二十四
二〇一九年 十一月十三日 二十三時二十四分
茂が車のエンジンを掛け、シフトレバーを操作した。
「何処か寄るところはあるか?」
「うーん、どこにいるかですよね……。」
ネココは自分の頬を、右手の人差し指でポリポリ掻いて続けた。
「みらい科学館とか、音琴とはるさんの思い出の場所なのでその付近が怪しいと睨んでるんですが」
茂は車を動かしているのに、パッとネココの方を見た。
「ん? 今から探すのか?」
「え? 探さないんですか?」
「警察が探してくれるじゃないか。私たち素人が探したって見付かりっこないんだから、任せておけばいいんだ」
「はるさんが心配じゃないんですか!?」
「心配だから君に電話したんじゃないか」
「心配だったら一刻も早く会いたいでしょう、普通」
ネココは「あーもう」と頭を掻きむしって言った。
「ならここで降ろしてくださいよ。俺一人でも探します」
「それは駄目だ。こんな時間に君を一人にしたら、何かあった時に私の責任問題になるじゃないか」
「じゃあ、あなたも一緒に探してくださいよ。それならいいんでしょ?」
「それも駄目だ」
「何故ですか?」
「私は仕事がある」
「はあ? そんなことがありますか!?」
「君も明日は学校に行くんだぞ」
「何で……、ですか」
「役割の問題だ。私は、仕事するのが役割。だって、娘が戻ってきた時には無職だった、なんてことがあったら悲劇だろう? それに、恋心君だって勉強が役割だ。いつもより細かくノート取ってあげてよ。そうしたらはるが帰ってきた時に安心するだろう。それで、探すのは警察の役割っていう、ただそれだけの話なんだ」
「猫塚さん。あなたの言い分は理解できます。いや、引っ掛かるところもありますけど。だけど、警察が動くのは明日の朝以降でしょう? それまでの間に、し、死なれでもしたら――」
「そういう事を言うもんじゃない。生きていることを信じて、その仮定で話そうじゃないか」
「あなたのその行為がはるの生存確率を下げているんですよ」
「何とでも言え。私は信念を持っている。それが間違っているとは思わない」
「はあ。仕方ないですね。折れますよ。今日は帰ったらすぐ寝るし、明日も学校に行きます」
「解ってくれたか、ありがとう」
帰路につく車中に、二人の会話は無かった。
二〇一九年 十一月十三日 二十三時三十六分
「ほら、着いたよ。さっさと寝るんだよ」
「はい、モチロンです」
「娘を探すのは君の役割じゃないし、そもそも娘のためにならないからな」
「はいはい、わかってます。警察、一緒に連れてってもらってありがとうございました。」
「うん。こちらこそ助かったよ。じゃあおやすみ。暖かくして寝るんだよ」
「はい、おやすみなさい」
ネココは車から出た。一応、頭を下げた。
茂の車が去り角を曲がったのを確認すると、ネココは家に戻り、靴だけ変えてまた出てきた。意図せず汚したくないから、古くなったスニーカーを履いてきた。そして、自転車に跨った。
「取り敢えずは、みらい科学館だな」
ネココはペダルを漕ぎだした。家からみらい科学館までは近い。一キロメートルくらいだ。すぐに着く。
ネココは確信していた。猫塚はみらい科学館にいると。だってそうだろう。音琴を偲ぶなら、一緒にいた時間がいちばん長い場所に行くに違いない。
二〇一九年 十一月十三日 二十三時四十六分
みらい科学館にネココが到着すると、そこにあったのは闇だった。みらい科学館から帰るときはいつも閉館ギリギリだったが、その時はまだ職員がいるからだろう、明かりが点いていた。完全に真っ暗になったみらい科学館は初めてだった。
門扉は閉まっていたから、登って上から侵入した。高校に入ってから運動部には入っていなかったツケが来た。乗り越えただけで息も絶え絶えだ。少し休んでから捜索を開始しよう。
