第31話

「なんだって? 今なんて言った」

「だから、怪我や病気で身動きが取れない人を助けに行きたいから、首都まで行く手伝いをしてって言ったの」

「正気か? 確かに一時より戦線は遠ざかってるが、今も砲弾が無差別に飛んでくるようなところだぞ」


 思わず飲みかけていたインスタントコーヒーを吹き出しかけたケビンは、断られることを想定していない態度の木之下の正気を疑った。


 戦地に夥しい血が流れ続けた結果、戦局は反政府組織がわずかに戦線を押し進めていた。その最前線に位置する首都の小児病院に、政府軍が放ったミサイルが着弾したという話を聞いた木之下は、すぐにでも様子を確認しに出かけようとスタッフに説得を試みた。


 当然のごとくスタッフには猛反対され、馬鹿な真似はしないようにと引き留められたのだが諦めきれず、矛先を向けられたのがリハビリも順調に進んでいたケビンだった。


「危ないのはわかってるわよ。だけど、病院には今も助けを待っている子供達がいるかもしれないじゃない。放っておくなんて私にはできない」

「それで、俺に護衛をお願いしたいと」

「やるの? やらないの? それともやっぱり、傭兵だから無料タダではお願いできないのかしら?」


 少しの間だが、木之下の側にいて思ったのは、火の玉のような性格の女だということ。意思は強く、邪魔が入ろうものなら更に燃え上がる性分だから、放っておけば一人でも出向くことは十二分に考えられた。


「オーケー……わかった。仕方ないから救助についていくとしよう」

「本当に? ありがと!」


 根負けして溜息を吐くと、満開の花を思わせる笑顔を弾けさせ、すぐに準備に取り掛かった。

 どうも近頃、木之下に頼まれると断れない自分がいる。他意は介在しないことはわかっている。だが、笑顔を向けられると心拍数が高鳴るのは何故なのか。


 翌日、ケビンがハンドルを握るランドクルーザーは、倒壊した建物の瓦礫が山積する市街地を走行していた。

 後部座席に乗り込んでいた木之下は、人々の暮らしの息吹が消えた光景を見て言葉をなくしていた。


 ケビンにとっては見慣れた光景、むしろ〝マシ〟な部類に相当するが、路傍に打ち捨てられたままの遺体の数々は、紛争医療に携わる者でもショッキングだったに違いない。


 原型が留まっていれば運が良いほうで、胴体と離れた部位パーツがそこここに転がっていた。常人であれば吐き気を催して然るべきところを、さすがに紛争地を居場所にしているだけあって、木之下は気丈に車窓の外を流れる現実から目を背けずにいる。


 暴力に蹂躙されつくされた街並みを疾走する間も、ケビンは神経を尖らせて周囲への警戒を怠らない。普段狙う側にいるからこそ、運転中がどれだけ無防備になるか、隙が生じるのかを知っている。


 もし、今何処かでスナイパーに十字線レティクルを向けられているとすれば――これまで自分が仕留めてきた敵の死に様を思い返すと、首筋に冷や汗が滲む。


 通常であれば、車体の側面やボンネットに描かれているMPSのロゴマークも、表立った医療活動は伏せて活動していたので隠されている。傍から見れば、危険地帯を横断する無謀な民間車両にしか見えないことだろう。


「そろそろ目的地の病院に到着するぞ」


 アクセルを緩めて小児病院前に停車すると、壁という壁に拳大の穴が穿たれていた。政府軍が故意に病院を襲撃していたことが、崩落した外壁から察っせられた。

 木之下を連れ立って足を踏み入れる。その瞬間、嗅覚が捕らえた臭いは長時間放置されて腐敗が進行した腐肉の臭い――奥へ奥へと突き進んでいくごとに臭いは濃く強く漂っていた。


 院内を見て回るも、見つかるのは物言わぬ亡骸ばかりで、救うことができなかった子供達を見つけるたびに木之下は唇を噛んで悔しさを噛み殺していた。さらに追い打ちをかけたのは、中庭で見つけた黒焦げの山だった。


