二十一

  二〇一八年 十一月十六日 六時二十二分


 金曜日だ。この日を乗り切れば土日だ。といってもアルバイトと塾で休む暇は無いが。昼は塾で講義を受け、夕方からはフードコートの天ぷら屋で仕込みや皿洗い。正直、学校の方が楽に感じる。なのに土日を切望してしまうのは何故なのだろう。

 ネココは教室に入った。前日のホームルームで、席替えが行われた。音琴の近くの席が良かったが、離れた席になってしまった。そもそも、最初の名前の順の配置以来、近い席になれたことは無かった。

 慣れない席の配置に戸惑ったが、音琴のことはすぐに見つけた。刹那、既に席に鎮座していた音琴の元へ駆け寄った。自分の席に荷物をおくこともせず。

「おはよう、音琴」

「おはよ、恋心君」

 ネココは、音琴の頭をわしゃわしゃと撫でた。それは犬を可愛がるかの様だ。

「はあ、せっかく綺麗に結んでるのに」

「だって可愛いんだもん」

「もう」

 音琴の顔は熟した苺の様だった。その果実にネココは抱き着き、唇を唇に重ねた。舌をリップの間に通すと、そこに音琴の舌を感じた。すると音琴の舌が蛇の様に絡み付いてきて、気持ちが良かった。唾液がまじり合う音がした。いつまでもこうしていたかった。しかし五分弱キスをすると、音琴がポンポンと肩を叩いてネココを制止した。そして音琴は顔を離した。

「何だ?」

「昨日ね、猫塚さんと一緒にプラネタリウム観たの」

 音琴は言った。顔と顔の間は、ペットボトルが縦に一本入るかどうかくらいの距離だった。吐息が顔を撫でた。ふうっとくすぐる風にどきどきした。

「みらい科学館でか?」

 正直、音琴の話なんて入ってこなかった。このシチュエーションで冷静に話を聞ける人がいるだろうか。いや、でも音琴も同条件だよな。

「そう。びっくりしたよ。プラネタリウムドーム入ったら泣いてる人がいたんだもん」

「はるが泣いてたのか。意外だな。そもそもプラネタリウム行くような奴じゃない」

「そう! そうなの。仕方ないから話聞いてあげたらね、『お別れしてきたんだ』だって」

「お別れ? 誰か死んだのか?」

「言い方。まあそう思うよね。でも違ったの。彼氏と別れたんだって」

「嘘だろ?」

「ほんとだって」

 はるの彼氏……。それって桜庭亜蓮、音琴の兄じゃないか。お似合いのカップルだったのに、どうして。

「猫塚さんたらね、私が元彼さんの代わりに拠り所になるって言ったらね、じゃあセ、セックスだ、なんて言うんだよ。こっちは真面目に話してたのに」

「音琴。お前、はるの彼氏、もとい元彼が誰だったか聞いたか?」

「いや、知らない。『どうせ知らないんだし、言っても退屈でしょ』って。まあ私も興味ないから有難かったけどね」

 そうか。伝えてもいいが、話が拗れるかもしれない。ここは黙っておこう。

「ふうん。ていうか、恋心君って猫塚さんのこと『はる』って呼ぶんだね」

 音琴は、自身の目玉がネココのそれに付きそうなくらいじっと見た。

「あー、それは簡単な話だ。あいつとは保育園からの知り合いなんだ。普通その歳で苗字呼びしないだろ?」

「確かに。ごめん、疑った」

 音琴は、ネココに抱き着いて謝った。

「じゃあそろそろ離れるか」

「うん」

 どちらから言った訳でもなく、二人はその関係を隠すことにした。と言っても、派手な金髪頭と地味な眼鏡っ子の組み合わせでは、付き合っていると言っても冗談にしか聞こえないだろうが。とはいえ、いちゃいちゃしているのを見られては付き合っていると思わざるを得ないし、そもそもそれは恥ずかしい。努力のお陰で、二人でくっ付いているところを見られたことは無い。

