅かに左へとずれ動く。

 車内にはフル稼働させている空調も意味を為さないほどのすえた臭いが充満していた。


 今が真夏でなくて本当に良かった。

 首を後ろに巡らせ、臭気の元凶である密航者達に目を向ける。全員が全員、これがビジネスでなければ死んでも近付きたくない身形をしていた。


 ある者は汗で黄ばんだTシャツを纏い、ある者は垢で黒ずんだ首筋を痒そうに掻き毟り、ある者は憔悴しきった顔で宙を見つめている。乗車している奴らが揃いも揃って不法入国を犯しているため、当然バスの窓にはスモークフィル厶が欠かせない。


 後方に流れていく街灯に照らされる顔は、溝鼠のように薄汚かった。糞尿が垂れ流しの劣悪な船底でダニやシラミとともに雑魚寝しながら――日本に渡れば金が稼げると信じて渡ってきた愚か者の末路など、一欠片の興味もない。


 関は密航者達の一生分の収入に値するオーデマ・ピゲに視線を落とす――ダイヤの文字盤は定刻通りに計画が進んでいることを告げていた。


 直に全てが手中に収まる。李を殺して、密航者ごと五億の金は俺のものとなる。多少のイレギュラーが発生したものの、おおよそ想定通りに事が運んでいるといってよかった。


 バスがスローダウンして工場跡地へ侵入すると、先に到着していた李達が闇夜に浮かぶ懐中電灯の灯りを合図に関を案内する。ヘッドライドが照らす先――李、王、郭……その他の流氓七名がバスを凝視していた。もれなく利き手にはトカレフが握られている。


 十メートルほど離れた位置に横付けさせ、続いて時東の後釜に就いた日吉ひよしが運転するもう一台のバスが、横に並んで停車した。


 とうとう、この時が来た。満を持して席から立ち上がると、不安げな視線が背中に集まる気配を感じた。これから繰り広げられる地獄絵図を想像すると、苛立たしい臭気も僅かに薄れる気がした。


「扉を開けろ」


 今にも暴れ出しそうな殺戮衝動を抑え、関は時東に短く告げる。極度の緊張で顔面を蒼白にさせていた時東が、小さく頷きながら扉を開いた。


 ステップを降りた関を出迎えた李は、相変わらず上海マフィアのボスだと思わせないシンプルなシングルスーツを纏い、口元に笑みを浮かべつつ歩み寄ってくる。


 両脇を固める王と郭は、いつでも銃弾を放てるように殺気を放って、周囲を警戒している。どうやら、暗がりに紛れ込んている草薙達の存在には気がついていないようだった。


「関先生、お忙しい中、ご苦労様でした。何も変わったことはないですか?」

「ええ。無事に一人も欠けることなく運び入れることができました。一重に李先生の助力があってのことです」


 これが最後だと思えば、李を必要以上に持ち上げてやるのも、そう悪い気分にはならなかった。


「またご謙遜を」

「いえいえ。所詮、私は李先生の言う通りに動いただけですから。それでは奴らをバスから降ろしますので、少々お待ちください」


 李が、最後に見る微笑みを残して関は踵を返した。バスに再び戻ると、時東に向かって無言で頷く。振り返ると、警戒心がいくらか薄れた流氓どもが、上海語で互いに会話をする余裕を見せていた。


 冷笑を浮かべ、別れの挨拶を告げる。時東が計画通りに扉を閉めた直後――李の背後から死神の足音が迫っていた。


        ✽✽✽


 扉を閉めたバスに違和感を感じた王が、誰よりも先に体を反転させた瞬間に舞台の幕が切って落とされた。ブザー代わりの撃発音が闇夜の静寂を切り裂き、護衛三名が瞬く間に俯せに倒れる。


 シングルハンドに構えた草薙が、身を潜めていた物陰から飛び出すと三十メートルほど離れた距離から引金を絞った。多少腕に覚えがある奴でも体に当てることも難しい距離で、さらにもう一人、まだ事態を把握できていない護衛の頭部を破裂させ、脳みそを撒き散らして倒れる。


