二十

  二〇一八年 四月十三日 十六時四十一分


「ねえ……、書架整理、そんなに真面目にやって疲れないの……?」

 音琴の右肘は図書室のテーブルに付けられていて、頬は拳に乗せられていた。

「別に誰かが見ている訳じゃないんだし……、もう少し気楽にやればいいのに……」

 音琴はぷくっと頬を膨らませた。

「そういう音琴さんだって、わざわざ図書室なんて集中できるところでポップ作ってるじゃないか。いつも気怠そうにしてるが、意外と真面目なんだな」

 二人は一週間前に図書委員会に出席し、それぞれに役割が振り分けられた。ネココは書架整理班に、音琴は広報班に。ネココにとっては、初の当番日だった。

「別に集中したいから図書室でやってる訳じゃないし……」

 音琴はポップを書く手を止めて、指を遊ばせながら言った。

「じゃあ、委員会で決まってるのか?」

 ネココは書架整理の手を止めることなく言った。

「う、うん。そんなとこ」

「どれー?」

 ネココはそそっと音琴の方へ近寄り、書きかけのポップを覗き込んだ。

「えっ! やだっ!」

 音琴はそう言うと、咄嗟にポップを椅子の背もたれの後ろに隠した。

「なんだよ、どうせ飾るんだから今見たって同じじゃないか」

「未完成のを見せるのが厭なの。分からない? それに、完成品は名前入れる訳じゃないから誰が書いたか分からないし」

 音琴はポップを持った手をそのままに言った。

「ふーん、そうなのか。でもどうせ、ラノベとかのポップなんだろ?」

 ネココは立ったまま、椅子に座る音琴を見下して言った。

「違うもん。もういい、帰る!」

 音琴は、ネココから見えないように机の下でポップを鞄にしまい込んだ。

「締め切りはいいのか?」

「今の進捗的には余裕がある」

 音琴は、図書室の出口目掛けて走りながら言った。

「おーい、校舎内では走るの禁止だぞーっと」

 ネココが呟くも、図書室の外からはバタバタと走る音が聞こえた。


  二〇一八年 五月十一日 十七時十九分


 二〇一八年度・第二回図書委員会の書架整理班の話し合いが終わった。ネココは、その足で図書室へ向かった。どうやら広報班がポップを飾り付けたらしい。音琴の書いたポップを探し当ててからかい、日頃受けているキツい当たりの仕返しをしてやろう。


 ネココは、二十分も音琴の作ったポップを四十分も探したが、特定には至らなかった。ライトノベルを書いたと思っていたが、どうやら音琴の「違うもん」は嘘ではなかった様だ。代わりにネココの足を留めたポップがあった。

「山月記・李陵 中島敦

『その声は、我が友、李徴子ではないか?』

国語でお馴染み、『山月記』が収録された短編集!

授業で少しでも中島敦が気になったそこのアナタ、

一読の価値アリ!

虎になる以外の作者の引き出しを覗いてみませんか?」

「へー、俺と同じ趣味の人がいたとは」

 ネココがポップの筆跡をよく観察すると、一字一字丁寧にレタリングされているのが分かった。

「うーん、筆跡で誰が書いたか特定するのは無理……か」

 ここまで丁寧に書くには、相当の愛が必要な筈だ。そんな人と小説談義に花を咲かせたい。そして、女性ならあわよくば付き合いたい。ますます誰が書いたのか知りたくなった。しかし、どうやって特定しようか。同じ広報班の音琴に聞くのが手っ取り早いが、LINEのアカウントを知らなかった。音琴とLINEを交換しておけば、すぐに誰が書いたのか判明したかもしれないのに。猫塚に無理矢理入らされたクラスのLINEグループにも、音琴は入っていない様だった。今日は金曜日だ。だから次に会えるのは三日後。ネココがこんなにも週末を呪ったことは過去に無かった。


