第3話


 山で獣を仕留める方法は、何も散弾銃やライフル銃だけではない。猟銃を使わなくとも、わな猟免許さえ取得していれば初心者であっても獣を捕獲することは可能だ――現実はそう容易いものではないが。


〝箱型〟の餌を用いて捕獲するタイプの罠の場合、重量や価格、それに設置場所の点で個人が扱うにはハードルが高いが、その点片脚をくくって動きを封じる〝くくり罠〟は、安価で持ち運びしやすくどこでも仕掛けられるという利点がある。


 ただし常に破損するリスクが付きまとい、獣の行動を熟知していないと永久に罠に掛からないこともありうるので、玄人でさえ獲物が捕まらないときは全くと言っていいほど捕まらない。

 打率一割に達していれば大したものだろう。


 広大な自然の中を獲物の通り道や足跡やフン、周囲の環境を見定めて、ここだという判断をして設置したとて相手は野生動物だ。


 一旦動きを封じてしまえば脱出することは困難を極めるが、向こうにだって警戒心もあれば学習だってする。少しでも違和感を感じる下手な罠にかかるほど、向こうも愚かではない。


 事前に仕掛けてあった複数の罠を確認しながらの下山になったが、巧妙に自然の中に溶け込ませたつもりでも直前でUターンをした痕跡が残されていたり、嘲笑うように飛び越えて避けられている痕跡も見つかった。


 歯痒いが、これもまた自然。唯一捕らえることができたのは、麓近くの罠にかかっていた六十キロほどの雌の猪だった。

 まだ罠にかかって時間が経過していないのか、相当に気が立っているようで何度も木之下に向かって突進を試みている。


 実際、オスの猪の牙による攻撃は毎年死者を出すほどの攻撃力を有しているので、いかに狩猟に精通している者でも慢心は死に繋がりかねない。


 リュウが牙を剥き出しにして威嚇し、怯んだ隙に身動きを封じる保定具で鼻と前脚を括り付け、木と固定することにより万が一の事故を防ぐ。


 次いで目と鼻をガムテープで覆うことによって視覚情報をシャットダウンさせ、たかぶった気分を落ち着かせる。一人で担げるように紐で結んで一丁上がりだ。


「ご苦労さん」


 リュウを労い、捕えた猪を担いで家路を急いだ。野性動物の流通、販売は、自家消費する場合を除いて食品衛生法で厳しく定められている。


 ラ・テロワールは店舗に解体処理場を併設しているので、そこまで運ぶのが木之下の役割だった。あとは円堂が解体を一人でこなす。肉の鮮度が悪い場合は自分で食すこともあるが、その場合は沢まで降りて水洗いし自ら捌くこともある。


 とりあえず一頭確保することができたと胸を撫で下ろすと、忘れていた腹の虫が空腹を訴えた。捕えたイノシシを見つめ、円堂の手によってどのように調理されるのかを想像する。


 きちんとした処理を施した猪肉というものは、一生を豚舎の中で過ごす品種改良されたブタとは肉質が全く異なる。そのことを奥会津に訪れた際に振る舞われた手料理を口にして初めて知った。


 豚肉より旨味が濃く、噛みごたえがあり、地域差でも味に変化があったりするという。イノシシに限らず、特にくくり罠にかかった個体は逃れようと死にものぐるいで暴れまわるため、全身に血が巡ってしまい体温も上昇していることが多い。


 一般的に肉は高温状態に長くさらされると肉質が落ちてしまう――と円堂に教わってからは、罠にかかった獲物を見つけ次第、速やかに落ち着かせて生け捕りで確保することを心掛けていた。


 ようやく停めていた軽トラに辿り着き、荷台に捕らえたイノシシを積み込むと今しがた下ってきた山奥から、微かにだが人間のものだと思われる悲鳴が聞こえた気がした。


「こんな時間に、また馬鹿な登山者か」


 奥会津には初級者でも登りやすい標高の低い登山ルートが幾つか存在するが、この時期はオフシーズンで積雪に閉ざされているため登山は認められていない。


 にも関わらず稀に遭難者が救助されることがあるが、大概大した知識も経験もないくせに厳冬期の雪山を舐めた装備で発見される。


 木之下が猟場としている一帯は雪庇せっぴが多いことで有名だった。

 雪庇とは目視ではあたかも地続きに雪が積もっているように誤認させる危険箇所である。実際は宙に浮いているように積もっているだけなので、体重がかかれば重力に従い地面まで真っ逆さまに滑落してしまう、地元の人間が最も恐れる天然のトラップだ。


 地元民なら当たり前の知識も、他所者が把握しているとは限らない。現に過去、三度ほど要救助者を麓まで運んだ経験があり、貰いたくもない表彰を受けたことだってある。


 今回もまたぞろ面倒事に巻き込まれそうだとうんざりしながら、「また戻るの?」と訴えるリュウの目を無視して声の聞こえた方角に向かった。

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