十六
二〇一八年 十二月七日 十九時四十分
二台の自転車が、闇夜を駆ける。猫塚が前、音琴が後ろを走った。知らない、しかも暗くてよく見えない道を通って学校に行くのは新鮮でいいものだな、と思った音琴だった。
「そういえば、今日暗くない? いつもこんなもん?」
「そりゃそうだよ。今日は新月だもん。だから天体観測するの」
「なるほどね!確かに、満月だと、明るくなって周りの星が見えにくくなるよね」
「正解!」
「アオイちゃん人形貰える?」
「そんなものは無い」
猫塚が笑った。自転車に乗っているはずなのに、手を叩く音も聞こえた。
「さて、着いたよ」
猫塚の家からだと、裏門が近いのか。普段正門しか使わないので、新鮮に思えた。
駐輪場はグラウンドのナイター設備で、うっすらと前が見えた。鍵がどこか苦心しながら探して自転車を止めた。
「鍵の場所教えるけど、ナイショで使うとか絶対なしだよ?」
「わーってるって、うん。アオイの迷惑になるしね」
音琴は猫塚を連れて理科準備室Ⅰの前に来た。
「入るよ」
「ここって勝手に入っていいの?」
音琴がドアノブに手を掛けた時に、猫塚が言った。
「さあ? 天文部は入っていいって先輩から聞いてるけど、どうなんだろ」
「それだと、仮に天文部はオーケーだとしても、アタシは駄目なんじゃない?」
「んー、バレなきゃ犯罪じゃない、って言葉知ってる?」
音琴は、今から人を殺しに行こうと言わんばかりの悪い顔をした。
音琴が理科準備室Ⅰに入ると、猫塚を手招きした。
「ここの奥のお菓子のカンカンに入ってるんだ。どう? ワクワクしない?」
「確かに。秘密基地っぽい」
「あ! しまった」
音琴は口に手を当て自分が誤った行いをしたことをアピールした。
「どうしたの?」
「いやさ、先に部室行けばよかったなって」
「部室に何か用事があるの?」
「電気ケトルがあるのだ」
音琴は、両手を腰に当て、「どうだ」と言わんばかりのの姿勢を取った。
「そ、そんなものが!? アリなの?」
「限りなくグレーに近い黒だね」
「ダメじゃん」
「ていうかそれ知らないでどうやってカップ麺食べようとしてたのさ」
「ん? 給湯室使おうと思ってたけど」
「それ教員用じゃん。完全に黒だよそれは」
二人は、天文部の部室へ向かった。
「ねえねえ、今日って他の天文部の人も来るの?」
「いや、来ないよ? 天文部員は私一人だし」
「一年生一人の部ってどういう理屈?」
「単純だよ、三年の先輩が部活卒業しただけ。といってもまあ、うちはもともとゆるゆるだから、一回も来てない知らない先輩もいるけどね」
「え、じゃあ今はアオイが部長か」
「そう。はるちゃんが副部長になってもいいよ?」
「えー、それはどうかな。ちょっと考えさせて」
音琴が天文部の部室のドアを開け、電気を点けた。
「電気ケトルめっちゃ分かりやすく置いてあるじゃん。いいのこれ? 見付けてって言ってるようなもんじゃない?」
赤いステンレスでできたそれは、部室の真ん中にあるローテーブルに堂々と置いてあった。
「確かに。いつも使ってそのまま置いちゃうんだよね……」
「ちゃんと片付けないと。使ったら片付ける、なんて幼稚園で習うのに。アタシが副部長になったらもっとビシビシいくよ」
「ごめん、ちょっと考えさせて」
音琴は鞄からミネラルウォーターを取り出し、電気ケトルに入れた。そして電源を入れた。
「ねね、アオイ。アタシだけ食べるのは気が引けるし、一応音琴の分も持ってきたんだけど、食べる? 焼きそば持ってきたよ。買い弁にいつも焼きそば入ってるから好きかと思って」
別に焼きそばが好きという訳ではなかったが、よく見てくれていることが嬉しかった。太るのが嫌だったが、そんな考えは吹き飛んだ。
「ありがとう、是非、食べさせてください」
「言ったね? 食べるんだね? 絶対だよ?」
猫塚はとても悪い顔をしていた。時代劇の悪代官みたいだ。
「え、えと?」
「はいこれ」
そう言って猫塚が音琴に渡したのは、モンブラン味の焼きそばだった。
「モ、モンブラン……。え、これ私が食べるの?」
渡されたモンブラン焼きそばをそのまま返却しようとし音琴だったが、猫塚の手が逃げる逃げる。
「さっき自分で食べるって言ったじゃん」
猫塚は「言質は取ってるもん」と言いながらひたすら音琴の手を躱した。
そんなこんなしている内に、電気ケトルのカチッという音が鳴った。
「覚悟は、決まった?」
「仕方ないなあ、食べるよ」
二人はカップ麺にお湯を注いで、スマートフォンのタイマーで三分計った。
「じゃあ、屋上に行こっか」
「え、外寒いし中で食べた方が良いんじゃないかな」
「屋上で食べることに意味があるの!」
「私といれば、別にいつでも屋上に連れて行ってあげれるのに」
「いいの。れっつごー」
猫塚と音琴は、階段を上がった。階段の一番上にある、屋上に出るためのスペースに着いた。
「これ、天体望遠鏡なんだよ」
音琴は、黒い布を被った物体を指して言った。
「え、うちのガッコ、望遠鏡なんてあったの?」
「学校というか、うちの部のだけどね」
「違うの?」
「学校の備品は学費から出てるけど、部のものは生徒会費から出てるから」
「ふーん。あ、焼きそば持ってたら鍵開けられないよね。持ってる」
音琴は猫塚にモンブラン焼きそばを渡しながら「ありがと」と言い、鍵を開けた。
重たいドアを開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
「うー、寒。めちゃめちゃ冷えるじゃん」
「だから中で食べようって言ったのに」
「ううん、寒くても屋上で食べるの。屋上でご飯食べるのなんて全人類の夢だもん」
「そんなに良いもんでもないけどなー」
そう言って、音琴はドアを大きく開いて屋上に出て、猫塚を招いた。
二人が出た屋上は、眩しかった。グラウンド用のナイターが強く二人を刺した。
「うわ、眩し。これじゃ星なんて見えないじゃん」
音琴が腰を下ろして、猫塚もそれに倣って腰を下ろした。
「そうなの。二十時過ぎにナイターが消えるから、それまで待ち」
「二十時か、じゃあもうちょっとだね。カップ麵食べてる間に――」
PPPPPP。アラームが鳴った。
「ちょうど来た」
音琴はお湯を排水溝に捨ててきた。猫塚が美味しそうなスープをカップラーメンに入れているのを横目に、音琴はモンブランソースを面の上に掛けた。この焼きそばの開発者は何を考えているのだろう。
音琴は意を決して麺を掻き混ぜてソースを馴染ませた。
「いただきます」
音琴はモンブラン焼きそばを口に運んだ。
ん?
