第9話


「悪いけど、その前に煙草吸わせてくれないか」


 ダウンジャケットのポケットから、潰れた煙草のソフトボックスを取り出した榎原は口に咥えながら尋ねてきた。


「この車は禁煙車だ。余計な臭いが染み付いては、たまったもんじゃない」

「……ちっ。軽トラに禁煙もなにもないだろ」


 不満を垂れながらもボックスに戻し入れると、木之下の問いに対する答えを白状した。


「俺は東京の宝来会っつう組から来た構成員だよ。つっても弱小組織の下っ端だけどな。組長に頼まれて、鷹岡の――ああ、鷹岡ってのは同じ組の男なんだけど、二人してあんたをこんな田舎まで雇いリクルートに来たってわけ。ところがクマに襲われて鷹岡は安否不明ときたもんだ」

「お前がヤクザだと? そうは見えないが、こんな猟師を捕まえて何を言ってるんだ」

「あ~はいはい。みなまで言わなくてもヤクザに見えないことは自分が一番良くわかってるよ。言っておくがな、俺も好き好んで裏社会に浸かってるわけじゃないんだよ」

「お前がヤクザだろうが堅気だろうが俺には関係ないが、リクルートとはどういう意味だ。まさか害獣駆除の依頼でやってきたとでも言うんじゃあるまいな」


 冗談交じりに一笑に付すと、榎原は気色ばんで食ってかかってきた。


「アンタよ、助けてくれたことは感謝するが、いちいち人をおちょくるような態度はやめてくんねえかな。俺も鷹岡も詳細は聞いてねえけど、とにかく組長オヤジにアンタを連れてこいと頼まれた以上はなんとしてでも木之下さん、アンタを連れ帰らなくちゃならない。勿論金は弾むよ、組長がな」

「断る。ヤクザの依頼をバカ正直に受ける阿呆がどこにいるというんだ。そもそも俺は山奥の寒村に引きこもってる男に過ぎないんだぞ」


 ハンドルを握る手に自然と力が入る。そのことに気付かない様子の榎原はさらに畳み掛けてきた。


「アンタ、元傭兵なんだろ? 余程敵を撃ち殺してきたみたいじゃねえか。想像するに組長はその射撃術を買ったんじゃねえのか――って、危ねえ!」

「その話を何処で入手した」


 視線の先には人口二千人にも満たない集落が見えてきた。最後の九十九折つづらおりのカーブに差し掛かった頃、榎原が発した言葉を耳にした木之下は咄嗟にフットブレーキに全体重を乗せハンドブレーキを引いて急停車させた。


 ドアポケットに収納していた刃渡り七寸の山刀ナガサを鞘から抜け取り、榎原の喉元に押し当てる。刃を当てた皮膚から赤い玉がいくつも浮かび上がると、ようやく事態を認識した榎原は口を金魚のようにパクパクとさせて泣きそうな声を洩らした。


「ちょ、やめっ、なにすんだよッ」

「過去をほじくり返して俺を脅すつもりか? それなら致し方あるまい。俺は俺を守るために貴様をここで始末する必要がある。幸い、人一人姿を消しても怪しまれない環境だからな」

「や、やめてくれ! お、脅すつもりなんてハナからねえよ!」


 少し力を加えれば頸動脈を容易に断ち切る切れ味の山刀を前に、榎原はすっかり怯えきって車内にはアンモニア臭が漂った。

 少し刃物をちらつかせただけで萎縮するとは――やはり暴力を生業なりわいにする人間とは到底思えなかった。


「次、またいらぬ詮索をするようであれば、躊躇なく荷台のイノシシと一緒に血抜きをしてやるからな」

「は、はい……」


 ぼた雪は勢いを増し、再びアクセルを踏みしめた軽トラは雪上を勢いよく滑りながは、眼下の明かりを目指して走り出した。



       ✽✽✽



「あらあら木之下さん。いつもありがとうございます」

「なんだ、随分と遅いご帰還だったな」

「余計な荷物を拾っていたせいで、少し遅くなってしまった」


 ディナーの営業時間を目前にし、仕込みが一息ついた円堂夫妻が仕留めたイノシシを確認しにお揃いのコックコートを着たまま表に出てきた。

 ロマンスグレーがトレードマークの円堂篤えんどうあつしは、年配の客層に往年の俳優のようだと人気があった。妻の十和子とわこさんは宝塚出身と勘違いされるほど透き通った美貌の持ち主だった。ラ・テロワールはジビエ料理の味もさることながら、二人目当ての客も多く遠方から足繁く通う常連で成り立っていた。


くくり罠に掛かっていたメスのイノシシだ。小柄だがその分肉質は柔らかく上等だろう」


 軽トラの荷台の上で静かに胸部を上下させて横たわっているイノシシを披露すると、円堂は仕留めた獲物から視線を逸して尋ねてきた。


「で、そこの坊やを何処で拾ってきたんだ」


 車の影で、新人の営業社員さながらに頭を下げて電話口で謝罪をしていた榎原を、円堂は顎で指す。十和子さんも見ず知らずの男性の存在が気になっているようで、「中に入ってろ」と円堂に促されると頷いて店内へと戻っていった。


「直義、まさかイノシシと一緒にとか言うんじゃないだろう」

「そうしてもらっても構わないが、ただ、相手はどうやら東京の宝来会というヤクザの構成員らしい」

「ヤクザだあ? なんでまた奥会津に……って、まさか、お前目当てか」

「ああ。どうやら組長とやらの命令に従ってやって来たらしい。俺の過去の経歴を無断で根掘り葉掘り調べた上でのリクルートだとほざいていたよ。つまり、ろくな話ではないってことだ」


 榎原の話しぶりからして相手は例の組長のようだが、相当雷を落とされているのか通話中は終始謝罪一辺倒だった。

 ようやく長電話を終えて戻ってくると、わかりやすく肩を落として憔悴しきった顔でその場でうずくまった。


「どうするつもりだ。生かしておいても後々面倒になるだけだぞ」


 榎原に悟られない程度の囁き声は、冗談とも本気とも取れる。

「昔の顔に戻っているぞ」と忠告すると、苦笑してイノシシを軽々と肩に担いだ。

 ふとした時に見せる表情は田舎のオーナーシェフのそれではない。かつて共に数多の戦場を生き延びた男の冗談は、本気に聞こえるものだから恐ろしい。


「ヤバいなぁ……。鷹岡が行方不明になったことを組長に伝えたら、カンカンに怒っていたよ。そりゃそうだよな……護衛も任せていた武闘派が突然姿を消したら、いよいよ宝来組の構成員は俺だけになるわけだもんな」


 円堂の視線に込められた意図を理解した木之下は、体育座りでブツブツと独り言を漏らす榎原の腕を掴んで立ち上がらせる。


「とりあえず直義もお前も中に入れ。妙な噂が立っても困るからな」

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