第36話

 関は、重苦しい空気が充満している室内に、雁首揃えて居並ぶ面々に視線を這わせた。黒大理石の特大テーブルを囲むように、コの字型に配置された椅子に座っているのは、緊急招集を受けて集まった各ブロックの幹部連中。


 とは言っても、組長もいなければ舎弟頭もいない、頭を失った耄碌もうろくジジイの烏合の衆でしかなかった。

 当然、前向きな議論が検討されることもない。


 全員が全員、眉間にシワにを寄せ、危急存亡のときをいかにして乗り切るか、延々と下らない議論とも呼べぬ罵り合いに終止している。


 一刻も早くこの老害どもを駆逐する必要があると覚悟を一層強めた関は、一旦茶で喉を潤すと咳払いを一つし注目を自分に向けた。


「皆様にお話しなければならない事実があります」

「なんだ、関。この緊急事態に一人黙りこくっておったくせに、下らない話なら若頭とて許さんぞ」


 想定通り食ってかかってきたのは、義堂派の中で最も関を忌み嫌っている人間、若頭補佐の忍野おしのだった。抜き身の刃のような、胡乱な眼差しを関に向けて一丁前に殺気を放っている。


 今年還暦を迎えた忍野は、かつて若頭の立場を関に奪われて以来なにかにつけ関を目の敵にしているが、直接暴力チカラで訴えるような真似も出来ない臆病者チキンである。


 いくら凄んだところで見てるだけしか出来ない木偶の坊に用はない。自分が頂点に君臨したとき、真っ先に斬り捨てる老害の一人である。


「お亡くなりになった舎弟頭が、中国人に弾かれたことは皆さんもご承知のことでしょう。その中国人の正体ですが、実は中国マフィアのヒットマンだったのです」


 これも想定通り――どよめきが室内に伝播し、関派についている面々は押し黙って聞いている姿とは対称的に、義堂派の面子は関の言葉に気色ばんで一斉に立ち上がる。


「な、舎弟頭が、中国の不良と関係してたって言うのか!?」

「馬鹿言うなッ! 貴様の方こそ黒い噂が絶えないと聞いているぞッ」

「この場で舎弟頭を愚弄したんだ。吐いた唾は飲めねえぞッ!」


 ハナから自分の言葉を信じるものが、義堂派はもとより関派に鞍替えをした連中の中にも存在しないことは理解している。

 混ざり合う怒号は、所詮時代に追いやられた負け犬遠吠えでしかない。


 より未来さきを見据えている自分にとって、付き合う価値もない連中ではあるが、もう少しだけわがままに付き合ってやる必要がある。

 不満、怒りというガスを適度に抜いてやらねば、メンツを何より尊ぶ連中を支配することはかなわない。


「これは、独自に入手した情報ネタですが、舎弟頭は以前から中国マフィア、上海の流氓と接触を図り、大竹組が禁忌としているシノギに手を出していたのです。目的は圧倒的な武力と金。日本の闇社会を代表する大竹組の看板のおかげで、接触はすんなりと成功しました。上海マフィアも歌舞伎の覇権争いを福建マフィアと競い合っていた時期で、力を欲していた時期です。話はトントン拍子に進み、人身売買、偽装結婚、臓器売買、密入国ビジネスと次から次に手を出しました。蜜月関係は二十年にも及び、互いの地盤も固まりつつある中手間舎弟頭は、時期組長の座を意識するようになり、上海マフィアとの関係が露見するのを恐れて私に罪をなすりつけようと画策したのです。その計画は皆様もご存知の通りですが、具体的な証拠がないこともあって、所詮噂の域を出ないお粗末なものでした。事態が動いたのが組長オヤジの急病です。現役復帰が難しいと判断した舎弟頭は、跡目争いで確実に指名票を集める必要に迫られ、そこで邪魔になったのが上海のマフィアとの関係です。この機に関係を清算しようと企んでいたことを李に知られたのが運の尽きでした。李というのは上海マフィアのボスで、一方的な裏切りが李の逆鱗に触れてしまったのです。奴らにとって舎弟頭は、かけがえのない存在であり、深くを知りすぎた、危険人物でもあるのです」


 一息に話したことで口が乾き、改めて喉を潤して話を再開する。今度は口を挟む愚か者はいなかった。


「本来であれば、組長にすぐ伝えるべきでした。しかし……病を患って床に伏せた今、このような組の屋台骨を揺るがすスキャンダルを伝えてしまえば、弱った心臓に追い打ちをかけることは必至だとは思いませんか?」


 関は、沈痛な面持ちで全てを自分にご都合のいい作り話に脚色した。

 死人に口無し――義堂には地獄の底まで罪を背負って落ちてもらう。


「で、でたらめな言葉を抜かすんじゃねえ! それこそなんの証拠もねえじゃねえかッ」


 本部長である島津が、椅子を蹴り上げて声を裏返させた。


「私は真実しか述べてません。それでも信じられないと言うのであれば、こちらも納得させるだけの証拠をご用意するのも、吝かではありませんが」


 ここには議論をまとめる者がいない。既に場の空気は関が握っているに等しかった。席につけ、と冷え切った声で着席を促すと島津は震える唇を食いしばって、椅子に尻を沈めた。


「少々時間をください。私が李を始末します。皆さんが私と上海マフィアの関係性を疑うのであれば、奴らを一掃することが何よりの証拠になることでしょう。無論、私の証拠が残らないように手筈を整えてからですが」


 計画の変更こそあったが、着地点は変わらない。過去最大規模の密入国ビジネスの場で、油断している李を、上海マフィアごと草薙とその仲間達に始末させる――。


 組員名簿にも記載されていない草薙達の反抗に、警察の捜査の手が及ぶことは断じてない。ただでさえ尻込みする中国マフィアの死屍累々を前に、真実に蓋をして闇に葬ることは目に見えている。


 もう、反論を試みる者はいなかった。

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