第18話

「朝からすまんな。まあ座ってくれ」


 頭を下げて入室して関は、顔をあげると目の前に広がる前時代的な光景に――悪趣味な奴だと内心で義堂のセンスの悪さを嘲笑していた。


 今や極道が失って久しい〝任侠〟の二文字が、荒々しい筆致の墨文字で書かれた額縁、御神酒とさかきが備えられた神棚、重厚なデスクの脇に鎮座する甲冑かっちゅう、猛虎が見るものを威嚇する掛け軸、どれもこれも、年老いて守りに入った弱者が己を飾り立てる装飾にしか過ぎない。


「それで、話というのはなんです」


 促されるまま、イタリア製のソファに腰を下ろす。対面に座っていた義堂はエンポリオ・アルマーニのブラックのダブルスーツに身を包み、関には一瞥もくれることなく日本刀の刀身に打粉を打って手入れに余念がなかった。


 角刈りは白髪が大半を占め、重力に負けて弛んだ頬には深いシワが刻まれている。真一文字に結ばれた鱈子タラコ唇には若かりし頃に負った刀傷が残る。一振り四桁は下らない刀をテーブルの上に置いて作業を中断すると同時に、間の悪いノックの音が遮る。


「入れ」


 ウェイターさながらの姿勢で盆を手にした若い衆が、ぎこちない足取りで二人の間に割って入る。手を震わせつつ、ホットコーヒーが注がれたカップを垣根のように自分と義堂の前に置くと、九十度に体を折り曲げて踵を返し足早に退室した。


「関。随分と裏で画策しとるようじゃないか」


 若い衆の気配が遠ざると、ようやく義堂は話を再開した。


「なんのことでしょう」

「まあ、そう言うしかないわな」


 湯気の立ち昇るカップに鱈子唇をつけると、熱かったのか息を吹きかけ冷ましながら、鈍い光を宿す瞳孔を関に向ける。獲物を見つけたハイエナの眼だ。


「言いにくいのであれば、ワシが単刀直入に聞いてやろうか? 大竹組の掟で中国の不良共と付き合う事を禁じとることは、今更聞かずとも知っているだろ。破った者は厳罰に処されることも」

「ええ、もちろん。それがなにか」

「しらばっくれんでもいい。お前と上海マフィアの――李偉という名の男だったか。長年手を組んで、偽装結婚、人身売買、密入国ビジネスの片棒を担いで、さんざん甘い蜜を吸ってきたんだろ。それどころか、自分の親すら自らの手を汚すことなく殺させたと聞いてるぞ?」


 李と手を組み、二十年という歳月が経つが、噂の域を出ることのなかった関係性を問い質す勇気を持つ者は大竹組の幹部の中にもいなかった。


 それがどうだ――確固たる証拠でもあるかのように、義堂の眼光はまっすぐ自分を貫いて自信にみなぎっている。


 関はソファに体を預けて足を組み、煙草に火を灯して天井に紫煙を吐き出した。

 遅かれ早かれ、上海との関係性が白日の下に晒されるとこは想定していた。だが、義堂の耳に李の存在が届いていたことは、完全に想定外だった。


 李と顔を合わせるのは、必ず上海マフィアの息がかかった店内と決めていた。外部に蜜月関係であること示す証拠が流出する可能性は皆無のはず―――関係性を知っている内部の人間を除いて。


 関と李の関係を知っているのは、関の周囲では三枝と時東のみ。李側には王と、月桃花に勤める従業員が含まれるが、まさか従業員が口を割るはずもない。


 そんなことをすれば、国に残してきた親族に不幸が訪れることは容易に想像がつく。であるならば、三枝、時東、王、のいずれかと考える他にないが、現実的ではないと自らの思考を否定した。


 誰よりも自分の本性を近くで見てきた二人が、親を裏切るような蛮行に走るとは到底思えない。王も同じく、凶獣を間近で見てきて裏切るとは思えない。


「さあ、なんのことだか」

「この期に及んで、まだシラを通すつもりか? お前が身の丈に合わない野心を抱えておることは知っておる。組長が床に伏せている今、好機と捉えて動き出しておることもな。だが、この義堂の目が黒いうちにこれ以上勝手な真似をするようであれば、若頭のお前とて破門にせざるを得ない。お前には仁義が欠落しとんだよ」


 破門――瞼を閉じて深く吸い込んだ紫煙とともに、関は時間をかけてゆっくりと肺腑の奥底へと流し込み、二文字の単語を反芻はんすうした。


 瞼の裏は、度し難い怒りで真っ赤に染まる。時代に取り残された骨董品が、執行部の椅子に座り続ける老害が、この闇社会を統一する力を持つ関克洋を、あろうことか破門にするだと?


