チャプター7 検品
十八
二〇一九年 十一月二十日 十八時○○分
『屋上で待ってる』
ネココは、猫塚からLINEを受け取った。
ネココが屋上に足を踏み入れると、猫塚はフェンスの向こう側で待っていた。野球部のナイター練習用の照明が猫塚を照らしている。
「馬鹿な真似はやめ――」
「小屋根香子はあんたね、茅根恋心」
ネココの怒鳴り声に、猫塚は間髪入れず冷たいトーンで言った。
「そんな訳無いだろう。動機が無いじゃないか」
ネココは両腕を左右に広げて言った。
「そうなんだよね。でも証拠があるんだ。小屋根香子をコヤネカコと読むと、カヤネココのアナグラムになってる。それに、炎上すると分かっていて、パンケーキとカラオケの写真をインスタにアップする様に、アタシを仕向けた。どう? 言い逃れできる?」
猫塚は淡々と真顔で言った。
「何だ。そこまで分かってるのか。そうだ。俺が小屋根香子だ」
「やっぱり。じゃあ何でアタシのインスタを炎上させたの?」
猫塚は感情的になって言った。双眸には涙が溢れようとしていた。
「そうだな、復讐だ」
「え?」
「やっぱり気付いてなかったか。音琴は俺の彼女だったんだよ」
「ネココがさ、アオイに腹パンされてるとこ、見ちゃったんだよね。喧嘩したのかなって思って。それを最後にされたのが嫌だったのかな、て思ってたんだけど、そっかー……」
「あいつ、よく腹パンするだろ。加減知らないから、された方はいつも悶えることになるが。だから平常運転だ」
「確かになー……。あー、アタシ、なんてことしちゃったんだろ。本当にごめんなさい。いや、彼女だったからとか、そういうので態度変えるの良くないとは思うんだけど、でも、あー……。」
猫塚の頬が、線状に光を反射した。
「はる。取り敢えず、こっちへ来い。な?」
「んー、さすがに罪を背負う覚悟は無くてさ。可能なら今死にたいんだ」
「それは許さない」
猫塚が一瞬下を向いて、ネココをまた見た。
「じゃあ、”何でアオイと付き合うようになったのか”から、”アオイが死んで、あんたがアタシを炎上させた”ところまで話して。取り敢えず、その間はここから飛び降りないであげる」
少しでも猫塚が死なない可能性があるのなら。
「分かった、話そう」
二〇一八年 四月三日 六時〇〇分
今日は入学式だ。ネココは、高校デビューをすると決めていた。偏差値が高い星真高校への進学が決まった事が幸いして、同じ中学の知り合いは殆どが別の高校へと別れた。デビューするには今しかないと思った。髪の毛は受験日を境に伸ばし続けた。髪も昨日染めた。地毛という言い訳は到底できないような金髪だ。姉にはムラがあってダサいと言われたが、回数をこなせば上手くなると思う、多分。
今日早起きしたのは、美容室に来るためだ。編み込みをしてもらう。春休み中、自分で何度も練習したが、一生残るかもしれない写真に不格好な状態で映りたくはない。自分で染めるのが難しいと分かっていたら、それもお願いしていたろうけど仕方がない。
「恋心ちゃん、染めるの下手だねー。俺は器用だから大丈夫ってあんなに言ってたのに」
亜蓮が言った。今恋心が居るのは「SAKURA GARDEN」だ。
「こらこら、幾ら恋心くんだってお客さんなんだから煽っちゃダメでしょ」
涼介が亜蓮を窘めた。
「はいはーい。ごめんな、恋心ちゃん。でも、サービスするからうちで染めなよ。その方が綺麗だから」
亜蓮は悪びれる様子もなく言い、ダッカールを恋心の髪に差し込んでいく。
「いや、これから何回も練習して、一人でも上手く染められるようになるんで」
ネココは鏡越しに亜蓮に言った。鏡には手早く髪束が編み込まれていくのが映る。話しながらできるんだから、流石プロだ。
「えー、一応、カットとカラーのセットだと割引あるんだけどなー」