  二〇一八年 五月十一日 十八時一分


 ネココは学校近くの書店に来ていた。同じ図書委員会の書架整理班に属する、二年生の先輩に教えてもらったのだ。 

とにかく広い。サッカーコートくらいの面積で二階建て。その中にearth music&ecologyとスターバックスコーヒーが入っていた。スターバックスコーヒーでは、会計前の書籍を持ち込んでドリンクが飲める様だ。でも、結局買うのだから意味は無いのではないだろうか。

ネココには、書店に来たら必ずする事がある。それは、中島敦の作品が置いてないか確認することだ。置いてあれば良い本屋だし、置いてなかったら悪い本屋だ。店の大きさとか、入っている店とかは関係がない。

ネココは中島敦を探し始めた。文庫化されているので、文庫本の「な」行を見つければ見つかったも同然だ。だが、広い書店のため、漸く見付けたときには十五分経っていた。そして、本棚にそれを確認した。『中島敦全集』。ネココがそれに右手を伸ばすと、隣から別の人の左手が伸びてきた。ネココが咄嗟に譲ると、その相手は音琴だった。

「えっ、茅根君?」

 音琴は、水槽に石を投げ入れられた金魚のような振る舞いで言った。

「音琴さんじゃないか。会いたかったんだ!」

「え!」

 音琴は目をパチクリさせた。

「でも、何してたんだ?」

 ネココは続けて問うた。

「そ、そっちこそ、ここで何してるのよ。家、真逆の方じゃないの?」

 音琴は右手で、ネココを指さしながら言った。

「図書委員の先輩に教えてもらったんだ。広くて色々な種類の本がいっぱいあるって。実際来てみていいなと思ったよ」

 腕組みしながらネココが言った。

「へー、よ、よかったね」

 音琴はどこか上の空だ。

「音琴さんも本を買いに? その本、中島敦だね。読むの?」

 ネココは、音琴の手元を覗き込むようにして言った。

 はわー、と、音琴は大きく口を開けた。

「いやー、これはー……」

 音琴はバツが悪そうに頬を掻いた。

「そう! ポップ! 図書室に飾ったポップの中に中島敦のがあったの。それで面白そうだなって」

 何か思い付いた様に言った。漫画やアニメなら、音琴の頭の上には電球マークが描かれていただろう。

「そうか! 俺、探してたんだ。そのポップ書いた人。会いたかったって言ったでしょ? 音琴さんなら知ってると思って」

「あー、そういうこと……」

 音琴は唇をむーっと噛んだ。

「いやあ、知らないなあ。まだ誰が誰だか分かってないの。顔と名前一致してないし。そもそも一ヶ月に一度顔合わせるだけで覚えきれるかっての。一年通しても十二回……いや、夏休み抜いて十一回か。それだけしかないから今年一年間かかっても覚えきれないわ。何だっけ? 中島敦のポップ誰が書いたかだっけ? そういうことだから私なんかに頼らず自力で見つけることだね」

 音琴は口を開くなり、ワーッと早口で捲し立てた。

「そうかー。なら仕方ないな。ごめんね」

「ほんとだよ、まったく」

 音琴は、はーあと聞かせるように溜息を吐いた。

「じゃ、俺は行くね。あ――」

「え?」

 ネココは、音琴の持つ『中島敦全集』を指さした。

「その本、買って損はないよ。うちにもある」

 ネココはそう言うと、身を翻した。

「待って!」

 肩口から音琴の声が聞こえたネココは、首だけを彼女に向けた。

「私におすすめの本とか教えてくれないかな……? いや、邪魔ならいいんだけどね。自分の好きな本じっくり一人で見たいだろうし。私なら書店行こうって誘われても一人で行きたいって断っちゃうだろうし。それに――」

