二十三
二〇一九年 十一月十二日 六時三十八分
二年生の年の晩秋だ。ネココが教室に入ると、いつもいる筈の音琴の姿がなかった。入学してから今まで、音琴がネココより後に登校したことは無かった。それに、休む時は必ず、ネココの登校前にメッセージが来た。しかし、今回はそれもなかった。いや、連絡の話をするのなら、昨日の昼にLINEが来てから一度もメッセージは無かった。音琴も人だし、そういう事もあるのだろうと思いつつも、ネココの胸中は穏やかではなかった。自分の席に座っては立って、立っては座ってを繰り返し、教室中をうろうろと歩き回った。何かしたか。嫌われるような事をしたのか。
そうしている内に、教室内に人が集まってきた。いつまでもふらふらしている訳にはいかない。
ネココは、自席に着いてスマートフォンを取り出した。校内での携帯電話の使用は禁止されているが、今は非常事態だから仕方ない。まず、SNSがブロックされているか確認した。密かに見つけた裏垢についても確認した。どれもブロックされていなかった。嫌われたということは無いと思う。多分。ならば何かあったに違いない。病気か。いや、そもそも音琴に何かあったのなら、音琴の母、ゆう子が知らせてくれる筈だ。二人まとめて事故に遭ったか。待て、涼介と亜蓮も一緒に旅行していた筈だ。その二人は無事だろうか。連絡先は知らないが、「SAKURA GARDEN」の電話番号なら分かる。しかしまだ営業開始していない。営業開始をただ待ってはいられない。なら検索だ。twitterやグーグルで「蒼井音琴」と検索した。しかし、ニュースなどはヒットしなかった。代わりに、昨日駅前通りで事故があった事が分かった。車が電柱に衝突したらしい。乗っていた女性二人が死亡したとのことだ。画面に写る大破した車は、ヴェルファイアに見えた。ゆう子が乗っていた車だ。ナンバーが見えていれば確認できたのに。でもこの風景、見覚えがあるぞ。実際に行ったことがあるんだから当たり前だけど、そうじゃなくて。ああ、昨日の猫塚のinstagramだ。あの投稿のタイヤストッパーの場所と、事故の場所が一致している。あいつ。
ネココは小説を取り出したが、目が文字を滑り、情報が頭に入ってこなかった。
二〇一九年 十一月十二日 八時三十八分
おかしい。猫塚がショートホームルームに来ない。来るのはいつもギリギリだが、遅れたことは無いのに。いや、人なんだから遅刻ぐらいあるかもしれないが。でも、遅刻なら鈴川が何か言うよな。ショートホームルームでは何の言及も無かった。何かあった可能性もあるから、LINEを送った。
『どこ行ってんの?』
『授業始まるけど』
『アイツとも連絡取れないし』
『もしかして二人でサボり?』
音琴は、サボるために音信不通になっている可能性もある。いや、そうあってくれ。
『警察署』
『私もアオイとは連絡取れない(T_T)』
どういうことだ。
『何で警察になんか行ってるんだ?』
『音琴とはいつから連絡が取れないんだ?』
キーンコーンカーンコーン。授業中にスマートフォンを見るのはまずいから、ひとまず鞄に仕舞った。
二〇一九年 十一月十二日 九時三十分
一限が終わっても、返信は無かった。猫塚から情報が欲しい。何が起こっているんだ。しかし、次は体育だ。いつまでもスマートフォンを見ている訳にはいかない。
ネココは、着替えてグラウンドへ向かった。
二〇一九年 十一月十二日 十時三十二分
ネココがグラウンドから教室に戻ると、猫塚がいた。
「おい、はる。なんでお前、返信しねーんだよ。警察って云うから、何かやらかしたと思って心配したんだぞ」
ネココは、はあっと溜息を吐いた。
「まさか。あんたじゃないんだから。事故の目撃証言だ」
猫塚は能天気に答えた。ネココだったら警察のお世話になってもおかしくない、という発言に一瞬猫塚から顔を逸らした。そしてパッと目を見開いて言った。
「駅前の通りの事故か」
「何で分かったの?」
「事故があった事は知ってたのと、昨日のお前の投稿」
知ってたというか、さっき調べた、が正しいが。
「あんたにしたらヒントが多すぎたね」
「まあな。それよりお前、アイツとはいつから連絡が取れてないんだ」
「昨日の昼過ぎくらいかな」
昼過ぎ。それはネココが連絡を取れなくなった時間帯と合致する。そして、駅前通りで事故があった時刻とも。
「ネココ、まさかあんたアオイがその事故で――」
ネココは猫塚の口に手を当てた。このままだと、死んだって言ってしまう。