「アオイ! どう? モンブラン焼きそばは?」
「意外といけるよ、これ。食べた方がいいってこれ」
「本当? なら一口貰おうかな。あーんしてよ」
音琴は「しょうがないなあ」と言いながら、麺を箸で挟み、猫塚の口に入れた。
猫塚は二、三回咀嚼すると咳き込んだ。
「けほっ、けほっ。いや、これはいけないわ。これがいけるって言える人はバカ舌だ」
「酷いなあ、食べさせたのは自分なのに」
「それで実際に食べたのはアオイだし。ねえ、そういえば、アオイって何で星見始めたの? そもそもアオイの家からだと、みらい科学館はそこそこ遠いでしょ?」
「みらい科学館ってさ、安いでしょ? 入場料金」
「まあ、確かに。値段相応だとは思うけど」
「うちさ、まあはるちゃんもだけど、片親だから、そんなにお金ある訳じゃなくて。だから、休みの日は安く済むみらい科学館にばかり連れられて行ったの。車で行ってたから距離は大したことなかったし」
「なるほどね。小さい頃の思い出というか、体験というか、って重要だよね。アタシも、ママと一緒に料理とかしてなかったら、今頃毎日冷食祭りだったよー」
「私も小さい頃に料理教わってたら、はるちゃんみたく料理できたのかな」
「んー、どうだろ。アタシの場合はアタシしか料理する人がいなかったから……。仕方なくやってたら自然と上達したというか。そもそも、モンブラン焼きそばを美味しいと言えるような人じゃ、本当に美味しいものは作れない気がする」
「美味しいなんて一言も言ってない! 意外といけるって言ったの」
「同義かなー、それは」
「んー……違うと思うけどな。あ、そんなことより――」
「あ! 暗くなったよ」
グラウンド用のナイターが消えたのだ。こっちが先に言おうとしたのに。
「これで天体観測できるね。望遠鏡持ってこようか。ちょっと手伝ってよ」
「うん。でも、こんな暗くて設置できる?」
「あー、心配しないで。明かり持ってきてるから」
そういうと音琴は、鞄からLEDランタンを取り出し、スイッチをオンにして地面に置いた。
「これで大丈夫。運ぼ」
二人は室内に入り、天体望遠鏡を前と後ろの両側から持った。
音琴が「せーの」と掛け声を発して持ち上げ、屋上のLEDランタンを置いた箇所へと運んだ。
「じゃあ、目を慣らそうか」
「ん?」
音琴が言った意味を、猫塚は理解できていない様だった。
「今まで、ナイターが点いてて明るかったでしょう? だから目が明るいのに慣れちゃってるんだ。それを今度は暗いのに慣らすの。じゃないと暗い星が見えないんだ」
「あー、光彩が今は縮んでるのか。で、時間置かないと拡がってくれないと」
「そうなの? まあ多分そう」
「アオイって見た目ガリ勉って感じなのに、結構バカだよね」
「うっさ――、あ!」
「あ! 見た?」
「見た。流れたね」
「わー、すご。アタシ、肉眼で流れ星見たの、人生で初めてかも」
「記念日だね」
「アオイと一緒の時に達成できて嬉しい」
「実は、ピークはまだだけどふたご座流星群が見られる時期なんだ」
「え、何でピークに見に来なかったの?」
「いや、ピークの話するなら、そもそも時間帯は二十二時以降が望ましいし、それだとここじゃあね」
「あー、そっか。あくまで普通の星の観測が目的なのね。なら、またピークの時に、一緒に見たいな。ネココも誘おうよ。夜ならバイトも終わってるだろうし」
「いいね。なら、来週の土曜日がいいかも」
「よし、じゃあラグドール同盟にメッセージを――」
「だめ、折角目が慣れてきてるんだから、後で、ね?」
「危な。ありがとアオイ」
ここから二人は、警備員のおじさんに怒られるまでずっと屋上で星を眺めていた。
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