「いいよ。がっつり布教してやる。でもいいのか? それ買うんだろ? 予算は?」

「全然余裕」

 音琴の口角が上がり、目は三日月のように細くなった。


  二〇一八年 五月十一日 十八時四十二分


「いやー買った買った。ちょっと買い過ぎちゃったかも。茅根君ごめんなさい、こんなに持って貰っちゃって」

「大丈夫だよ。俺、中学の時剣道部だったから」

 音琴はそれを聞くと、ニカっと笑った。

「イメージ通りだ、それは。似合ってる似合ってる」

 音琴は、手を叩いてあはは声を漏らした。

「何か、良い意味に聞こえないんだけど」

 ネココは、自分の顔が引き攣ったのが分かった。

「安心して。すごく良い意味だから。もうね、サッカー部とかバスケ部とかだったら幻滅してたよ。」

「なんだそれ。その発言、全国のサッカー部、バスケ部とそのOBを敵に回してない?」

「ううん。大丈夫だよ? 爽やかでいいじゃない」

 ネココはほうっと息を吐いた。

「そうかそうか。じゃあ俺は爽やかの対極にいるってことか」

 音琴は「あ」と短く発声した。しまったという顔だった。

「ま、まあまあ。ほら、私の家着いたし」

 そこは一階が美容室になっているアパートだった。美容室には「ブルー・ウェル」という看板が掛かっていた。前に音琴の兄、亜蓮が、母がその名の美容室を営んでいると言っていた。蒼い井戸か。それは。

「『SAKURA GARDEN』と発想が一緒だな」

 ネココは腕組みしながら言った。亜蓮と慎介が営んでいる美容室だ。苗字が「桜庭」だから「SAKURA GARDEN」。

 途端、音琴はネココを指さした。

「そう! そうなの! あの二人、凄く気が合うみたいなの。私とお兄ちゃんのこと気遣ってかな? 四人で定期的に旅行するんだけど、あ、四人ていうのはお父さんとお母さんとお兄ちゃんと私ね。それで、ご飯食べに行ったら必ず同じもの食べるし、お土産買いに行ったら必ず同じもの買うし、なんなら計画の段階で同じところ行きたいと思ってたなんてしょっちゅうなの。お兄ちゃんとは、何で離婚したんだろ、ていつも話してる」

「なーに話してるの? あ、入学式の時の」

 ゆう子が「ブルー・ウェル」から出て、話しかけてきた。ゆう子は挨拶代わりに右手を上げてにこっと笑った。

「こんばんは。娘さんにはいつもお世話になってます」

 ネココはニッと口角を上げて一礼した。

「わー音琴と違ってしっかりしてるのねー。見習ってほしいわ」

「私だってこのくらいの挨拶できるし」

 音琴が不貞腐れているのが、顔を見なくても分かった。

「どうだか。そうだ、ねえ、金髪クン」

「茅根です」

「茅根クン。うち、上がってかない? 狭いけど。ちょうど今終いなんだ」

「え、ちょっとお母さん! 何言ってるの、迷惑じゃないの」

 音琴は、ゆう子に近付き、左手の袖を引っ張った。ゆう子は音琴を一瞥し、ネココを見やった。

「迷惑なんかじゃないわよねー? 茅根クン?」

 ゆう子は頭を右に傾けて言った。

「はい……、えー、その、お言葉は凄く有難いんですが、俺、そろそろ帰ってご飯作らないといけないので……」

「え! 茅根クン料理できるの? すごい! 音琴に教えてやってよ」

 ゆう子は小さく拍手をした。

「簡単なのしかできないですけどね。それで良かったら是非」

音琴は「ちょ」と口にして固まった。

「得意料理は何なの?」

「んー、カレーですかね。スパイス取り揃えてて」

「スパイスからなのー? 凄いね」

「ちょっと、私抜きで話進めないでよ。いいし、料理くらい自分でできるし。茅根君だってもう帰らないといけないんだから呼び止めたら悪いよ。」

 音琴は、ゆう子もネココも視界に入らない場所を探しているようだった。

「そうねぇ、残念だけど今日は帰ってもらおうか。今度時間ある時寄っていきなよ」

ネココが「はい、是非」と言うと、音琴に背中を叩かれた。


  二〇一八年 五月十四日 七時八分


 月曜日がやってきた。土日はアルバイト中も塾の講義中もずっと中島敦のポップのことで頭がいっぱいだった。月曜日になれば誰が書いたか突き止められるかもしれない。

ネココは、普段からショートホームルームの一時間前には学校に来ていた。部活動に参加していないにも関わらずだ。ネココが音琴よりも早く教室に着いていたことは、ただの一度もなかったが。

