第35話

『本日十二時過ぎに、新宿区西新宿の路上で発砲事件が起こりました。警察の発表によると死亡者は九名にのぼり、七名は現場近くのビルに事務所を構える轟連合の組関係者であることが判明しています。二名の被害者はたまたま発砲現場に居合わせ、事件に巻き込まれた模様です。目撃者の証言によると、複数の中国人と思われる集団が拳銃を手に道路を横切り、事務所へ戻ろうとしていた轟連合の関係者めがけ突然発砲したとのことです。警視庁捜査四課は対立組織との間に起きた抗争事件と判断し、新宿署に合同捜査本部を設置して――」


 カーラジオから流れるキャスターの落ち着き払った声を遮り、今日で何度目かわからない着信音がハイエースの車内に鳴り響く。


 煙草一本吸う暇も与えない着信の連続に眉をひそめ、舌打ちをして電話に出る。相手は大竹組本部長の島津からだった。


「オイッ! 舎弟頭カシラが弾かれたぞ!」


 もちろん知っている。この関克洋が描いた絵なのだから――。嗤いを噛み殺して、身内を殺され怒りと無念に打ち震える演技を続ける。


「ええ、信じ難いですが……そのようですね。ウチの若い衆が、たまたま現場近くに居合わせたみたいで現場を目撃していたらしくて、撃たれた舎弟頭は明らかに即死だったみたいです」


 語尾を飲み込んで、喉から台詞を振り絞る。電話越しに響くガラスが割れる音。怒号。島津の動転ぶりが手に取るようにわかる。


「それより……弾いた犯人は中国人らしいじゃねえか。中国人の不良共との付き合いが御法度の大竹組で、昔気質の舎弟頭が中国人と揉めてる話なんざ聞いたことがない。なにか、知っていることはないか?」


 少なからず関の良からぬ噂を耳にしている島津の、探りを入れるような問いかけにも律儀に答える。


「そのことですが……緊急幹部集会で皆さんにお伝えしたいことがあります。その場で私が知っている限りの事実をお話するつもりです」


 まだなにか言い足りない様子の島津を無視して、電話を切る。ひっきりなしに横切るパトカーを眺めつつ、これから大竹組を待ち構えているの茨の道を思い描く。


 大竹組関係者が被害者の立場だとはいえ、一般人を巻き込んだ事件にマスコミのハイエナどもは色めき立ち、こぞって取材攻勢を強めるだろう。


 警察も治安維持の維新をかけて、本腰を入れて捜査に当たるに違いない。だが、抗争事件の主役でもある中国マフィアが捕まったとして、裏切り即ち、己と祖国の肉親の死を意味する密告チンコロを奴らがするはずもない。


 事情聴取一つとっても専属の通訳を介する必要があり、下手をすれば自らに災厄が降りかかりかねない捜査を率先して行う刑事がいるとも思えない。

 警察が、中国マフィアと大竹組のどちらに力を注ぐかは明白である。


 世間は面白おかしく、跡目争いの真っ只中にいた関と義堂の関係性に注目するだろう。警察の長時間に及ぶ取り調べも心しておかなければならない。事務所封鎖も十分考えられる。


 大竹組史上、最も困難な道を進まなくてはならないだろう。しかし、これもまた産みの苦しみだと考えれば、さほど苦にはならなかった。


 この苦難を乗り越えた暁には、己の野望が実現する日もそう遠い未来ではなくなるのだから――。


 ラジオのニュースが政治家の汚職事件に切り変わったタイミングで、再び手元で着信が鳴った。輝かしい未来を思い描いていた気分に水を差され、不機嫌さを隠さずに電話に出る。


「俺だ」

「お疲れ様です。草薙です。聴きましたよ、西新宿の一件。なかなか派手にやられちゃったみたいですね。確か、あのビルって関さんと跡目争いを競っていた義堂さんの事務所が入ってますよね?」