「なんなの……? どうして罪のない子供達に、ここまで酷いことができるのよっ」

「これが現実だ。世界の何処かで、今も同じことが繰り広げられている」


 生きたままか、それとも殺害された後か判別はつかないが、中庭の中央に据えられた山は、ほぼ炭化した子供の遺体で築かれていた。

 木之下の体は小刻みに震え、行き場のない怒りに目尻から涙すら零れ落ちていた。


「……帰ろう」


 初めて聞く弱々しい声で呟くと、ケビンを残して一人病院を後にした。


       ✽✽✽


「ねえ、ケビンはどうして傭兵になったりしたの?」


 その日はMPSのスタッフ一丸となって、ヤニの誕生日を祝うレクリエーションの準備を本人に内緒で行っていた。


 猫の手も借りたいと木之下に手を引かれ、たどたどしい手付きで室内の装飾を任されていたのだが、あまりに遅く途中から手伝い始めた木之下が隣でこちらを見ずに尋ねてきた。


「初めてだな。お前が俺に興味を持つなんて」

「勘違いしないで。ただ、貴方の人となりを近くで見ていて、いたずらに人殺しをするような人種でないことはわかったから経緯を知りたくなっただけよ」


 ぶっきらぼうに差し出された手に、無言でハサミを手渡したケビンはしばらく逡巡して口を開いた。


「俺の親父はグリーンベレーに所属していたんだ」

「グリーンベレーって、あの特殊部隊の?

 なんだ、お父さんに憧れて銃を握った口か」

「いや、むしろ心底嫌いだったよ。父親は特殊部隊の一員としては最高の技量を誇っていたんだが、ベトナム戦争への参加がきっかけで解離症状に悩まされたいたようで、部隊を辞めざるを得なかった。家では理由もなく暴れ、ガキの頃は何度叩きのめされたのかわかったもんじゃない。暴力を振るわれ続けた母親は家を飛び出したっきり、顔も合わせていない」


 作業の手を止める。思い出すだけでも腹立たしい父親の記憶は、忘れようとしても色褪せることはなかった。

 部隊を去った父親はアルコールに溺れ、母親に逃げられると女にも溺れた。二度と戦場に立てないことは自分がよく理解していたのだろう。


 代わりに、父親の生き甲斐は実の息子を最強の兵士に仕立て上げることとなった。

 歪んだ愛情は、真綿のように首を絞める。


 血反吐を吐かなかった日など、数える程度しかなかった。幸か不幸か、十代で素面の父親を組み伏せるまでに至ったケビンは、己の技量が完全に父親を上回ったことを実感したその日に実家を飛び出した。


 ――もう、あんたに教わることはない。


 殴り倒した親父に向かって、そう吐き捨てたケビンが寄り添いたかったのは、軍でもなく、国でもなく、ましてや父親でもなかった。常に強者に虐げられる弱者の側だった。


 傭兵に身をやつして以来、不変の誓いを胸に感情を殺して、これまで障害物を排除し続けてきた。


「家を飛び出してからは軍に属さず、伝手を辿ってあらゆる戦地に赴いた。各地で見てきた理不尽がまかり通る世界を変えようと、骸の山を築いてきた。傭兵になった理由は単純なもんだよ……子供が無双するような夢だ。ただ、平和な世界を作り上げたかっただけなんだ」


 再び手を動かし始めると、突然頬に人差し指が突き刺さる。


「そんな暗い顔でヤニの前に出ないでよね。ケビンにも色々あったことはわかったから。それに、平和な世界を望む気持ちが嘘じゃないってこともね」


 指先を離すと、「いつか、そんな世界が来るといいね」と微笑んだ顔を見て、再び胸が高鳴った。その理由ワケに気がついたケビンは、産声をあげた感情の名を知っていた。


 ――これが、恋なのか。



  

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