第6話

「……もしかして、この前逃げられたと仰っていたキャバ嬢ですか?」


 入れ込んでいたキャバ嬢に貢ぐだけ貢いだ挙げ句、黙って店を辞められたことに宝来が激怒していたのは先月のことだった。


 数多の女を泣かしてきたと豪語する割には随分と癇癪を起こしていたし、その八つ当たりも食らっていい迷惑だった。まさか、その女を探せという指示で呼び出したのであれば噴飯物だが、榎原の言葉に忠犬が飼い主の代わりに憤怒の形相で怒りをあらわにした。


「テメエ! オヤジを舐めてんのか!」

「テメエこそ何度止めろと言えばわかるんだ! この大バカ野郎がッ!」


 鎖を握る飼い主に叱られ、グラスに半分ほど残るビールを掛けられた鷹岡の目は今にも殴りかかってきそうな怒気を孕んでいた。拳を引っ込めると渋々定位置に戻り、耳まで赤く染めてそっぽを向く。


「ったくよ、血の気が多いのは構わんが時と場合を考えてくれよ。いいか、コレを見てくれ」

「……なんですか? この写真は」


 宝来は一枚の写真を取り出すと、グラスの水滴で濡れたテーブルの上に置いてみせた。どうやら屋外で撮影された写真のようで、還暦はとうに越えていそうな年寄り二人に挟まれて立っていた外国人の男に、自然と目が留まった。


 何らかの賞でも取ったのだろうか――安っぽいトロフィーを抱えて、オレンジのベストを着たその男は両隣でぎこちない笑顔をみせる老人と比べ、頭一つ分――いや、それ以上に身長タッパが高い伊達男だった。


 年こそ若くはなさそうだが、ムスッとした表情でレンズを見つめている男の視線には排他的という言葉では表すことのできない緊迫感を孕んでいるように窺える。


 ――この写真が一体なんだというのか。


 意図がわからず困惑していると、宝来はわざとらしく役者ぶった笑みを浮かべる。


「それはな、十年前に東北の猟友会支部が開催した射撃大会で撮った一枚だ」

「猟友会って、ニュースで偶に見かけるクマやイノシシを駆除する老人ばかりの集まりですよね。なんでそんな写真を?」

「いいか、この射撃大会の優勝者こそ俺が探してほしい人間ってわけよ」


 それまで黙って宝来の話を聞いていた鷹岡は、見知らぬ男の話題で盛り上がっていることに気を悪くしたのか、割り込むように口を開いた。


「俺も射撃には自信ありますよ。ダチと定期的にサバゲーで腕鳴らしてますからね」

「バカ野郎。今はサバゲーなんてままごとの話ししてるんじゃねえよ」

「えっと……もしかして、この男がなにかしでかしたんですか?」


 人探しと聞いて脳裏によぎったのは、榎原が最も苦手な債務者からの債権回収トリタテだった。

 宝来組が辛うじて歌舞伎町で存続していたのは、運営しているのおかげと言っても過言ではない。


 摘発を逃れるために定期的に店舗の移動を繰り返し、警察の目を掻い潜りながら経営を続けている闇スロットは、〝闇〟なので当然ではあるがレートはべらぼうに高く設定してある。


 胴元が勝つように仕組まれているのは裏も表もギャンブルの世界では常道なので、一部の幸運な客以外はトータルで負け越して帰ることとなる。なかには膨れあがった負けを取り返すべく躍起になる客もいて、そういった人間には融資を行っている。


 正常な判断能力を失った客はべらぼうな高金利でも借り入れるもので、榎原もこの遣り口に嵌められて気付けば嵌める側へ立っていた。今では増えた利子分が、どれほど膨らんでいるのかさえ見当がつかない。


「勝って返してくれればいいですよ」の一言で背中を押してやると、馬鹿な客は簡単に現金をチップに変換する。そのチップは命と引き換えになるとも知らず、イチかバチかの大勝負に出て破滅する人間をヤクザになってから何人も見てきた。


「借金を踏み倒したままトンズラしたってわけですか」


 まさか、身柄を隠した債務者の居場所を見つけて積もり積もった借金を回収してこいというのか――榎原は一番回されたくない仕事を任されるかと身構えたが、どうやら既に居場所は把握していると言う。


「安心しろ。その手の仕事が早い連中に頼んで居場所は把握しているし、任せたいのはお前が想像してるような回収の仕事じゃねえよ。ただ、この男を俺の前までここまで連れてくればいい」

「オヤジ。失礼を承知で言わせてもらいますが、その男はいったいナニモンなんですか?」

「コレだよ、コレ」


 両手で猟銃を構えるような仕草をすると、二重顎を震わせながら答えた。


「殺し屋だよ」


 またも吹き出しそうになる。


「殺し屋って、この男がですか?」


 二十数年の人生で、あまりに無縁な言葉に現実感が伴わなかった。長身、異国の人間、年齢不詳――榎原の行きつけのキャバクラに連れていけば、音々あたりであればすぐに陥落しかねないであろう雰囲気をまとった男が、まさか殺し屋?


「正確に言えば傭兵だが、まあ殺し屋で間違いないだろう。なんせ戦場で数えきれないほどの人間の命を奪ってきたんだからな」


 同じ感想を鷹岡も抱いているようで、深いシワを眉間に寄せていた。裏社会に身を置いていると、実際にそういった人種を外部委託アウトソーシングして目障りな人間を始末したという血生臭い話を耳にしたこともある。


 だが、なんでもかんでもトラブルを殺しで片付けることは暴力の申し子が集う極道の世界でもまずあり得ない。むしろトラブルを解決する場合、殆どが話し合いで妥協点を見つける。


 宝来組が殺し屋を雇うほどのゴタゴタを抱えてるとは到底思えず、仮にそんな事態に陥っていたら、こんな薄汚い町中華の店に呑気に集まっている場合ではない。さっさと少ない荷物を抱えて可能な限り遠くまで逃げる必要がある。


「たまたまなんだが、闇スロットの客の中に同じ東北の猟友会に所属しているギャンブル狂いがいてな、とてつもない狙撃手スナイパーがいるって話を聞いて探偵に調べさせたら、これがとんでもない人物だった。テル、鷹岡、お前らはなにがなんでもこの男を説得して連れてこい」

「はい!」

「はぁ……」

「わかってはいると思うが、『できませんでした』なんて言い訳が通用すると思うのなよ」


 そう言って、宝来は短い指で伊達男を弾いた。

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