第29話
紛争は当初の想定を裏切り、長期化、もしくは泥沼の様相を呈していた。ケビンと円堂が属する反政府組織は、次第に滞る援助と物量の差で陣地を後方へ後方へと追いやられている。
新たに戦場と化した市街地では、あろうことか市民に避難禁止令が発令され、混乱の極みに陥っていると戦線に立つ円堂から逐次戦況を伝えられていた。
正攻法ではまともに政府軍に太刀打ちできないと判断した結果、大局的な戦闘を放棄し、局地的なゲリラ戦に軍を引きずり込むゲリラ戦を選択した。
奇襲、待ち伏せ、後方支援の破壊、
銃撃が止む夜間になって、始めて市民は外出できるという。
数日おいて顔を出した円堂は、口元にもどかしさを滲ませながら、珍しく弱音を吐露した。
「俺達傭兵は、なんのために銃を握ってるんだろうな」
「藪から棒にどうした。言っておくが、告解なら俺は受け付けてないぞ」
「そんなつもりはない。第一、お前は牧師って柄じゃねえだろ。あいにく日本人のほとんどは信心深いアメリカ人と違って、そこまで自分のしでかした罪を割り切ることができないんだな、これが」
歯に物が挟まったような話しぶりが、円堂の悩みの深さを物語っていた。普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、横顔には暗い影が落ちている。
自分にしては随分としつこく問い質すと、観念してポケットから小指ほどの長さの色鉛筆を取り出すと、ケビンに寄越した。
「まだ幼い、赤ん坊に毛が生えたような、よちよち歩きの子供のものだ。銃撃戦を繰り広げている真っ只中に、眠そうな目を擦りながらママと叫んで現れたんだ。上官殿から事前に聴いていた話では、その区画は早い段階で住民が逃げていたはずだったんだよ。まさか……取り残された子供がいたなんて、露とも思わなかった」
その子供が、どうして危険な市街地を一人で歩いていたのか、もう尋ねることもできない。その子供の姿を見かけた敵側の兵士の一人は、極度のアドレナリンによって興奮していたのか視界に飛び込んできた子供に銃口を向けた。
咄嗟に反応した円堂は即座に応戦しようとしたが、結局間に合わなかった。
円堂の目の前で腹部を撃ち抜かれた子供は、地獄のような苦しみの中でも、ママと呼んで息絶えた。
「それは、お前のせいじゃない」
ありきたりな台詞しか伝えられなかった自分が恨めしい。
円堂には日本に在住しているパートナーがいる。相手の両親とは顔も合わせており、良好な関係を築いているというが、傭兵稼業に身をやつしていることを彼女の両親のみならず、彼女自身にも海外勤務と濁して一切真実を伝えてはいなかった。
無理もない。自分の娘と籍を入れるかもしれない男が、いつ何時命を失うかもしれぬ傭兵を生業としていると知ったら、戦争とは無縁の日本人には到底受け入れられないことくらい容易に想像がつく。
しかし、問題はそこではなかった。もし本当に結婚をしたいのであれば、銃を足元に置けばいいだけの話――それをケビンが許すかどうかはさておき、円堂が苦しんでいる最大の理由は別のところにある。
それは、パートナーである彼女が不慮の事故で、〝子を産めない〟身体になってしまったから。
運転していた車で娘が事故に遭ったことを彼女の両親からメールで知らされたのは、昨日の深夜だったと告げた。
常々、結婚したら沢山の子供に囲まれたいと切に願っていた彼女の身体から、非情な神は子宮を奪っていった。医師の尽力もあって命は助かりはしたものの、代償は子宮全摘出――。
永遠に子供を授かることのできない身体となってしまった彼女の知らぬところで、二度と宿すことのない子供の命を奪っている自分を、ひたすら攻め抜いていた。
「今日中に日本に一時帰国すると決めた。お前も、この際ゆっくりと休んでいけ」
そう言い残して、親友は故郷へと飛び出っていった。後で振り返ると、その頃から感づいていたのかもしれない。もう二度と、引鉄を引くことがないことを。
✽✽✽
一人残されたケビンは、休むどころか一層リハビリに取り組んだ。
肩の銃創は完治していたものの、未だに手をつかずに歩行することは難しかった。これでは戦線に復帰するなど、夢のまた夢であることを重々理解していた。壁に手に付き、一歩一歩院内を歩いていると、屋上へと続く階段の先から悲鳴が聴こえてきた。
自分が一番近くにいることを悟ったケビンは、言うことを聞かない足を叱咤し、急いで扉を開ける。すると、柵を乗り越えた姉妹が今にも落ちそうになっているヤニの腕を必死に掴んでいた。
考えるより先に体が動いていたケビンは、力尽きた姉妹が手離したヤニをすんでのところで掴むと腕力だけで引き上げた。
無理したツケで立っていられなくなり、自分の隣にヤニを座らせて腰を降ろすと残り一本となった煙草を口に咥えて深く息を吐く。次にいつ手に入るか分からない代物だったが、今はとにかく吸いたい気分だった。
「人はいつか死ぬもんだ。なにも、今すぐ死ななくてもいいだろ」
「……一人で生きてるのが、とっても辛いんだ」
俯いていたヤニと、始めて会話を交わした。誰にも口にしてたことがない感情を吐露したことで、僅か十二歳の心に溜まっていた
屋上を吹き抜ける風に乗って、嗚咽がどこまでも流れていく。ただただ泣きじゃくるヤニの頭を、子供との接し方など知らずに今に至るケビンは、そっと撫でて空を見上げた。
「今はまだ無力でも、いつか戦争のない世界を作れるような男になれ。俺には出来なかったことだ」
そう言いながらポケットを弄るも、ライターがどこにも見当たらず探していると、そっと小さな影が伸びてきてケビンは顔を上げた。
「これ……」
「あ、ああ、すまないな」
「あの、今まで怖がったりして、ごめんなさい……」
決して話しかけてくることのなかった姉妹が、おずおずと手にしていたライターを手渡してきた。二人揃って頭を下げると、遅れて駆けてきたスタッフと入れ違いに去っていった。
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