第34話

 少しでも押し黙ってしまえば、迫りくる不安に押しつぶされてしまうかのように三枝は多弁だった。時東は口数こそ少なかったが、心中を表す貧乏ゆすりが鬱陶しい。


 シガーポケットに煙草を押し当てる関の脳裏には、これから血の海に沈む義堂の顔ではなく、昨晩顔を合わせた男の氷の表情がちらついていた。


 自分と対峙して一歩も引かなかった男――数多の同業者ヤクザから畏怖される自分を、まるでこれから仕留める獲物を観察するように眺めていた。


 奴は一体何者なのか? まさか本当に宝来のもとで働く鼠だとは到底思えないが、嘘を証明するだけの根拠がない。


 自分がそうであったように、この世界ではトンビが鷹を従えていることは、ままあること。あの男が、どれほど有能で腕が立つとしても、自分の行く手を阻もうものなら一片たりとも容赦はかけない。


若頭カシラ! 到着しましたッ」


 震える三枝の声に、ゆっくりと瞼を開く。監視していた雑居ビルの正面に、一台のアルファードが停車し、直後にベンツマイバッハが周囲の注目を集めながら続く。


 先に停車したアルファードのスライドドアから、飛び降りてきた五人の護衛がベンツへと駆け寄ると仰々しくエントランスまでの数メートルを二手に分かれて整列した。


 突如進路を遮られた通行人は、一瞬顔をしかめるも事態を把握すると、踵を返す者や、怖いもの見たさで立ち止まる者まで様々だった。


 護衛の一人がリアシートのドアを開ける。三枝と時東が、同時に唾を飲み込む音が鳴った。関の視線は、呑気に愛人と温泉旅行にでかけていた平和ボケの老人、ゆったりと降り立つ義堂司を捉えている。


 護衛は周囲を見渡してはいるものの、それが形式だけの警護であることは漂う空気が如実に物語っていた。

 まさか、夢にも思っていないだろう――あと数十秒後に訪れる死の未来を。


「ご苦労さまですッ」


 両手を後ろ手に組みながら、上体を九十度に折り曲げる護衛の間を肩で風切りながらエントラスに吸い込まれていく義堂。

 行くなら今だ、そう心のなかで呟いた関の視線は、前方に停車していたワゴン車から勢いよく飛び出した七人の男共に向かう。


 顔も隠さず、全員の手には拳銃が握られている。誰よりも先に飛び出したのは、李が全幅の信頼を寄せている拳銃の使い手――王だった。


 異変にいち早く気がついたのは、通行人の中にいた杖をついて歩いている老人――殺気を撒き散らしながら車道に飛び出し、一目散に駆け抜ける上海の流氓を呆然とで目で追いかけていた。


 いまだに迫る凶獣に気が付かない護衛達は、けたたましいクラクションが鳴り響いてようやく異変に気がつく。


「会長ッ、こちらへ!」


 怒号と銃声が交錯した瞬間、護衛の一人の頭部から盛大に血飛沫が吹き飛んだ。側にいたOL風の女は、脳漿混じりの鮮血を顔面から浴びると気が触れたように悲鳴を上げる。すると、王は歩みを止めて振り向くと、女の頭に銃口を向けた。


 次の瞬間に女の首が仰け反り、アスファルトに仰向けに倒れる。自分達が狙われていることを悟った護衛に、引き摺られるように遁走する義堂の顔が正面から見れないのが悔やまれた。


 背後に迫る流氓が乱れ撃つ。オフィス街に反響する乾いた銃声。蛛の子を散らすように逃げだす通行人。果敢にも、義堂の盾になろうと徒手で立ちはだかった護衛の頭が、西瓜のように破裂したのは一瞬だった。


 驚くべきは王と郭の射撃技術――二挺の拳銃を両手に構え、寸分の狂いもなく標的を殺害していく様は、いっそ惚れ惚れする美しさである。


 護衛が為す術なく斃れていく光景に、義堂は脚をもつれさせながら関が乗るハイエースへと駆けてくる。当然、自分が鑑賞してることなど知る由もない。前時代の遺物が、とうとうアスファルトに弱った足腰を取られると前のめりに倒れた。


 その隙に王と郭が追いつく。

 気せずして最前席での終幕フィナーレを迎える――絶景だった。


「た、頼むから見逃してくれ……金か!? 金が欲しいのか!?」


 腰を抜かして命乞いをする義堂の周囲を囲うように、護衛を全て排除した残りの流氓も合流する。それまで能面を貫いていた王の唇が、微かに吊り上がった。


「いくらほしいんだ、言い値を支払うぞ、いくらなんだ――」


 義堂の命乞いを掻き消す銃声。次から次へと火を噴く銃口。地面に転がる薬莢やっきょう。立ち昇る硝煙。黄褐色の脳漿と真紅の鮮血。腹から垂れ流される内臓。


 一度に数十発被弾した義堂の体は原型をなくし、そこここに内臓、肉片、血飛沫が飛散する。肉塊と化した義堂の姿を、車内で言葉をなくして眺めていた三枝は堪らず嘔吐し、生臭い匂いが充満する。


 断末魔さながらになり続けるクラクションに混じって、パトカーのサイレンが聴こえると王、郭等は踵を返してハイエースの横を駆け抜けていった。


 スモークフィルム越しに、ちらと視線が交わる。――これで満足か。そう訴えているようだった。


「ここまでする必要があんのかよ……。堅気まで巻き添えにしやがって!」


 吐瀉物を袖口で拭きながら、怒りに満ちた声で三枝が吠える。


「もし、俺が同じ立場でも、同じようにしただろうな」


 関の言葉に、血の気を失った顔で振り返る目は、鬼畜を見る目だった。鬼畜で結構、ついてこれないやつは斬り捨てるだけだ。まだ、二人は理解していない。


 上海の凶獣を制し、日本の極道の頂点に立つには誰よりも鬼畜にならねばならないことを。


 いつの間にか流氓が乗っていたミニバンは走り去っていた。いつまでも背中を波打たせている三枝の背中を、サイドシート越しに蹴り上げる。いくらかマシな時東に車を出すよう促す。


「さっさと車を出せ。少し早いが、ランチと洒落込もうじゃないか」

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