第24話

若頭カシラ。霧島ファイナンスの債権者の一人が歌舞伎町で宝来を見つけたようです」


 ゴミのは全て李に任せ、電波の届かない地下室をあとにすると三枝のスマホに宝来の姿を見かけたとの連絡が入った。


 霧島ファイナンスは稲代組系列の闇金――そこから常習的に借入れている顧客のの媚びた声が、スピーカーから漏れ聞こえる。元金はもとより、膨れ上がる利息分の支払いすら滞る連中に残された完済の手立ては、もはや生命保険のみ。


 霧島ファイナンスが抱える多重債務者に、歌舞伎町で宝来の姿を見かけたら即連絡を入れるよう三枝と時東に命じていた。

 居場所を捉えた奴には、今月分の利息分をチャラにしてやる――その一言は正常な思考能力を奪われた愚かな人間にとって、天から注ぐ甘露に等しい。


 今更一月分の利息が帳消しになったところで寿命が僅かに先延ばしにされるだけなのだが、強者から毟り取られる人生がお似合いの負け犬どもはそんな現実にも思い至らず、ぶら下げられた餌を口にしようと歌舞伎町を駆けずり回って捜索に当たっていた。


 大竹組舎弟頭、義堂司の抹殺は月桃花にて、小一時間の会談の末に明日決行することと決まった。

 襲撃現場は轟連合の組事務所が入る雑居ビル。実行犯は王と郭を含む上海の流氓七人。ビルの最上階を住処としている義堂は、最近派手な動きを見せ始めた井筒会と〝小競り合い〟が繰り返されている最中にも関わらず、一昨日から愛人を連れて東北まで温泉旅行に出掛けているというのだから脳天気なものだ。


 部屋住みの若い衆に義堂の予定を問い合わせたところ、旅行だとは知らされていない幼さの残る声が、戻ってくるのは明日の正午頃になると告げた。その後は床に伏せる佐々岡徹心のもとに見舞いに出掛ける予定だと、やはり緊張した声色で語った。


 それだけ聞けば十分――なにか言いかけた若い衆の言葉を遮って通話を切った関は、義堂抹殺の謀略を練り始めた。


 義堂は自分と上海の関係を匂わせて脅迫していたものの、これから先、巨万の富を築くことも不可能ではない上の海とパイプを持っている自分を処断することはない。

 飼い殺しにしたうえで、莫大な富と大竹組組長の椅子もろとも手に入れようとする魂胆が見え見えだった。


 現在小康状態とはいえ、予断を許さない状態の佐々岡の元に出向くのは佐々岡の進退を明白にする意図が含まれているに違いない。長年苦楽をともにしてきた義堂に詰め寄られたりすれば、枕元に死神が立っているような死に損ないがバトンを手渡すことは十分考えられる。


 義堂が跡目を継いでしまえば、己の野望は数十年単位で遅れることは目に見えている。辛抱強く次の椅子を待ったところで、醜く老いさらばえた体では、牙を失った瞬間に次代の獣に寝首を搔かれるのがこの世界。


 日本に世界有数の犯罪シンジゲートを確立する野望は、この手から組長の椅子が零れ落ちた瞬間に露となって消えることだろう。当然、そのような現実を受けいるられるはずもない。先のない人生など考えただけで腸がねじ切れてしまう。


 指先に付着していた血の跡をハンカチで拭き取り、開かれた扉から後部座席に乗り込む。すかさず運転席に乗り込んだ時東がイグニッションキーを回すと、直後に滑らかに車体が動き出した。


 明日になれば、日本における闇社会の頂点を手に入れるに等しい朗報が待っている――。これまで無理難題に従っていた三枝、時東には鞭ばかりではなく、それなりの地位ポストという飴を用意してある。これから先も従順な盾として働いてもらう予定だった。


        ✽✽✽


「宝来は、本当にこのビルの中にいるんだろうな」

「ええ、ハッキリとこの目で見ましたよ。かれこれ二時間前くらいにクラブに入ったきり、まだ出てきてないです」

「二時間前だあ!? どうして見つけた時点で連絡を寄越さなかったんだッ」


 巨漢の三枝が、寒さに震えながら待ち構えていた中年男の首を締め上げながら、ドスを利かせた声で問い質す。

 男は巌のごとき手のひらを外そうと必死に藻掻いていたがびくともせず、宙で足をバタつかせている。


「三枝さん。その辺にしておかないと、本当に死んじゃいますって。電波が届かなかったんだから仕方ないですよ」


 三枝と比較すれば小人に等しい体躯の時東にいさめられ、納得していない顔で解放すると、男は慌てて酸素を取り込む。その横を一瞥もくれずに歩を進める。


 クズが眼の前で死のうが気にも留めないが、大竹組を手中に収めるまでは些細なミスも許されない。なにより宝来の所在地さえ突き止めれば、借金漬けのオヤジに興味など沸きもしない。