「それでも学生には厳しいんで」
「そっかー」
亜蓮は口をへの字に曲げた。
「まあ、でも、今日みたいな節目の時には利用させてもらうかもしれないです」
「本当? ありがとうございます」
亜蓮は笑顔になって、軽く礼をした。なんでこっちが気を遣っているんだか。
しばし沈黙が流れた。その間も亜蓮の手は休まず編み込みを続けていった。
「はい、完成。後ろはこんな感じ」
そう言って亜蓮は、二面鏡をネココの頭の後ろに持った。左側頭部から四重にコーンロウが施され、右側頭部でそれらが束ねられ、サイドテールが作られていた。
「わー、流石です。俺じゃこんなに上手くできないです」
「そりゃあプロだもん。お金貰うんだから、これくらいできないと」
亜蓮の髭を蓄えた口元がにっと開いた。
「さもできて当然の様に言ってるけど、亜蓮ったら心配で昨日猛練習してたんだから」
掃除をしていた涼介が横から言った。
「ちょっと、恥ずかしい事言うなよ。ほら会計お願い」
亜蓮は赤面した。それに釣られてネココの口元は緩んだ。その時だった。
カランコロンカラン。ベルを鳴らして美容室の玄関が開いた。そこにいたのは、礼装をした壮年女性と、ネココと同じ高校の制服を着た少女だった。壮年女性は快活な雰囲気、少女は白鳥の様に美しく、気品が漂っていた。
「おはよう。来たよ」
制服の少女が小さな声で言った。
「おー、音琴ー! 綺麗になったなー」
涼介が言い、軽く屈んで少女の頭を撫でた。
「ありがとう、お父さん。お母さんがやってくれたの」
少女がはにかみながら言った。
「流石ゆう子だね」
涼介が壮年の女性に対して言った。
「あら、私がここにいた時は文句ばっかり言ってた癖に」
女性は腕組みをしながら怒りを表す様に言った。
「そんな前の事持ち出さないでよ」
涼介が苦笑した。
「亜蓮さん、あの二人は誰ですか?」
ネココはスタイリングチェアに座ったまま、後ろの亜蓮に言った。
「歳取ってる方が俺のお母さんの蒼井ゆう子、恋心ちゃんと同い年の方が妹の蒼井音琴だ。
お母さんも『ブルー・ウェル』っていう美容室やってる」
苗字が違う。桜庭ではないのか?
「涼介さんって離婚されてたんですか?」
ネココはそう言ってから、デリケートな話に首を突っ込んでしまったと気付いた。亜蓮は、怒っていないだろうか。
「そう、俺が小学生の時にな。妹はお母さんに着いて行ったんだ」
「知らなかったです。すみません、言いづらいこと訊いてしまって」
「いや、そんな事ない。他のお客さんには結構話してるよ。恋心ちゃんはお堅いから話してなかっただけで」
亜蓮はそう言って、後ろからネココの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「そういえば、さっき音琴さん?が俺と同い年だって言いましたよね? あの制服、同じ学校なんですけど」
「嘘!? じゃあ星真高校?」
「そうです!」
「凄い! ねえ、音琴! この茅根恋心君も星真高校だって!」
後ろから亜蓮が、声を張り上げて言った。すると、音琴は嫌そうな表情をした。ネココは金髪を編み込んでいる。見た目は怖いかもしれない、多少。
ネココはスタイリングチェアから立ち上がり、音琴のいる出入口の方へ歩いた。
「初めまして。茅根恋心です。よろしく」
すると音琴は、ゆう子の背後に隠れた。
「蒼井音琴です……。よろしく……」
音琴は、ゆう子の陰から顔だけちょこんと出して言った。
「ごめんなさいね、うちの子人見知りが激しくて。仲良くしてやってね」
ゆう子が音琴を指差して言った。
「はい、是非。」
ネココがそう言うと、音琴は下を向いた。
「じゃあ丁度いい。これから一緒に学校へ行くかい?」
