第27話

「すまない……。面倒をかけたな……」

「いちいち謝るな。生きてりゃ、誰だって不運に見舞われることもある」


 自分の肩を担いで歩く円堂に、ケビンは息も絶え絶えに語り掛けた。

 円堂は『虫の知らせ』という日本のセイングの意味を交えながら、自分の第六感が当たったことを自画自賛していた。


 確かに円堂に発見して貰えなかったら――冷静になって考えてみると、返しきれない大きな借りを作ったことになる。普段であれば鼻につく態度も、今日に限っては見逃してやるのもやぶさかではない。


 ふくらはぎを貫通した銃創の影響で、一人での歩行は難しく、肩甲骨から鎖骨下部にかけて穿たれた銃創も、幸い肺や心臓を逸れて体外に射出されていたことで一命を取り留めた。


 体内に銃弾が残ってしまうと周辺の筋組織の治癒に時間がかかってしまい、それだけ戦地に復帰するのが遅れてしまうことを意味する。

 

 今以上に出血が酷くならないよう、固く止血した患部を見つめると己の不甲斐なさを呪い、そして恥じた。

 敵陣営には相当な手練の追跡者が在籍していた。跡をつけられないよう、念に念を重ねて痕跡を消しては移動を繰り返していたにも関わらず、狙撃地点だった空き家の二階に潜んでいたことが発覚してしまう。

 

 階段を昇ってくる複数の気配に気付いたが、時既に遅し――木製の扉が荒々しく蹴破られると、旧式のStG44を手にした男達が室内に雪崩込んできた。咄嗟にライフルからハンドガンに持ち変え、シングルハンドで速やかに二人の頭部を撃ち抜くことに成功したものの、準備を整えて突撃してきた相手と奇襲を受けて後手に回った自分とでは、あまりにこちらの分が悪すぎた。


 襲撃してきた敵が怯んだ一瞬の隙を見逃さず、駆け出した。遅れて狭い部屋に轟く撃発音を掻い潜り、砲弾が開けた穴から地上に身を投げ出し逃走を図った。だが、逃げ出す寸前に背中とふくらはぎを射抜かれ、灼熱の痛みに襲われた。


 足を引きずりながら逃げ込んだ先で応急処置を施したものの、万全な状態とは決して言えない状態を見逃してくれるほど敵は甘くなかった。


 点々と残る出血の跡を追ってくる足音が、死神の足音に聞こえる。捕まれば地獄のような拷問が待ち受けているのは確実――絶体絶命の状況にも心落ち着かせ、深く息を吐いてハンドガンのグリップを握りなおす。そこでヒーローのように颯爽と現れたのが、隣で屈託のない笑顔を見せる円堂だった。


「しかし、狼と呼ばれたお前が負傷するところを拝める日が来るなんて、思いもしなかったな」

「確かに……こんな無様な醜態を晒したのは、傭兵になって初めてだ」


 力なく答えるケビンの横顔を見た円堂が、一拍おいて口を開く。

 

「お前は、今回の仕事をどう見る?」

「ジリ貧なのは間違いない……。敵陣営の背後に大国の影がちらついているせいで、『正義』を掲げる国連が及び腰だからな。奴らは結局、火の粉が降りかかるのを恐れてるんだよ」

「だよな。保って一ヶ月かそこらで、こっちの陣営が必死に守ってる区画も陥落するだろうよ」


 大国同士の代理戦争とも言うべき醜い争いは、分裂、独立に揺れるヨーロッパの小国を半年にかけて蹂躙していた。

 無辜の民は、街中に突然進行してきた武装勢力に生活を脅かされ、築き上げてきた暮らしを〝人道〟の名の下に奪われ続ける矛盾に、すっかり疲弊しきっていた。


 降り注ぐ砲弾、幸せをことごとく吹き飛ばす地雷、家族を、恋人を、眼の前で失う現実に耐えきれず、そこここで自害を選択する力無き市民の姿が、網膜に焼き付いて離れることはない。


 ――自分は、一体どれだけの人間を救ってこれたのだろうか。


 失いかける意識の中で自問していると、円堂の健脚が一軒の民家の前で立ち止まった。何の変哲もない煉瓦レンガ造り、軋む音を立てて錆びた門扉を開くと、二階のベランダで横になっていた女が、白衣を身にまとった上半身を起こして睥睨してきた。


 ケビンの目は、太陽光を吸収するような黒髪にとまった。顔立ちは平坦、地味と言ってもいい。日本人ジャパニーズである円堂とは短くない時間を共に過ごしていたが、未だに中国人と日本人の違いもわからない自分に人種を当てるような芸当は真似できなかった。