「言霊って有る、口にするな。けどな、もし、もしもこの予感が当たってたら。お前、解るな?」
二〇一九年 十一月十二日 十三時二十分
もうすぐ午後の授業が始まる。昼休みは校舎の裏へ行って、「SAKURA GARDEN」に電話を掛けた。しかし誰も出なかった。今日は臨時休業なのかもしれない。休業しなければならない状況ということか。
昼休みが終わってチャイムが鳴った。いつもと変わらない筈なのに、鐘の音は重苦しく感じた。
猫塚が教室に戻って来ない。音琴を探しに行くと言っていた。戻って来ないという事は、校外に探しに行ったか、或いは……。
予鈴が鳴ると、教員がやってきて出欠を取り始めた。しかし、猫塚の呼名はスルーされた。何故呼ばないのか。教員は、既に猫塚がいないと分かっているという事か。だとしたら、猫塚は早退したのだろう。早退したという事は……。ネココは、悪い方に悪い方に考えてしまった。
二〇一九年 十一月十二日 十六時十一分
一日の最後の授業が終わった。ホームルームのために、担任の鈴川が教室に入ってきた。鈴川の様子がおかしい。色で例えるなら藍鼠色だ。
「ホームルームの前に、皆さんに伝えなければならないことがあります」
鈴川は伏し目がちだった。言ってもいいだろうかと悩んでいるように、ネココには思えた。
「えー、その」
「どうしたの花織里ちゃーん」
「そうだよ、神妙な顔しちゃって」
「もしかして結婚?」
「違います!」
鈴川は怒鳴るように言った。鈴川が怒ることは先ず無い。クラスメイトが、授業中にスマートフォンでAVを観ていたのがバレた時だって、みんなが、教室のプロジェクターを使ってテレビゲームしていたのがバレた時だって、怒ることは無かった。
「C組のアオイさん……、蒼井音琴さんについてです。昨日、事故で逝去されました」
瞬間、ネココの双眸は氾濫した。でも、音琴と付き合っているのは秘密。息を吸おうとすると、じゅるっと鼻を啜る音がした。
ああ、やっぱり音琴は死んだんだ。
ネココは、その後のことはよく覚えていなかった。時計を見ても時刻が読み取れなかった。どうやって帰ってきたのか、どの道を通って帰ってきたのかも分からなかい。アルバイトも、休むと電話したのかどうかも分からなかった。ただ一つ分かったのは、気付いたら自宅のベッドの上にいて、とても泣いたという事だ。ネココの目の周りは、鏡で見ると赤く腫れあがっていた。
そうだ。こういう時は音琴に会いに行こう。
ネココは、自転車に跨った。そう。いつだってシンプルだ。音琴と会う、チャットする、通話する、ビデオ通話する、対面して話す……。それだけでどんな時も気分を底上げしてくれた。今だってきっと。
音琴の家は学校に向かって反対方向にある。学校帰りに寄る分にはいいが、直接行こうと思うと少し遠い。でも、音琴に会えるなら、そう思うと一瞬だった。
坂を上がると、音琴の母、ゆう子が運営する「ブルー・ウェル」の看板が見えてくる。その店舗の入ったアパートの二階の一室が音琴の家だ。いつもゆう子さんが、中からガラス越しに手を振ってくれて、ネココはそれに会釈をする。そして、二階に上がる。だが、この日の「ブルー・ウェル」は電気が点いておらず、営業もしていないようだった。駐車場にある筈のヴェルファイアも無かった。いや、でも今日は火曜日だ。定休日だからいなくて当然か。
ネココが音琴の家の前に来てチャイムを鳴らす。だが、何回鳴らしても帰ってくるのは静寂だけだった。ドアノブに手を掛けても、動かなかった。
ネココは踵を返した。ネココの家の近くにある、みらい科学館へ向かった。音琴が大好きだった施設だ。基本的には、音琴は自宅かみらい科学館のどちらかにしかいない。家にいなかったのだから、ネココの向かうべき場所は一択だった。
自宅を出て自転車に乗り始めて一時間くらいが経過したと思う。やっと壁に書かれた「みらい」の赤文字が見えてきた。ガラス張りの箇所とか、プラネタリウムドームがとても近未来な設計なのに、その赤文字のせいで「これは子供向けの施設だ」と強調されているようで惜しい。音琴もいつも同じようなことを言っていた。音琴の場合は、それでお客さんが来なくて助かる、という意味だったが。
ネココは、駐輪場に自転車を止めて、受付に向かった。
「あ、おにいちゃん」
受付のおじいさんが話しかけてきた。こんなところに来る高校生など、数えるほどしかいない。だから、音琴、猫塚、ネココの三人は顔が覚えられていた。