少し経って落ち着いたネココは、スマートフォンのライトを点け、建物の周りを探し回った。植え込み、花壇、階段の隅、外壁周り 、……。ネココの思い付く全ての箇所を探した。それでも猫塚は見付からなかった。でも、いくら探しても「あれ? あそこ探しったけ?」という考えが心のなかで反響した。まるで、パスワードを忘れたとき、「これだっけ? あれだっけ?」と試行錯誤している時みたいだ。冷静じゃないのが自分でも分かった。
瞬間的に、強い風が吹いた。身体を、その芯から冷やすような風。猫塚もこれに当たっているのだろうか。ああ、あんなに猫塚への罰を望んでいたのに。
二〇一九年 十一月十四日 零時○○分
ネココがスマートフォンの画面をふと見ると、時刻はちょうど深夜零時だった。ネココが日を跨いで外出するなど、除夜の鐘を撞いて初詣する時くらいだった。
「ここで補導されるようなことがあったら、伯母さんに申し訳ないよなあ」
ネココは、両親が死んでから、伯母の家に預かってもらっていた。髪が遊び放題なこと以外は、法律もマナーも遵守したし、アルバイトをして少しでも家計を圧迫しないようにしていた。
「もしかしてこれ、中に隠れている、とか無いよな。いや、猫塚ならやりかねない。」
みらい科学館も多分、閉館後に人が隠れている想定はしていない筈だ。どちらにせよ、開館しないと中の確認は不可能だ。みらい科学館内の捜索は次の日に回した。
ネココは、すぐ近くの公園に足を向けた。何回も通ったけれど名前も知らない公園。ここも思い入れのある場所だ。猫塚のいる可能性がある 。
二〇一九年 十一月十四日 零時五分
「おーい、はるー」
ネココは、公園に着くと猫塚の名前を呼んだ。しかし、返事は無かった。みらい科学館でも名前を呼べばよかった、と考えた。一瞬考えて改めた。不法侵入しながら大声出すのはよした方がいい。
ネココは再び、スマートフォンのライトを点けて捜索を始めた。
ブランコの下、滑り台の上、ベンチの下、植え込みの中。どこを探しても、猫塚はいなかった。そんな筈はないと、何度も何度も植え込みを探した。それでもいない。木で擦り剝いて、手がボロボロになっていた。
茂の言葉が脳裏をよぎった。
「入水とか、身投げとか」
飛び降り自殺なら、誰かが気付いてツイートしているかもしれない。ネココは一旦ベンチに座った。そしてtwitterを開いて、「飛び降り」や「自死」や「自殺」と書かれたツイートを探した。ヒットはしたものの、この街から一日そこらで行けるところは見付からなかった。そもそも身投げや入水なら、靴くらいしか痕跡が無い筈だ。しかも、猫塚が律儀に靴を置いていくかは分からない。だとしたら、詰みだ。
どうする? どうすればいい? 頭が回らなかった。
二〇一九年 十一月十四日 四時三十五分
ネココは、自宅に戻ることにした。スマートフォンの充電が無くなってからずいぶん経っていた。時間が分からないし、ライトを点けられないから暗所の捜索ができなかった。
ネココは、家の前まで来て気付いた。家の電気が点いていたのだ。ネココはドアをゆっくり開けて「ただいま帰りました」と囁き声で言った。
「恋心君! 今まで何やってたの。電話しても通じないし。せめて用があるなら言ってから行きなさい。そうでなければ常に連絡がつく様にしといてくれないと。何かあったら大変でしょう。妹に顔向けできないよ」
ネココの伯母の晴美がばたばたと玄関に出てきた。
「すみません、伯母さん。こんな未明まで起きて待ってて貰えるなんて。実はスマートフォンの電源が切れてしまって」
ネココは晴美に向けて、電源の入らないスマートフォンのディスプレイを見せた。
「別に見せなくてもいいけど。それならその電源が切れたタイミングで先ずは帰るべきでしょう。あなたに電話をかけ始めたのはだいぶ前のことよ」
「ごめんなさい、気付いたのはついさっきで」
「ふうん。だいたい、ちょっと出かけてくる、って言ってこんなに遅くなるなんて思わないじゃない。一回帰ってきたらまた出て行っちゃうし。何してたの?」
晴美は腕を組んで、右人差し指で左腕を素早く何度もつつき、怒りを表した。
「実は、はるが失踪したみたいで」
「はるちゃんて、恋心君の幼馴染っていう、あの? それで探してたの?]