この日、ネココは普段の二十分も前に教室に着いた。早く来れば、それだけ早く作者に辿り着けるかもしれない。

「わっ!」

 ネココは、教室に入った瞬間に驚嘆の声を上げた。

「え、あ?」

 音琴も慌てふためいた。机の上を片付けようとするが、手が上手く動いてくれないようだ。

「音琴さんが中島敦のポップを作ったの?」

 ネココは指さした。その先にはすべての文字が丁寧にレタリングされたポップがあった。そんなポップは、飾られた中では一つだけだった。

「うん……、そう……だけど」

音琴は顔を逸らして言った。

「なんで金曜は隠したんだ? 恥じることなんてないじゃないか」

 音琴はだんまりだった。いや、答えようとしていたかもしれないが、ネココはそれよりも早く口を開いた。

「まあ、何にせよ中島敦好きの同志が見つかって嬉しい」

 音琴は唇を噛んだ。

「それは違う。いや、違わないけど、ちょっと違う。そもそも私が中島敦を読もうと思ったのは、始業式の日、自己紹介で茅根君が好きって言ってたから」

「ああ、確かに言ったけど、挨拶が面白くないって言ってなかったか?」

 音琴は「あはは」と笑って誤魔化した。

「何で? 何でそれで読もうと思ったんだ?」

「いやー、えっとー……」

 音琴は顔を赤らめた。そして、その頬を隠す様に手を当てた。可愛い、と思った。入学式の日、おめかしした姿は可愛かったが、それとは違った。何故そう思ったのか分からなかった。あった変化は、同じ作家が好きと分かった事くらいだ。もしかしたら。もしかしたら、「俺、音琴さんのこと好き」かもしれない。

「え?」

 音琴は短く発音した。口にしたつもりはなかったが、声に出ていたのか。

「わ、私も、茅根君のこと、す、好き……、だよ?」

「え」

 今度はネココの声が短く発せられた。どう反応すればいいか。意図せず告白した形となったが、返事を聞いてしまった以上、あれは間違いでしたと言う訳にはいくまい。

「それじゃあ、俺たち、付き合う?」

 教室が水底に沈んだようだ。静かで重苦しかった。これで断られたらどうしよう。恥ずかしいし惨めだ。せっかく手に入れた中島敦仲間だが、それをすぐさま手放すことになるかもしれない。フラれても、今までのように会話できるだろうか。いや、できないだろう。それは嫌だな、本当に――。

「……うん、いいよ。よろしくお願いします」

「あ、ああ、こちらこそよろしく」


二〇一九年 十一月二十日 十九時十分


「これが、俺と音琴が付き合うようになった経緯だ」

「ふうん」

「正直、何で音琴が俺のことを好きになったのかは知らず終いだったがな。いつか訊こう、と思っていたが、そんなのいつでも訊けると思ってた。いや、実際お前があいつを殺さなければ訊けたかもしれないがな」

「んー、それはそうだね。でも、アタシはアオイがあんたを好きになった理由を知ってる。誰かは知らなかったけど、彼氏がいるのは聞いてたからね、どこが好きかとか、何で好きになったかとかは聞いてやったよ」

 猫塚は、淡々とアンドロイドが喋るように話した。

「教えて……、くれるのか?」

「さあねー。でもあんたがアタシにとって有意義な話をしてくれたのなら、もしかしたら話すかもね」

「話す、勿論」

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