「銃創だ。早急に診てもらいたいんだが」


 胡座あぐらをかいた女は、手首にはめていたゴムで髪を一纏めにすると立ち上がる。


「わかったわ。玄関から中に入ってちょうだい」


 そう告げた女の視線が、ケビンの肩に巻かれた布に向かう。その目は憎い敵を見るような、鋭い敵意に満ちていたように感じた。


 促されるまま屋内に足を踏み入れた瞬間、壁の至る所に銃弾の跡が残る廊下の奥から、消毒液の匂いが漂い鼻を突いた。 

 黒髪の女と同じ装いの人間が、廊下から扉が開け放たれた室内へと、忙しなく行き交っている。


 片脚を引きずりながら覗いた一室には、ベッドが横一列並んでいて片脚を失くした子供が虚ろな目を天井に向けて横たわっていた。


「ここは……病院か?」

「ああ、それも国境なき医師団MSFの拠点の一つだ」


 国境なき医師団MSF――。その名を聞いたケビンは、ふと疑問を懐いた。独立・中立・公平な立場で、被災地や紛争地帯に緊急医療援助を届ける非営利団体が政府から正式に活動を認められていないことは耳にしている。


 本来であれば、大々的に自らの医療活動を広く知ってもらえるようにスタッフが着用するシャツや、移動用の車の他、MSFのロゴが描かれた旗がたっているはず。にも関わらず、どこにもロゴを見かけないのはどうしたことか。


「そこのベッドに寝かせてくれる?」


 通された部屋は、紛争が始まるまでは家族の笑い声が絶えなかったであろうリビングを改装した治療室だった。

 女の指示で、戦地では珍しい清潔なシーツに寝かされたケビンは、心を読んだかのように事情を説明する女の言葉に耳を傾けた。


「居場所は教えられないけど、私達を含めた医療チームは、全員不法入国という犯罪を犯してるの。政府に医療活動を行なっていることがバレてしまえば逮捕のケースもある。最悪、逮捕されて拷問させるか、病院を攻撃されかねない」


 少し我慢しなさい、と肩の銃創を止血していた布を捲って患部を確認するやいなや、淀みないで手捌きで縫合を始めた。

 麻酔は使用していない。「数に限りがあるから」だそうだ。


「彼女達は、病院の居場所を悟られないために少しでも怪しまれたりすると、別の拠点へと移る。そこも怪しまれたら、また移動する。そうやって隠れながら医療活動を行ってるというわけだ」


 訳知り顔で語る円堂に、何故お前がそこまで詳しいんだと尋ねると、頬をかきながら、負傷した民間人を見つける度に女のもとに運んでいたことを白状した。


「なんだ、お前は戦地で女に会いたいがために、病院にまで足を運んでいたのか」

「はあ? そんなんじゃねえよ。まあ、一時の憩いには違いないけどな」

「はい、少し黙ってて。ここには貴方達の他にも患者さんがいるんだから」


 母親に雷を落とされたガキのように首を引っ込めた円堂は、縫合を進める女の横顔に問いかけた。


「そういえば、ヤニは元気にしてるかい?」

「元気なわけ、ないでしょ。目の前で両親を喪って、自分の脚も地雷に吹き飛ばされたのよ。体の傷は癒えても、心の傷がそう簡単に塞がるわけないじゃない」


 ヤニとは誰なのか――視線で円堂に尋ねると、先程覗いた室内にいた男児のことだと、親指を廊下の外に突き立てて答えた。

 

「貴方達も貴方達よ。どんな目的があるか知らないけど、傭兵が紛争地帯で、どんな犯罪を犯してるのか知ってる? 空き家を狙った強盗なら可愛いものよ。ここはね、性犯罪に巻き込まれた女性や子供のシェルターとしての役割もあるの。私はいかなる理由があろうとも戦争なんて到底許容できないけど、戦争に加担して被害を増大させる傭兵も、戦争と同じくらい大嫌いなの」


 刺々しい口調とは裏腹に、仕事を完璧にこなした女は縫合が終わった患部を強く叩いた。思わず顔を歪めたケビンは、東洋女を見上げて剣呑な眼差しを向けるも、視線を逸らさない負けん気の強さが気に入らなかった。あけすけな物言いも気に入らない。

 

「彼女、気が強いだろ? これでも日本人なんだぜ」

「これでもとは失礼ね。私だって敬うべき相手には相応の態度をとるわよ」


 日本人――ケビンがイメージする日本人の女性像と、正面に立つ女とでは、あまりにもかけ離れているように思えた。

 生まれた直後に亡くなった母の代わりに、五歳までは祖母グランマが面倒を見てくれた。地元では珍しい日本人で、普段の言葉数こそ少なかったものの、いつも笑顔を絶やさずに孫を可愛がってくれた心優しい女性だった。


「貴方、名前は?」


 奥ゆかしさを体現した祖母とは対称的に、医師としてのプライドの高さが窺える女はカルテを書きなかがら名前を尋ねてきた。


「ケビンだ。ケビン・トーマス」

「そう、私は木之下、木之下美玖きのしたみくよ」


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