 草薙――自分を相手に、飄々とした態度を崩さず軽口を叩けるのは、世界広しと言えど草薙の他にお目にかかったことはない。本来であれば関の逆鱗に触れるところだが、そうさせないのは誰より陽気で屈託のない笑顔――人たらしともいえる気質が為せる技で、誰にでも取り入る自然体は才能と言い換えてもいい。


 普段は表の世界で堅気の仕事に就き、人畜無害の仮面を被っているが、その実態は関が個人的に雇っている戦闘のプロ集団のリーダーである。


 組員名簿にも記載されていない彼等の存在は、本家も、側近の三枝も時東も知らない。まさに透明人間――自分さえシラを切り続ければ、邪魔な身内を闇に葬ったところで自分に被害が及ぶことはない。


 万が一、彼らの素性が発覚した場合は口を割る前に切り捨てればいいだけの話。


 現在二十八歳の草薙は、二年前まで何かと黒い噂が絶えないアメリカの民間軍事会社〝ブラックウォーター〟に所属する傭兵だった。戦闘に関しては一流の技術を有する猛者が集う組織で、身長はせいぜい百七十センチ半ばと、決して恵まれた体躯とは呼べない日本人が虚仮にされるのは何時の時代も当然の話。


 だが――一年も経たずに草薙は、ブラックウォーター設立以来の〝天才〟と称されるまで昇りつめたというのだから驚きだ。


 表舞台に名を残すこともない秘密任務に従事し、平和ボケした日本人の思考では到底理解が及ばない地獄のなかでも、持ち前の陽気さを失わずに生き抜いてきた実績の数々は修羅の道を歩み続けてきた関から見ても贔屓目なしに超一流――間違いなく本物だった。


 その男の指揮のもと、月に一、二回のペースでニュースにも取り沙汰されない紛争地に赴き、部下とともに射撃訓練を行っている。的は人形ターゲットではなく、生身の人間――所持できる弾数は予め制限されたうえで、平常心を失わずに的確に迫りくる人間を殺す技術スキルは、通常の射撃訓練では何年かかっても得られない。

 故に、リスクも伴う。


 リスク――つまり死である。


 アスリートが自らの寿命を縮めてまでドーピングを施すように、短期間で技術の底上げを図るには死と隣合わせの危険に身を置かねばならない。


 実際、二年前に発足した部隊の面子は人数こそ同じだが、生き残ってるのは草薙のみ。あとは異国の地で土となり、国内ではありふれた失踪者の一人として扱われている。


「まあな。、お前達こそ溝鼠相手に遅れを取ったりしないだろうな」


 普段は冗談を言う口ではないが、草薙と言葉を交わすと下らない冗談の一つも言いたくなる。例え、王と郭が万全の状態で挑んでこようが、草薙が相手では勝負にもならないことを熟知しているから。


「やだなあ。僕達が失敗を犯すと思いますか? 万が一にも、ありえません。その為に常日頃の訓練を怠らないんですから」


 声こそ快活に笑ってはいたが、その言葉の裏には壮絶な修羅場を潜り抜けてきた者特有の、絶対的な自信が見え隠れする。草薙には、それだけの権利がある。


「冗談はさておき、これだけの騒ぎだ。俺も何かと忙しくなるが、深夜には連絡を入れる。お前には期待をしているからな」


 任せてください、と買い物を頼まれたかのように気軽に返事をすると草薙の名を呼ぶ声が電話越しに聴こえ、一方的に電話は切られた。


 終了ボタンをタップして瞼を閉じた関の脳裏には、血の海の中で息絶える上海の鼠共の屍体が浮かんでいた。

 煙草の穂先に火を灯し、肺腑の奥深くまで紫煙で満たす。


「車を出せ。ベンツに乗り換えて本家に向かう」


 聞き耳を立てていた二人に短く告げると、野望への階段を登るエンジン音が唸りを上げた。

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