第14話

 重厚な造りの扉を開けると、逃げ場を求めてやかましい大音量のクラブミュージックが出迎えた。入口付近には掃き捨てられたかのように、視線が虚ろなガキ共でごったがえして行手を阻んでいる。


 宙を見つめて薄気味悪く笑っている少女、糸が切れた操り人形マリオネットのように床にへたり込んでいる少年、衆人環視の中で獣のように口を吸い合うカップル――どいつもこいつも親の金ですっかり薬漬けになっている連中を無視し、耳障りな奔流の源泉へと歩みを進めた。


 六本木交差点から外苑東通りの路地を一本入った先、会員制クラブ「TOKYO・NEO」は学生の長期休暇と週末が重なり、大麻ハッパ独特の甘ったるい香りと人熱ひといきれでむせ返っていた。


 顧客の殆どが、社会的に成功を収めている経営者のガキだったり、大物芸能人の二世だったり、なかには政界に名を馳せる大物政治家のガキまでいた。

 火遊びをするにも外聞を気にすることなく、手頃な場所がないかと探している財布も股も緩いガキどもで成り立っている。


 普段は親の手前、紳士淑女を装っているガキどもが眼前に広がる三十坪程のフロアで競い合うようにして、一心不乱に頭を振り乱して踊り狂っていた。紫色のネオンに照らし出される顔は、どいつもこいつも恍惚の笑みを浮かべている。


 フロアから一段高いステージのDJブースには、三十を超えているというのに似合いもしないラッパー風の装いをしている狭間はざまがリズムに合わせて体を揺らしていた。このクラブを任せて数年来――関が自ら足を運ぶことは今日が初めてだった。そして、二度と訪れることもない。


 狭間が両手を突き上げて何かを叫ぶと、それに合わせてフロアに歓声が響き渡る。一仕事を終えてステージから降りると、併設されているバーカウンターで客のガキどもと談笑をしているようだった。


 ここからでは話の内容までは聞き取ることができない。ただ、ポケットから取りだした小包パケを人差し指と中指で挟み、諭吉一枚と交換している場面ははっきりと視認できた。


「いらっしゃいませ〜」


 間延びした歓迎の声が背後に届く。お盆を携え、ウェルカムドリンクのテキーラが入ったショットグラスを運んできたのは、頭を金髪に染めた年若い従業員。その屈託のない笑顔は次の瞬間に、生気を失って凍りつくことになる――。


「小僧。若頭カシラは仕事中に酒を嗜まねえんだよ」


 声を掛けてきた従業員の首に、護衛として付き従っている三枝さえぐさ濁声だみごえと上腕が絡まる。

 百八十センチ台の関ですら見上げる二メートル級の巨漢を前に、堅気の人間にビビるなと言うほうが無理がある。


 三枝は十代の頃、もてあましていた欲求フラストレーションの捌け口を求めてプロレスの団体に入門したのだが、一週間後に先輩レスラーのシゴキが「ムカついたから」という理由で、特に陰湿だった先輩二人を練習後に襲撃した。


 そのうち一人は脊髄損傷で一生寝たきり生活。もう一人は頚椎離断で集中治療室送りにした後に、死に至らしめた経歴がある。長きに渡り護衛を勤め、若頭補佐となった今でも容貌魁偉ようぼうかいいに変わりはない。


 並の同業者では彼我の実力差を思い知って黙りこむと、自然と道を開ける。


「いや、たまには一口頂こうじゃないか」

「カシラ、いいんですか?」


 ショットグラスを手に取ると、プロレスラー崩れの三枝が心配して尋ねてくる理由はわかっていた。この関克洋が特別酒に弱いわけじゃないことを。


 むしろ肝機能は五十が間近に迫っても、なお誰にも負けない自負がある。だが、普段は義理毎の場でも率先して飲むようなことを禁じていた。何故か――それは、普段は内に秘めている猛獣のごとき加虐性が、酒精アルコールをトリガーに発露してしまうから。


 三枝の前に護衛についていた人間は、酒によって暴力のたがが外れた俺の手で〝一度の〟ミスを咎められ、人も立ち寄らない山中の下で今も眠っている。


 暴力チカラは金を産み、金は権力チカラを産む――そういう意味でヤクザという身分は、この関克洋にとって天職と言って過言はない。だが、理性を失った獣は背後から簡単に仕留められてしまうのがこの世界。


 己の野望の第一歩――日本に世界規模の犯罪組織シンジゲートを設立する。その足がかりには先ず日本を二分する大竹組――その組長テッペンの椅子を手に入れるまでは、殺しても殺しても殺し足りない有象無象の為にチンケな罪状で刑務所に入る訳などいかない。

 

 日本の闇社会のテッペンに手が届き得る地位にまで昇り詰め、ようやく手に入れた暴力と権力を今更ドブに棄てるなど考えるだけで臓腑が捩じ切れる怒りに襲われる。


 だが、暴力という切り札を使うことを恐れるあまり、及び腰になるような無様な醜態を見せるくらいなら路傍で野垂れ死んだほうがマシでもある。


「『関克洋が直々に挨拶にきた』と、狭間に伝えろ」


 取り出した煙草を口に咥えると、透かさず隣に移動してきた三枝が穂先に火を灯す。テキーラを一息で飲み下すと、久しく忘れていた喉が焼けつく感覚を思い出した。


 酒精が毛細血管の隅々にまで行き渡り、身体の奥底で抑えようもない殺戮衝動ほんのうが目を覚ます――。

 絶対零度の殺意がこもった視線を向けられた従業員は、グラスを返却されるなり蒼白な顔でフロアへ駆けていった。

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