 襲撃者の存在に気がついた王と郭は、上海語で罵声を撒き散らしながら血相を変えて草薙に応戦した。銃口を向けられると華麗なステップで横に転がりながら避け、態勢を立て直すと同時に狙いを定める。


 突如現れた襲撃者に、全員の視線が否が応でも釘付けとなる。それが目的だとも知らずに――。


 李と護衛を取り囲むように配置させていた草薙の部下四名が、一斉に駆け出す。草薙より劣るとはいえ、紛争地で鍛え抜かれた腕前は本物。


 突然、暗闇から姿を表した襲撃者達の正確な射撃に、為すすべもなく一人、また一人と息絶えていく。咄嗟のことに意識が散漫になった郭の頭が、次の瞬間に草薙が放った弾丸によって粉砕される。


 瞬く間に流氓どもは肉塊へと変貌していく。頭蓋は砕かれ、アスファルトに血と脳みその華を咲かせ、吹き飛んできた肉片が窓ガラスに付着する。


 それまで呆気にとられて外の地獄絵図を見ていた密航者どもは、思い出したように叫びだす。喧しい金切り声に殺意を覚えた関は、近くいた爺の眉間目掛けて拳銃の引鉄を弾いた。


「黙れ」


 首を仰け反らせて絶命した爺の後ろ、運悪く貫通した銃弾が後方に座っていた青年の腹部を貫き、苦悶の表情を浮かべていた。


 興味をなくして視線を外に目を向けると、王と李を残して護衛は全て骸と成り果て、生き残っている二人も被弾して動きに精彩を欠く。


 対称的に、ダンスでも踊るかのように飛び交う銃弾を避け続ける草薙は、マガジンチェンジの隙を見せた王の肩を射抜いた。負けじと王が放った銃弾は草薙が立っていた地面を抉る。


「ドアを開けろ」

「え? いや、しかし」

「いいから、早く開けろッ!」


 渋る時東に声を荒らげ、銃口を向ける。 

 言うことを聞かなければ本気で引鉄を引くつもりだった。


「わ、わかりました」


 そうそう生でお目にかかれない殺戮ショーを前に、関の頭蓋内では脳みそが限界まで沸騰していた。体中を巡る血液が逆流し、内側に飼っている衝動ほんのうが熱く燃えたぎっている。


 昔から変わらない。野望のために綿密な計画を立てる自分がいる一方で、鉄鎖も引きちぎるほど凶暴な自分がいる。権力と金に固執した途端、武闘派と呼ばれた猛者達が尽く牙を抜かれていく様を何度も目にしてきた。


 だが、自分は違う。権力も金も、その根幹をなしているのが暴力であることを知っている。裏を返せば、暴力を失えば、自分も蹴落としてきた連中と変わりがなくなってしまう。いつの日か牙を向ける獣に足をすくわれるのが落ちだ。


「関ッ、貴様ッ!」


 全ての黒幕――関の姿を視界に入れた李は、絶叫しながらダブルハンドでトカレフを構える。銃口を向けられるより先に引鉄を引いた。


 乾いた激発音、跳ね上がる両腕、眉間に銃弾が命中した李は、呪詛がこもった視線を関に向けながら勢いそのままに俯せに倒れた。


「こっちも終わりましたよ」


 何事もなかったように話しかけてくる草薙は、傷一つ負うことなく王の急所を的確に射抜いて殺害していた。こちらの被害はゼロに抑えつつ、短時間で上海マフィアを無力化した戦闘力は文句のつけようがない。


「流石だな、草薙」


 歩み寄って手を差し出した瞬間――風向きが変わった。屈託のない笑みを浮かべていた草薙の顔から初めて表情が消え、何かを感じ取ったのか足を止める。


「危ないッ!」


 突然叫んだかと思うと、関は胸を押されて、たたらを踏んだ。その直後、無傷で上海の流氓を殺害してみせた草薙の部下の頭が破裂した。それも、ほぼ同時に二名の頭が。

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