 この早朝のやり取りが、二人のデートの代わりだった。放課後や休日に会いたい気持ちもあったが、ネココは塾とアルバイトでほぼ休みが無かった。ちゃんとしたデートができない分、たまにはディズニーランドとかに連れて行ってやりたいんだけどな。

 ネココは自習室に向かった。早くから教室にいると真面目だと思われてよろしくない。ギリギリに学校に来たと思われて、かつ遅刻の懼れのない方法はこれだけだろう。こんな朝早くから自習室を使う奴は社交的じゃないだろうから、真面目バレの火種にはなるまい。


  二〇一八年 十一月十八日 二十二時五分


 ラグドールって何?


 この日の夕飯時のアルバイトは、日曜日と思えないくらい忙しかった。

 ネココの仕事は皿洗いと仕込みだ。少人数でのオペレーションの際は、ネココも調理したりレジを担当したりすることもあるが、ピーク時の人数がフルで入った時には雑務に回された。フードコートの皿洗いは大変だ。客が食べ終わった後の食器やお盆などは、返却カウンターに置かれる。カウンターがいっぱいになってしまうと、客が置けなくなってしまう。だから、いっぱいにならないよう目を配りながら、洗い物をしなくてはならない。それと並行に、仕込みが残っているか確認し、無いようなら仕込む。仕込みの対象は二十種類くらい。常に頭を回転させないと回せない。

 日曜日の夕方は、行列ができたとしても列を折り返して二列になるまではいかない。でも、今日は三列並んでいた。フードコートは閉まるのが早いから、土曜日の夜でもこんなに並ぶことは珍しかった。返却カウンターには波のように食器が押し寄せてきた。洗っても洗ってもまた押し寄せた。

 ネココは沢山の洗い物という現実から目を逸らすためにトイレに行った。ちょうどそのタイミングだった。「ラグドール同盟」というLINEグループに招待されたのは。そして入った。

『何これ』

『ラグドールってエロいな』

 ネココは、この二通のメッセージだけを送り、アルバイトに戻った。どういう意図のグループかを考えた。グループの三人の共通点は片親か親がいない点だ。だが、ラグドールの意味が分からない。

 その後ネココは、ラグドールの意味をぼんやり考えながら、閉店まで無事にアルバイトを乗り越えた。店のクロージングを終え、漸くネココは自分の時間を手にした。

 店の事務所で放置していたLINEを開くと、ラグドールのグループチャットが百件くらい未読で溜まっていた。二人で会話するなら、個人チャットでして欲しい。ネココは、音琴にLINEを送った。

『ラグドールって何?』

 送信してから、一秒も経たずに既読が付いた。そして五秒で返事が返ってきた。

『親がどっちかもしくは両方いない人のグループだよ』

 やはりそうだった。だが、それではラグドールの意味が不明だ。

『それは何となくそうだと思ったが、ラグドールってなんなんだ?』

 またすぐに既読が付き、返事が返ってきた。

『知らないの? 猫種だよ。私たち、名前にネコって入ってるから』

 そういうことか。なら何故、沢山ある中からラグドールを選んだんだろうか。文字を打とうと持ったら、追加でメッセージが来た。

『ラグドールの由来はね、ぬいぐるみなんだよ。ぬいぐるみはバラバラな生地を繋ぎ合わせて中身詰めて作るでしょ?

 私たちもバラバラだけど繋ぎ合って、空っぽな中身を思い出とか絆でいっぱいにできたらなって

 なんて、後付けだけど』

 ぬいぐるみは、まずパターン(型紙)を作り、それ通りに生地を裁断、縫い合わせる。そして、綿、或いはビーズを詰めて、目や鼻などの装飾を施し、仕上げをして漸く完成だ。三人が長い道のりをかけて仲良くなろうということか。いいセンスだ。