「今日は一人? 珍しいねぇ、おにいさんが一人だなんて」
それはそうだ。ネココは、施設が好きでもプラネタリウムが好きでもない。音琴が好きで来ていたのだから。
「あー、他は誰も来てませんか?」
「そうだねぇ、いつもの子たちは来てないよ」
「そう……、ですか……」
「何か、あったの?」
「あー、いや、何でもないです。取り敢えず高校生一枚で」
よく、誰が入館料を奢るかを、何かを競って決めていたっけ。
「はい、五百円ね」
ネココが財布を取り出した時、中に入れておいた三人の映ったプリクラが見えた。三人でゲームセンターに行った時に撮ったものだ。音琴はクレーンゲームが得意だったっけ。小銭入れのジップを開いて五百円玉をおじさんに渡した。
「はい、五百円いただきました。これ、入場券ね」
「ありがとう……ございます」
この入場券も、よくみんなで撮って複数人で来たアピールをしてたっけ。音琴もネココも乗り気じゃなかったけど、猫塚が「やろうやろう」ってうるさかったな。
ネココは、プラネタリウムドームへ向かった。ちょうど、最終の回が始まるところの様だった。音琴は基本、ドームの端に座りたがったけれど、猫塚は真ん中に座りたがって、大体いつも折れて真ん中に座ってたっけ。
ドームの中にはネココ一人だけ。座ったのは端だった。
少し経って、プラネタリウムのプログラムが始まった。けれど、内容が入ってこない。音琴のことだけが頭を駆け巡った。
何故、音琴は。蒼井音琴は死んだのか。音琴は交通事故に遭ったからだ。何故事故は起きたのか。タイヤストッパーが路上に置き忘れられていたからだ。なぜ路上に置きっ放しになっていたのか。猫塚が気付いたのに、instagramに上げて喜んでいたからだ。猫塚がタイヤストッパーを除けてさえいれば……。
猫塚が憎い。
猫塚が憎い。
猫塚が憎い。
復讐だ! ネココは、復讐を決意した。死んでから行く地獄よりももっと苦しくて辛い思いをさせてやる。
ネココは、twitterで事の顛末を誇張して発信することにした。スマートフォンを手に取って、音琴とゆう子が死んだ事故のニュース記事を探した。自損事故だから、記事を探すのが大変だった。一時間かけ、漸く小さなネット記事を見つけた。あって良かった。ソースの無い投稿を信じてもらうのは、難しいからだ。そして、記事のスクリーンショットを取って、トリミングした。余計な情報があると、見た人の視線はそっちに行ってしまう。次に、猫塚のinstagramへの投稿にアクセスした。こちらも、URLとスクリーンショットを控えた。それらを、見た人を煽動するような文言とともにツイートした。
『小屋根香子 @Punishment_for_sin
この投稿の直後に事故が起きているのよね。この人がタイヤストッパーを除けていれば事故は起こらなかった。つまりこの人が事故を起こしたも同然って事よ。これは殺人よ。殺人者に制裁を!
instagram.com/…
https://...
pic.twitter.com/…
pic.twitter.com/…』
よし、これでいい。ネココは、ツイートが拡散されるのを今か今かと待った。
二〇一九年 十一月十三日 八時○○分
朝のショートホームルームがもう少しで始まる。SNSの炎上で狼狽える猫塚を見るため、いつもより早めに自習室から教室に戻ってきた。肝心のリツイート件数は、一晩で五千にも伸びた。猫塚のinstagramには誹謗中傷が飛び火していた。望ましい状態だ。
ネココが教室に入ると、クラスメートの話が耳に入った。
「アオイさんの葬式、明後日だって聞いたか?」
ネココは、ハッとした。この学校で最も、音琴に近しい存在だった筈だ。なのに、葬式の日にちも教えてもらえないのか。
「聞いた聞いた。お前、行くのか?」
「えー、どうしようかな。去年は同クラだったけど、話したことないしな」
「まじかよ。まあ、俺なんて顔もよく分からないけどな」
「じゃあ行かなくていいかな。勉強の方が大事だろ」
「だよな」
ネココは、イラっとした。人が死んでいるんだぞ。葬式には出席すべきだろう。いや、音琴を軽視するような奴に送られても嬉しくないか。ネココは、気持ちを抑える様に努めた。
しばらくして、鈴川が教室に入ってきた。猫塚はまだ入ってきていない。落ち込んでいるのか。
結局この日、猫塚は学校に顔を出さなかった。
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