 関は宝来が羽目を外しているであろうクラブが入るビルのエントランスに足を踏み入れた。

 扉が開くと、騒々しいだけの音楽と共に頭皮が禿げ上がったサラリーマンが、千鳥足で扉から飛び出してきた。


「おい、どこ見て歩いてんだジジイ」


 派手に尻餅をついた男は、氷の視線を向けられと赤らんだ顔が一気に蒼白へと移り変わり、もつれる足で一目散に掛けていった。入れ替わるように扉を潜ると、薄暗い店内には嬌声をあげるオーバーアクションの外国人ホステスが、鼻の下を床まで伸ばした客の相手をしていた。


「あの〜大変申し訳ありませんが、ただいま満席でして……」


 仁王立ちで宝来の姿を探していた関のもとに、蝶ネクタイをつけた店長らしき男が飛んでやってきた。確かに男の言う通り、クラブは客で賑わっていはいるようだった。


 だが、宝来会の息がかかったクラブでは例え閑散としていても堅気でないのが明らかな自分達を入店させないが為に、同様の台詞を並べるに違いない。


「ここに宝来が来てるのはわかってんだよ。どこにいやがる」


 二メートル級の大男に目と鼻の先まで詰め寄られた蝶ネクタイは、我が身かわいさに逡巡する間もなく奥へと案内した。

 ボックス席に挟まれた通路を闊歩すると、それだけで喧しい音楽も下卑た会話もたちどころに冷え固まる。全員が全員、血と暴力を生業にする本物の修羅を前に、酒を飲む手を止めて気配を押し殺して嵐が過ぎ去るのを待っていた。


 蝶ネクタイが先を歩き、最奥のコの字型ソファの前で立ち止まる。顔が硬直している宝来の背後に立つ小僧が、主人の代わりに震える声で用件を尋ねてきた。


 誰が誰に口を聞いてると腹の底から怒りが湧いてきたが、三枝に一喝されたことで実力の差を思い知ったのか、後ずさって尻尾を丸めたので意識をそらした。


 糞の役にも立たない人間の名前など記憶する気にもならない。所詮、宝来に顎で使われているにすぎない冴えないガキに、構ってる暇も時間もない。


 蝶ネクタイのケツを蹴って追い返した時東を無視し、目的の宝来のもとに歩み寄る。側近の一人に、巨体では三枝といい勝負になりそうな護衛がついていたはずだが、どうやらこの場には居合わせていなかったようだ。


 ふと、野獣同士に殺し合いをさせてみたい気持ちにもなったが、それはまた別の機会を設けることにして歩みを止める。


 その時だった――頬に鋭い視線が突き刺ったのは。


 視線の主に目を向けると、この場にそぐわないという点では名も知らぬガキと同じだが、音もなく立ち上がった男はこの関克洋を前に決して臆すことなく視線をそらさなかった。


 身長は百八十センチ台の関とほぼ同じ、年齢は男のほうが年嵩に見えるものの、服の上から一瞥しても決して年相応に老け込んでいる様には見えなかった。

 

 日本人には見かけない鼻梁の高さ、顔のパーツの彫りの深さから外国人であることは一目で判る――判るのだが、解せないのは男が放つ雰囲気。自らと同じ、拭い難い血の臭いを嗅ぎ取った。


 しかし、なにか違う。李、王、郭、血の臭いを絶えず周囲に振りまく者は、過去に数人見てきた。どいつもこいつも野心に塗れた狂気の光を両眼に宿していた。

 しかし、目の前の男はどうだ。その目には微塵も光が感じられない。仄暗い闇がどこまでも広がっている。これまで対峙した経験がない視線は、こめかみに銃口を突きつけられているかのような緊張感を関に与えた。


 僅か数秒の間の出来事に、関の首筋に

生まれて初めて冷や汗が伝い落ちる。

 脇を固める三枝と時東も、男が放つ雰囲気に飲まれて緊張しているようだった。


 恐らく、自分と同等か、それ以上の修羅場を潜り抜けてきたに違いないと確信した。だが、現代の日本に自分が経験してきた以上の修羅場があるかと自問すると、それは有り得ないという答えに帰結する。


 ――この男は一体者なのか。ヤクザには到底見えない。仮にそうだとしても、何故、宝来のような鼠と同じ席に着いている? 


 突如姿を表した不確定要素に、頭蓋の中で浮かび上がる疑問符を封印した関は、男から視線を外して宝来に向けた。


「お久しぶりですね、宝来さん」


 目尻に、役者も吃驚びっくりなシワをよせて軽く会釈をすると、宝来は引き攣った笑みで、ソファにもたれ掛かりながら煙草を咥えた。

 穂先が微妙に揺れている。まともに口を利くのは宝来が稲代会を追い出され、二十年以上昔に遡る。精一杯鷹揚ぶった態度を取るが、猛虎の出現に狼狽と動揺を隠し通せるほどの役者ではなかった。結局のところ、昔から何も変わってはいないようだった。


「お、おう。どうしたんだ、突然やってきたりして」

「少し、お時間を頂けませんか? お話したいことがありまして」

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