偶像

矢向 亜紀

(一)

 私にとって大阪という街は、どうにも疎外感を覚える場所だった。新幹線で新大阪に着き、彼女との待ち合わせ先へ着く頃には、体中にへばりつく疎外感でへとへとに疲れ切っていた。

 疎外感は耳から入って来て私の体を蝕む。それは言葉。言葉だ。東の、さほど方言の強くない地域に生まれ育った私は、西へ行くほど存在感が増す言葉にどうしても神経をすり減らされる。

 だから、待ち合わせ場所で彼女がこちらに向かって小さく手を振って、「誠一くん、久しぶり」と口にするのを聞いた時は、まるで耳に清流が流れ込んで来たような心地がした。彼女はかつての記憶のまま、ふくべの中身に似た真っ白な顔で喧騒の中に立っている。ほんのりと日が差すように私に微笑むと、「大きくなったね」と三歳の年上気取りで付け足した。

「伯母さんは、誠一くんがこんなに背が高いなんて教えてくれなかったの」

「俺はもう、大人になってだいぶ経つんですよ。あやめお姉さん」

「あやめ。あやめでいいよ。もう」

 彼女は私の返事に目を細める。少なく見積もっても、最後に会ったのは十年以上前だ。それでも、彼女の中で私は十五の少年のままなのだろう。

「だってわたしたち、二人とも大人だもの」

 彼女は、私が手にしている背広入れに視線を送った。ここに収まっているのが、華やかな礼服であればどれだけよかったか。残念ながら、これは闇で作った黒い喪服だ。

「大人ですから、友達の葬式に出るのも覚悟していたはずなんですけどね」

 自分に言い聞かせるように、私は小さくそう言った。




 死んだ紺野は、関西から上京して来た男だった。カメラが趣味で、授業の空き時間があればすぐさまファインダー越しに辺りをきょろきょろ見渡す。

 紺野は始終探し物をしていた。被写体だ。彼は被写体を探していた。

 彼のカメラの腕前はなかなかのもので、規模は小さいが受賞歴も幾つかあるそうだ。ただ、それ故紺野は悩んでいた。大体のものを、それなりに撮れてしまうことについてだ。彼の手にかかれば、花も同級生も学食のA定食も美しい写真に姿を変える。

 ある日紺野は私に打ち明けた。

「もう何も撮りたくない」

「なんで。うまいのに」

「うまいからだよ」

 彼は方言を隠したがる男で、幾分の訛りを除けば私の耳によく馴染む話し方をしていた。関西出身の同級生に揶揄われても、紺野の口調は変わらなかった。

「どう撮っても、想像以上にならない」

「じゃあ、見たことがないものを撮れば?」

 そうやって言ってみたものの、私に当てがあったわけではない。しかしその数日後、紺野は私に『工場見学ツアー』と書かれたチラシを一枚手渡して来た。


 私と紺野は、翌週末に湾岸の工場地帯で催されるそのツアーに参加した。海沿いに連なる工場群。見目の良さなど一切無視した、機能に特化した鉄の森。まるで、天から大きな手が降りてきて、手慰みに組み上げたかのような禍々しい建築物。紺野はカメラを持って来なかった。

「今日、写真は? ツアー中はだめでも、外からなら撮れるんじゃないの」

 紺野に聞けば、彼は当たり前のことを聞くなとでも言いたげな調子で答えた。

「俺は眩しいものを見に来たんだよ。撮りに来たんじゃない」

 紺野はパンフレットに視線を落とす。表紙に写っていたのは、無骨に燃える溶鉱炉だった。

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