第13話

「誰も無料タダで関を消してもらおうとは思っちゃいねえ。成功報酬は二千万。一人殺すには十分すぎる報酬だろう。それとも、戦場の殺し屋はもっと高給取りなのか?」


 始めて木之下と顔を合わせた宝来は、冷めきったコーヒーを口に運びながら散々肝を冷やされた意趣返しとばかりに、木之下の過去を揶揄するとふんぞり返ってパーラメントを咥えた。


 本人は胸糞悪い冗談のつもりで言ったのかもしれないが、傭兵が稼げたというのはある意味正解で、ある意味間違っている。 

 大金を――それでも世の中にはもっと稼げる職業はあるが――稼げるのは、強大な財力を有したスポンサーがバックに付いているときのみの話である。


 八十年代から九十年代に掛けて木之下が赴いた紛争地域では、明日にでも価値を失うかもしれぬ紙幣の束を、上官からレンガでも手渡されるように放り投げられて受け取ったものだ。


 日本円で換算すれば、厚みだけでいうと数百万はくだらないが、実際の貨幣価値は良くて数万。数千なんて話もざらにあった。つまり日本の学生アルバイトの方が遥かに稼ぐ報酬を受け取っていたわけだ。


 さるイギリスの雑誌に、「LOW PAY HIGH RISK」と傭兵稼業が紹介されていたが、正鵠を射ている表現だと納得した記憶がある。


 時代が変わったのが二十一世紀初頭――イラク戦争をきっかけに、民間軍事会社が台頭したことで傭兵のスタイルも変化を見せた。金に糸目をつけずに歴戦の猛者どもを高給で雇い入れ、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では月三万円弱の稼ぎにすぎなかっただ知人が、イラク戦争では日給五~十万円に跳ね上がったと当時既に傭兵を辞めて福島に流れ着いていた木之下に、勧誘の連絡をしてきたこともあった。


 断ったきり音沙汰がないのは、荒稼ぎして故郷くにに帰ったか――それとも異国の地で土へと還ったかのどちらか。

 一方で、イラク戦争は確かに傭兵一人当たりの相場を上げたのは事実だが、あくまで局所的な泡沫バブルにすぎなかった。


 近年は大規模な戦闘も鳴りを潜め、残るアジアやアフリカといった小規模の紛争地帯では依然「LOW PAY HIGH RISK」で、少しでも稼ぎたいと願ってやまない傭兵には冬の時代の再来と言えよう。


 木之下はこれまで報酬を受け取ったことがない。上官や同僚の手前、ポーズとして報酬を受け取ることはあっても、近隣の村に住む子供やその家族に横流ししていた。

 

「俺は、金のために銃を握ったことはない。それにしても、随分と高い金額を提示してくるんだな。それだけ支払っても、なお利益メリットがあるというわけか」

「言っておくが、俺はヤクザの風上にもおけない男を消してやりたいだけで、他意は決してないぞ。ただ、関が中国の不良共と手を組んで稼いでる金を奴等に好き勝手されるわけにはいかねえ。いいか、勘違いするじゃねえぞ。これは日本のヤクザの沽券に関わる話なんだ」


 宝来はテーブル越しに身を乗り出す。へりに太鼓腹をめり込ませながら、木之下に言い聞かせるように、ゆっくりと発音した。


「大竹組はそもそも中国の不良、流氓と接触をすることすら厳禁とされてるんだよ。破ってしまえば破門は必須。最悪、本家とは絶縁だ。日本を二つに分かつ裏社会の巨頭から絶縁されるとは、ヤクザとして死を意味することくらいわかるよな」


 木之下は黙って頷く。

 破門は、「掟」を破った組員に執行部から下されるに重い制裁処分。

 一度破門の決定が下されると、〝破門状〟という回状が全国の各組織に広く送付され、この破門状を受け取った組織では破門をされた者を客分としたり、結縁したり、商談、交際など一切のことについて相手をしてはならない決まりがある。


 つまり、「破門」という制裁はその組織からの追放と、全暴力団社会からの除外という二つの意味で極めて重い制裁であった。しかし、相当の期間が経過して本人に反省の覚悟が認められると、破門が取り消され元の組織に復帰できる場合があるようで、絶縁された身分であることを知ったうえで受け入れる組織も存外多く、処分した側も黙認しているのが実情である。


 この破門より、さらに重い処分が絶縁となる。絶縁も除名も破門と同様に、暴力団の〝掟〟に背いたことを理由に組織から追放する制裁処分だが、破門の場合は復縁の余地があるのに対し、絶縁の場合はその余地すらない。


 絶縁された者は、暴力団社会では生きて行けなくなるどころか、処分の内容次第によっては組織からのをも覚悟しなければならない。


 自らの語気に気を持ち直した宝来は、スーツのポケットから一枚の写真を取り出すと被写体を木之下の側に向けるようにテーブルの上を滑らせた。


 受け取った写真には、鏡面のように磨かれた黒塗りの車体から関克洋が降り立った瞬間を捉えている。


「今現在、歌舞伎町では上海と福建の流氓が、ヤクザなどお構いなしに好き勝手暴れ回っている。日本人には理解しかねるが、どうやら大陸では同じ中国人でも上海と福建は犬猿の仲だそうだ。福建曰く、上海は喧嘩ゴロもまけない腰抜けで金儲けしかできない連中で、上海曰く、福建は野良犬より頭が悪いく御しやすい連中だとよ。この水と油の両陣営に共通しているのは何だと思う」


 演技がかった仕草でテーブルを拳で打ち付けた宝来は、奥歯を噛み締めながら口にする。


「日本人をとことん甘く見てるんだよ。とくに、ヤクザは警察に泣き寝入り出来ないことを知って、暴行、恐喝、監禁までするようなイカれたサイコ連中だが、そいつらと本家の掟を破ってまで手を組んで荒稼ぎしてんのが、そこに写っている関克洋だ。あいつ……台湾の流氓どもに袋叩きにされていたところを俺に助けられた恩も忘れやがって、あろうことか中国の不良どもとジャパンマネーを歌舞伎町で分け合ってるなど、到底許すことができねえ」


 自らの演説に酔いしれて宝来は顔を赤くしていく。もしかしたら、台湾の流氓に袋叩きにされていたのは宝来なのかもしれない。


 そのあたりの事実を問い詰めるつもりはさらさらなかったが――関の薄皮一枚下から、戦場で数多くの強者どもを目にしてきた木之下には到底隠し通すことができない狂気が漏れ出ていた。


 一目見て、戯言ばかり吐く偽物とは異なる存在――真の闇社会の住人であることを実感した。いや、させられた。


 瞳の奥には、人間らしい感情のさざなみを一切感じさせない暗鬱な色が浮かんでいる。


 ――どれだけの人間を闇に葬れば、このような人間が生まれるんだ。


 知らず知らずのうちに喉がひりついていた木之下は、未だかつて対峙した経験のない獣と向き合っているような感覚に囚われていた。


 自分にこの男を射殺すことが出来るのだろうか――一瞬、脳裏によぎった疑問を掻き消す。答えは決まりきっていた。


 殺らなくては、また再び大切なもの失ってしまう。であるならば、殺るしかない。


 


 

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