ゆう子が両手で、音琴の顔を強引に上げながら言った。すると音琴は、その手を払い除けて「ちょっと、お母さん。何勝手な事言ってるの」と反発した。
「あー、いえ、学校へは一度帰宅してから行くつもりなので」
ネココは申し訳ない感じを出しながら言った。
「そうお? 残念ね。じゃあ、また学校でね」
「はい」
二〇一九年 十一月二十日 十八時十二分
猫塚が、フェンスの向こうから身を乗り出した。
「じゃあ何? あんた達、学校に来る前から知り合いだった訳?」
「まあ、数時間前だけどな」
「何で教えてくれなかったの? アオイと亜蓮が兄妹だってアタシが知ったの、去年の今頃なんだけど」
猫塚はフェンスをがしゃがしゃと鳴らす。
「知ってる。音琴から聞いた。教えなかったのは、そう頼まれたからだ。俺は真面目だからな」
猫塚は不満気な顔をする。
「ふーん、まあいいや。続き聞かせなよ」
「それよりも、そこからこっち来いよ。フェンスの外にいたら危ないぞ」
「あれ? さっきは復讐だって言ってたよね。アタシがここにいた方が都合が良いんじゃないの?」
「そんなことはない! 俺は――」
「そんなの! 口でならどうとだって言えるじゃん」
「確かに、そうだな……」
「じゃあ続き、話して。どうやってアオイと付き合い始めたか教えてよ」
「ああ」
二〇一八年 四月三日 八時三十分
ネココは、自分のクラスである1―4教室に来ていた。担任は涼川花織里という人らしい。集合時間は九時三十分だから、まだ一時間前だ。そのためか、数人しか教室に来ていなかった。真面目だなと自分で思った。但し、その来ている数人からは冷たい視線を感じた。きっと、ネココの金髪編み込みサイドテールを見ての事だろう。また、出席番号が二番だから、席は教室の右前の出入り口付近だ。クラスメートが入ってくる度、ネココの頭は奇異の目で見られた。
特にすることもなく、ネココが手持ち無沙汰になっていた時だった。音琴が教室に入ってきた。そして、ネココのすぐ前の席に座った。そうか、蒼井だから出席番号が一番なんだ。
「音琴さん」
ネココは音琴に話しかけた。すると音琴は座ったまま後ろを向いた。話しかけて欲しくなかった、という様な顔だ。
「同じクラスなんだな。これから一年間よろしく」
「えー……」
音琴は、ネココを一瞥した後、すぐ伏し目がちになった。
「よ、よろしく……」
音琴は、絞り出す様に発声した。まるで、死に際の蝉の様だ。
「何その間。俺、そんなに怖いか?」
音琴は上体を後ろに引きながらふるふると縦に頭を振って肯定した。
「そうかー。失敗だったかな、これ」
ネココはサイドテールの先っぽを右手に持って、そこに焦点を合わせた。
「い、いや、似合ってる……と思うよ?」
音琴が震える声で言った。
「に、似合ってるから、余計に怖く見えるんだと思う……。じゃなかったら、可笑しな人に見えると思うから……」
「似合ってるって言われるのは嬉しいが、それはこの髪型が可笑しいってことか?」
ネココは持っている髪束をぶんぶんと振ったり、右を向いて編み込みを見せたりしながら言った。
「う、うん……、そういう事になる」
音琴は、申し訳なさそうに言った。
「でも、これをやったのは音琴さんのお兄さんだぞ?」
髪型が可笑しいと言われるとは夢にも思わなかったため、ネココはつい語気を強まらせた。音琴はそれに対し、ハリのある声で答えた。
「お兄ちゃんだから、それを似合う様にできたの」
音琴は、それまで下を向いていた目を、ネココの目に合わせた。見つめ合う形になり、ネココは一瞬言葉が詰まった。綺麗だ、と思った。
「よ、余程亜蓮さんを買っている様だな」
「か、茅根君こそ、お兄ちゃんを買っているから……、編み込みしてもらったんでしょう?」
音琴は依然、ネココの双眸を見つめていたため、ネココは思わず目を逸らした。
