第21話

「お客さん、イケメンね。何処の生まれなの?」


 木之下の耳朶に、外国人ホステスの痒くなるような、甘ったるい声が滑り込む。薄暗い照明の天井ではミラーボールが回転している。咽返る熱気に、体の深部にまで響くクラブミュージックが猥雑な空気を震わせ肌をつたう。


 喧騒とは無縁の生活を送ってきた木之下にとって、五感を刺激に曝され続ける環境は苦痛の時間以外の何物でもなかったが、宝来から招かれた酒の席では応じる他に選択肢は存在しなかった。


 ご機嫌取りをしているようではなはだ遺憾ではあるが、それも関を消すまでの短い辛抱だと自分に強く言い聞かせ、垂れかかる女の無遠慮な追求に口を固く閉じた。


 全ては、救いようのない自分を受け入れてくれた円堂夫妻の為、そして、監視下にある琉奈の身の安全の為――。


 二十年前――戦うことの意義を見失い、日本という島国に死人同然で流れ着いた木之下は、一足先に傭兵家業から退いていた円堂篤を訪ねた。


 円堂は様々な紛争地帯で出会った日本人の傭兵のうちの一人だったが、元陸上自衛隊出身という経歴に加えて、持って生まれた格闘センスは群を抜いていた。


 言い換えると、死地を掻い潜る嗅覚にも大変優れていたともいえる。しつこく絡んでくる円堂に、最初こそ苛立を覚えたものの、顔見知りの同僚が翌日には肉塊に変わり果てる過酷な現場で唯一変わらぬ存在は、それだけで稀有な存在だった。


 気がつけば共に行動する間柄になり、二人で紛争地帯を飛び回るようになった。


 性格こそ似ても似つかない二人だったが、この世に蔓延する理不尽な世界を一掃するという信念が一致していたからこそ、信用できたのかもしれない。


 その円堂から、ある日突然荷物をまとめて帰国すると告げられたときは、一時的なものかと思って聞き流した。

 民間軍事会社に属してる傭兵でない限り、現地での滞在費、武器の調達は全て自前で用意しなくてはならず、金が尽きることもままある。


 母国に一時帰国をして、数ヶ月貯蓄を貯めてから戦線に復帰することは日常的なものだった。だからこそ、我が耳を疑った。


 ――もう、人殺しには疲れた。

 ――なんだって? 俺の聞き間違いか。


今、聞き捨てならない言葉が聴こえた気がしたんだが。


 共に理想を叶えるべく引金を引き続けきた傭兵の、あるまじき台詞に激昂した木之下は握りしめた拳で親友の顔面に拳を放った。避けようと思えばいくらでも避けられる拳を、敢えて避けようとせずに受け止めると力なく笑い、少ない荷物が収められたボストンバッグを手に背中を見せた。


 ――お前も、気がついているだろ。俺達は理想を求めて数えきれない人間を殺してきたが、いつからか罪の意識と後悔の念が薄まっていることに。

 ――それは、理想を現実にするための過程で必要な順応の一つに過ぎない。人を殺めること傷つくような奴は、最初から傭兵には向いてないだけだ。お前はそんなヤワな人間ではないはずだ。

 ――確かに、俺はそういう意味で弱かったのかもしれない。命の重さに今更気がつされた。


 円堂は裂けた唇を袖口で拭うと、今度こそ立ち止まらなかった。


 ――疲れたきにはウチを尋ねるといい。


 引き留めようとするも聞く耳持たず、別れ際にローマ字で住所アドレスが書かれたメモを手渡されると、その日のうちに日本へ帰国してまった。


 去っていく背中に、罵詈雑言の機銃掃射を放った記憶が今も鮮明に残っている。何のために傭兵になったんだと、怒りをこめて叫んだ木之下もまた、己の在り方に悩んでいた。


 自分一人の力で救える命の数などたかがしれている現実を突きつけれ、前にも後ろにも進めずにいた。立っていた世界にはむげんの闇が広がり、これまで散々射殺してきた人間が放つ腐臭に満ちていた。


 それから数年後、オープンして間もないレスポワールになんの連絡もなく現れた木之下を円堂は訳も聞かずに受け入れていくれた。


 暫くの間は、突然住み着いた得体のしれない異人に町民は距離を置いて静観することを選んだ。

 僅かな貯蓄はあったものの、新しく仕事を見つけなければ早晩残高がゼロになりかねない窮状をみるに見かねた円堂夫妻は、木之下と町民の架け橋役を担ってくれた。

 特に奥さんの佳世さんには、返しても返しきれない恩がある。


 英語とは発声から舌の使い方まで、なにからなにまでが違う日本語の習得に時間を見つけては親身になって付き添ってくれた。小学生低学年レベルに相当する単語ドリルで足踏み状態の木之下を見かければ、外に連れ出して積極的に近所の住民の会話に参加させられた。


 はじめは怪しげな呪文にしか聴こえなかった会話も、執念ともいえる努力が実ったのか半年も経った頃には、簡単な日常会話であれば支障がない程度には聴き取ることが出来た。


 読み書きは以前覚束なかったが、自分の意思を相手に伝えることができたことで、周囲との溝は埋まったように思えた。


 それから縁あって、猟師の師である二瓶茂蔵にへいしげぞうと出会ったことで、今は廃れたマタギという存在を教わることとなる。二瓶は秋田県阿仁町出身で、最後のマタギと呼ばれる男だった。当時七十を超えていたはずの老人は、頭一つ分以上大きい木之下に臆することなく、経歴を伝えていないにも関わらず銃を扱えることを見抜いてみせた。

 

 ――お前、暇ならワシの弟子になれ。


 その日から、半ば強制的に木之下はライフルから猟銃に持ち替えた。獣道を突き進んでいく老人は、傭兵を引退して間もない木之下を持ってしても、年齢を詐称しているのではないかと疑ってかかるほど活力に満ちていた。


 急峻な崖も悪戦苦闘をしている木之下をよそに、カモシカのように駆け登る脚は人間離れしていたし、木之下には感じ取れない音をつぶさに聞き取ると常人では見逃してしまう僅かな痕跡から獲物を追跡を続け、発見したツキノワグマの眉間を木々の隙間から射抜いてみせた。


 人間を相手にするのと野生の獣を相手にするのとでは勝手がまるで違ったが、試行錯誤を続けながら盗み見みた技術をものにしていくことで猟師としてのスキルを高めていった。


 仕留めた動物をレスポワールに卸す生活を始る。合間を見て農業を始め、自給自足の生活を確立したころにはすっかり奥会津の住人となっていた。


 

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