「ええ、そうです。まず、はるのお父さんと一緒に警察行って捜索願出して、その後一回帰って来てからは一人で至る所を……」
「で、見付かったの?」
晴美は、諸手を顔に当てて動揺していた。
「いえ、手掛かりすらも掴めなくて……」
「恋心君、ネット得意でしょ?ネットで探したらどうかしら」
なんでその手に思い至らなかったのだろう。いや、でも。
「勝手に顔載せたりとかして後で肖像権の侵害だー、だなんて言われたら……」
「そんなこと言う子なの?」
「いえ、本人は多分言わないと思うんですけど、父親はどうかなって」
「だって親御さんだって探してる訳でしょう? そんなの許可取ればいいじゃない」
「いや、実は、はるのお父さんからは探すなって言われてて……」
「え、なんで?」
「役割だそうです。探すのは警察の役割、会社行くのははるのお父さんの役割、勉強するのは俺の役割、みたいな」
「え! はるちゃんのお父さん、娘が失踪してるのに会社行こうとしてるの?」
晴美の目が文字通り点になっていた。
「そうなんです。家事から何から全部任せっきりなのに、よくもまあぞんざいに扱えますよね」
「まあ、家庭の事情だからあまり他人が口出すのもどうかと思うけど、うーん……」
「ですよね」
「どうしようか。おばさんでよければ何か手伝おうか」
「いえ、伯母さんも仕事ある訳ですし、そちらを優先させてください」
「あー、実際に探すのもそうだけど、ネットでもさ。情報集めるのに必要な、画像の加工とか書類作るのとかは得意なのよ?」7
「いえ、やるとしたらtwitterなんですが、それはやめておきます。デジタルタトゥーって知ってます? はるの失踪経験が未来永劫消え去ることのない事実として、ネット上を漂うことになるので」
「デメリットも大きいという事ね。分かった。ネットを使わない方が良い、て恋心君が言うならきっと正しいわ。君は自分が正しいと思う方に進みなさい。明日学校に行かないのは咎めないから。じゃ、私はもう寝るわぁ」
欠伸して「おやすみぃ」と言いながら階段を上がっていった。
「おやすみなさい、俺も一旦寝ます」
「んー」
二〇一九年 十一月十四日 十一時四分
音琴は普段、早寝早起きだった。ネココがアルバイトを終えるころには床に就き、ネココより早く登校していた。だが、なにか用事があればそれを崩すのを厭わなかった。流星群があれば深夜までずっと見続けるし、どうしてもリアルタイム視聴したいアニメがあれば放送まで起きているし。だがネココは違った。アルバイトがあるから、普段寝る時間は早くはなかったが、生活リズムはそれで一定だった。寝る時間が遅くなりそうなら、その用事は基本的にパスしていた。
だから、ネココが四時半まで起きていることはほとんど無かったし、その状態で普段通り起きるのがどれだけ辛いかを理解していなかった。
ネココは部屋の眩しさに目を覚ました。
「十一……時……?」
サイドテーブルに置かれたスマートフォンを手に取ると、ロック画面には、そう表示されていた。思わず身体をがばっと起こした。
何かの間違いだ。そう思って眼鏡を掛けて部屋の壁掛け時計を見ても、やはり十一時を過ぎていた。
ネココにとって、これが人生で初めての学校の無断欠席だった。
晴美の姿が家の中に無いので、どうやらちゃんと仕事に行ったらしい。起きられたなら起こしてくれればいいのに。十八時から音琴の通夜だから、それまでに準備をしなくてはいけないから忙しい。理想は猫塚を見付けて連れていくことだ。その時間を逆算すると、だいぶカツカツだ。
ネココは、洗面所で編み込みを解き始めた。本当はいつもの姿でお別れしたかったが、葬儀のマナーを守る方が大事だろう。髪を解くのも、最初のうちは、絡まって急遽亜蓮に助けを求めることもあった。しかし、編み込みを始めて一年半、徐々に解くのにも慣れた。なにより、「SAKURA GARDEN」で解くとお金が掛かる。どっちみちこの日は、臨時休業だったが。
ネココは、髪を解き終えるとシャワーを浴びた。髪をよく洗わないといけないし、それに前の晩に猫塚を探した後風呂に入らず寝てしまった。
ネココは、シャワーを終えて髪を乾かすと、黒髪スプレーを使用した。そして、頭の後ろで一つに束ねた。喪服は、父のブラックスーツだ。クリーニングに出したまましまっていたので、袖を通すのは久々だった。以前は少しぶかぶかだったが、今回はピッタリだった。この姿を、生きている音琴に見せたかった。
ネココは、チャーハンを作って食べ、冷え込んだ平日の街へ繰り出した。
この日は、公共施設を回ることにした。まずはみらい科学館だ。前の晩に中に入れなかったし、何より音琴が大好きだった場所だ。探す価値はある。次は市立図書館だ。音琴は常に金欠だったから、本は買うのではなく借りていた。課題をやったりテスト勉強をしたりするにも、三人で図書館を利用していた。音琴は、普段は誰も学校の図書室は使わないくせに、勉強するときだけ使う人がいることに辟易していた。自分は違うとアピールするかの様に市営の図書館を利用した。思い出の場所だから可能性はあるだろう。運動公園にも行くべきだろう。猫塚はよく、音琴に運動させようと運動公園内の体育館の二階、ジムスペースを利用させていた。ネココはあまり参加していなかったが、音琴は誘われると断れない質だ。多分、長い時間を過ごしたことだろう。
ネココは、自転車に跨った。
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