「ああ、そうだな」
「じ、じゃあ、可笑しくっても構わないね」
「あ、ああ……?」
目を逸らしている間に、上手く言い包められてしまった。撤回させようと視線を音琴の双眸に戻した。すると、音琴は未だにネココの目を見ていたため、目が合ってしまった。結局ネココは視線を切り、何も言えなくなってしまった。
「あ、そうだ。お兄ちゃんとお父さんの事、秘密にしてもらってもいいかな……?」
音琴は小声で言った。
「いいけど何故――」
ネココは一瞬考えて理解した。親が離婚しているからだ。きっとそれが原因で過去に何かあったのだろう。
「解った。黙っておく」
その時だった。引き戸を開けて猫塚がクラスに入ってきた。
「わ、凄い人いると思ったらネココじゃん」
猫塚は目を丸くして言った。
「おう、はる。同じクラスだったか」
ネココは猫塚に返事をした。すると、音琴はそっと立ち、教室から出ていった。
「掲示板ちゃんと見なよ。それよりその髪どうしたの? 高校デビュー?」
ネココは右手人差し指を自分の唇に当てた。
「しーっ。内緒にしようとしてるのに大声で言うな」
「いいけどー、じゃあスタバの新作奢ってよ」
猫塚は満面の笑みで言った。
「えー、分かったよ、奢ったら黙っててくれるんだな?」
ネココは呆れた声で言った。音琴の秘密は無償で黙っているのに。
「勿論! んじゃ、アタシ席行くね。今日はパパとお食事だから、明日の放課後ね。忘れないでよ。忘れたら言いふらすから」
猫塚はネココの方を見て、遠ざかりながら手を振った。
「分かったから」
ネココはしっしっと、猫塚を追い払った。
旧知の仲なら目を合わせて会話をできるのに、何故、初対面だと上手く話せないんだろう。いつもならスルスル出てくる言葉が、出なくなってしまう。
ネココは、猫塚が席に着くのを見送った。ネココが読書していると、しばらくして音琴が席に戻ってきた。
「さ、さっきの人にお父さんとお兄ちゃんのこと、話したりしてない……よね?」
音琴は心配そうな顔で言った。
「大丈夫だ。言ってない。俺の事、軽薄そうに見えているのか?」
「軽薄そう、というより軽薄だと思ってる……。だってその髪だし……」
音琴はネココのサイドテールの辺りを見ていた。
「酷いな。音琴さん、お淑やかな感じして実は毒舌だよな」
「そうかな……? まあ、言ってないならいいや。じゃあ、用事はそれだけだから……。私も読んでる本あるし、茅根君も読書してていいよ。似合わないけど」
音琴が「フフッ」と笑った気がした。笑われるのは癪だが、本を読むことは感心だ。
その後しばらくして、担任の涼川が入ってくるまで、ネココは誰にも話しかけられなかった。音琴は話しかけられているし、猫塚は自分から話しかけているのに。
涼川は、入室するとネココを見て一瞬たじろいだ気がしたが、それでも気丈に振る舞っていた。そして、出欠を取り、簡単な挨拶と入学式の説明をした。
その後入学式のために体育館へ移動した。入学式とは本来希望を抱かせるものだと思うが、花冷えした室内は、将来のヴィジョンを曇らせた。
新入生達が、身体をぶるぶると震わせる中、入学式が執り行われた。その途中、新入生代表挨拶が、同じクラスの大杉薫子によって行われた。本当はネココがしたかったが、できなかった。薫子は、ネココより成績が上の様だ。悔しかった。だから髪を染めた、という訳ではないが。ただ、金髪編み込みで新入生代表挨拶をしたら面白かった筈だ。
入学式が終わると、職員室に呼び出された。涼川と生活指導の倉田に、頭の事でこってり絞られた。倉田には「明日までに黒髪に戻してこい」と言われた。
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