 暴対法にがんじがらめにされて、ろくなシノギもできない能無しが集まる大竹組を支えてきたのは誰か、とうとうボケて忘れたというのか? 


 関は計画を済やかに軌道修正する必要に迫られた。先月、組長の佐々川徹心が心筋梗塞を患い、死の淵を彷徨ったことから関の野望への計画は加速度をつけて進行していた。 


 組長が亡くなれば、当然次期組長を早急に指名しなくてはならない。権力を手中に収めるには、表の世界でもそうだが事前の根回しが欠かせない。次期組長に指名されるには、少なくとも本家幹部の過半数、十名は買収する必要があった。


 灰色の噂が絶えない自分を推挙させるには、十億の金が黙らせられる。仁義とは言っても、所詮金次第で真実はいかようにも黒から白へと塗り替えられる。

 そのためには、来月に迫っていた密入国ビジネスを成功させる必要がある。


 密入国ビジネスといえば、即ち蛇頭じゃとうが絡んでいることくらい堅気も知っている事実であるが、蛇頭はさらに役割分担がなされ、地元で密航者を募る勧誘蛇頭、密航者に付き添って日本まで運ぶ付き合い蛇頭、そして関が請け負っている日本で密航者を待つ役割りの出迎え蛇頭に分かれる。


 それぞれに支払われる報酬のパーセンテージは決まっており、ビタ一文増えることもなければ減ることもない。黙っていても数千万円の金が関の懐に転がり込んでくるのだが、問題なのは蛇頭の元締めである香港マフィアと、仲介役の李の懐に多額の金が流れることだ。


 李が持ち込んだシノギとはいえ、いつまでも中国のお零れにあやかるつもりなどなく、信用を最大限に得た段階で五億の金と香港マフィアとのパイプを根こそぎ奪ってやる算段だった。


 将来的に不穏分子となることは確定的な義堂は、自分が佐々川に変わり大竹組の頂点に立った時点ですることは既定路線――それまで残り少ない余生を謳歌させてもよかったのだが、わざわざ早朝に呼び出して脅しとも取れる脅迫めいた科白を吐いた事で、残り少ない蝋燭の火は掻き消えた。


 王との〝友好的〟な関係を精算した後では遅い。万が一にでも他の執行部の耳に自分と李の関係が届いてしまえば、野望の第一歩が遠退くことは間違いなかった。


「李、でしたっけ? そのような噂を吹聴したのは、どこのどいつですか」

「それを知ってどうする」

「いいから話せ。誰なんだ」


 溜めきった紫煙を吐き出し、狂気すら宿る視線と有無を言わさぬ声色で質問を重ねる。これから先、まだ自分と付き合うことにメリットを感じている李に頼めば、二つ返事で義堂抹殺に動くことに違いない。


 しかし、それでは噂が事実であったと肯定するようなもの――。なにより、密入国ビジネスの前に李に大きな借りを作ることは避けたかった。かつては恐れられていた男も、本物の修羅を前に真実を隠し通すほどの胆力が備わっているはずもない。


「宝来という男だ。大竹組の木っ端の組長だが、密告に信憑性があったもんでな」

「宝来だと?」


 予期せぬ人物の名前に、関の眉間にシワが寄った。かつて、台湾の流氓にいいように暴行されたヤクザの風上にも置けない面汚し。あるいは底辺を這いつくばる溝鼠。


 自分に並々ならぬ対抗心と嫉妬心をみせる奴であれば、姑息な手段を用いて権力の座から引きずり落とそうと考えることも、不思議ではない。


「――わかりました。今後一切、よからぬ噂が流れないことを誓います」

「そうかそうか、わかってくれたか。それでは帰ってもいいぞ」


 関という獣に首輪を嵌めてやったと勘違いした義堂は、しわくちゃの顔を破顔させながら受話器を取ると若い衆へ来客が帰ることを直電で告げる。


 やることは決まった。もうここに長居をする必要もない。

 憮然とした態度で立ち上がった関の背中に、受話器を終えた義堂は思い出したかのように語りかけた。


「そうだ。この話は俺の一存で葬る代わりに、毎月《《顧問料》》を支払うんだぞ。そうすればお前も俺もウィンウィンだ。わかったな」

「ええ。そのように致します」


 やはり、消さねばならない。それも一刻も早く――。


 後ろ手で扉を閉めた関は、待ち構えていた三枝と時東が凍りつく表情でエレベーターに乗り込んだ。

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