『そうか、意図は把握した』

『俺はバイト先から帰るところだが、音琴はもう寝るんだろう?』

『おやすみ』

 そう送ると、『気を付けて帰ってね』というメッセージとともに、キャラクターがおやすみと言っているスタンプが送られてきた。


  二〇一八年 十一月十九日 十二時四十三分


「もう! 月曜日からギリギリに来るとか、どういう頭してるの?」

 ネココが購買部から教室に戻るなり、世迷言を言ったのは猫塚だ。今朝、ショートホームルームが始まるギリギリに教室に入ったこと怒っているのだろう。ラグドール同盟の話をしたかったに違いない。だが、学校にギリギリに来ている訳ではない。教室への再入室がギリギリなだけだ。こちとらその二時間も前から学校に来ているんだぞ。そう思うだけで心に留め置く。言ったら、根が真面目なままなのがバレてしまう。

「それを言うなら、何で俺がメシ買ってくるの待ってられないんだ?」

 猫塚は手製の弁当、音琴はコンビニ弁当を広げて食べていた・

「それはそれ」

「あぁ? まあいいか。よくないが。登校なんてな、ショートホームルームに間に合えばいいんだよ。大体、お前だって精々十分前登校ぐらいだろ? 大差ないじゃないか」

「大差ありますー。十分前行動とぴったり行動は大きな差でーす。それに今日は八時には来てましたー」

「ま、まあまあ、朝早く集合って言ってなかった私たちも悪いってことで。ね?」

 音琴が会話に割って入ってきた。じゃれているだけだが、言い争っているように見えたのだろう。

「え? 言ったよ? グルチャで」

 流石猫塚だ。空気が読めない。折角音琴が止めてくれたというのに。大体、ラグドール同盟のグループチャットは百件くらいのログがあった。それを全部読めというのは理不尽過ぎる。しかしネココは、文句を言おうとした時に音琴が両手を胸の前でわなわなと震わせているのに気付いてしまった。これ以上言い合いをするのは音琴が可哀想だ。折れよう。

「見てなかった俺が悪かった。すまん」

「あんたにしては素直ね。そうね、その意気に免じて許してあげよう」

 猫塚がそう言うと、音琴は安堵の表情を浮かべた。小さく細い声で「よかった」と言ったのも聞こえた。

「よし、じゃあ本題に入ろう」

「飯食いながらでいいか?」

 言った瞬間には、既にネココはからあげ丼の包装を剥いていた。

「許可する」

「助かる」

「それでは」

 猫塚は立ち上がった。

「一度ご飯を食べる手を止めて欲しい」

「おい、今飯食っていいって言ったじゃんかよ」

 ネココは持っていた割り箸で、猫塚をさした。

「では」

 猫塚はネココを無視して話を続けた。

「音琴ちゃん。音琴ちゃんはさ、ラグドール同盟の存在理由をなんだと思ってる?」

「は、はひい!」

 音琴は声を上擦らせた。

「え、き、急に訊かれても……」

 音琴、こっちをチラチラ見て助けを求めるな。

「うんうん、分からないよね、アタシも分からないもん。だから、決めようと思います!」

 猫塚は、自由の女神像の様に右手を高く掲げた。

「そんなもん、決める必要あるのか? もう決まっているようなもんじゃないか」

 ネココは、猫塚に疑問を投げかけた。

「親がいないってことだろ? じゃあよ、ラグドール同盟の目的は”三人で普通に両親がいる人には分からない悩みを相談する”とかになるんじゃないか?」

 二人はじとっとした目をした。

「堅い」

「うん……」

「じゃあどんなならいいんだ?」

 二人は「うーん」と唸った。次に口を開いたのは音琴だった。

「あ、あくまで参考だけど、私ならみんなで夜空とかプラネタリウムとか見れたら楽しいなって思うよ。私、星見るの好きだから」

「アタシもそれいいと思う! プラネタリウム案外面白かったし」

「んー、それじゃプラネタリウムを観る時間のない俺はハブられるじゃないか」

 ネココは意図的に語気を強めて言った。

「じゃあ、バイトか塾辞めるこったね」

「あのな――」

 キーンコーンカーンコーン。五時限目のチャイムが鳴った。はあ。

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