十五

  二〇一八年 十二月七日 十八時四十六分


 音琴と猫塚は、いつも通りにプラネタリウムを観て、いつも通りの公園に来て、いつも通りのベンチに座った。

「ねえ」

 音琴が自分から猫塚に話を振った。

「何?」

「今から本物の星を見に行かない? いつもプラネタリウムってのもあれでしょ?」

「え、星ってどこで見るの?」

「学校の屋上だよ」

 音琴は学校の方角を指さした。

「え、入れるの!? 屋上って鍵掛かってて――」

「入れます! 私天文部なので! 鍵の場所がどこか知ってます!」

「え、すご。じゃあ屋上でサボりとか屋上でご飯とか、憧れのシチュエーション、再現し放題じゃん」

 音琴は「ちっちっ」と舌を鳴らしながら、首を横に振った。

「天体観測以外の用途で使ったことがバレると、その次から使わせてもらえなくなっちゃいます。だから、ほんとに星を見るだけに使わないと」

「アタシのロマンが……」

「ま、天体観測のついでに何かやるっていうなら? 問題ないと思うけど?」

 猫塚の瞳がきらっと揺らめくのが見えた。外灯がチラついたせいだろうか。

「え、じゃあさ、天体観測の”ついでに”カップ麺食べてもいいてこと?」

 音琴の口からは「うふふ」と笑い声が漏れた。

「オーケーじゃない? グレーなところは、なるべく触れないで勝手にやってほしいけど」

「へ? ”勝手に”ってアオイ冷たくない?」

 猫塚は口を尖らせた。

「はるちゃん、勝手にっていうのはその、私の許可を取らないで欲しいという意味であって、そのーほら、自分の責任は自分で取れというか……、あれ? これじゃ冷たい言い方だな、えーっと」

「あ」

 音琴が遮った。多分温情で。

「分かった分かった。だいたい分かった、大丈夫だよ」

「ありがと、はるちゃん」

 助かった、これ以上口を開こうものなら、意味わからない言葉をひたすら並べる機械と化していた。

「ん。でさ、アタシ、パパにご飯作らなくちゃいけないから、いったん帰っていいかな?」

 料理するなら、1人よりも二人でやった方が時間が短縮できるだろう。

「それなら、私もはるちゃん家に、つ、付いて行っていいかな?」

「お、アオイー! 積極的だね」

 猫塚がそう言って人差し指で脇腹をつついてきた。

「もう、そんなんじゃないって」

 音琴は猫塚のお腹を小突いた。

「うっ」

 猫塚はベンチから崩れ落ちた。

「そんな大げさな」

「いや、アオイの拳は凶器だよ」

「ほら、はるちゃん家に戻るんでしょ、早く行こうよ」

 音琴は、猫塚の背中を叩いた。

「アタシ動けなーい。アオイー、二ケツさせてー」

「え、やだよ、やったことないしできないよ」

「大丈夫、アタシ後ろに乗るの上手いから。アオイはただ、いつも通り自転車に乗ってくれればいいから」

 猫塚は起き上がって指ハートを作った。かわいい。

「でも、いくらはるちゃんが小っちゃくて軽くても――」

「ちょっと待って、今小っちゃいって言った? 小っちゃいって言ったよね?」

「言ったけど、でも、短所じゃないじゃん。可愛いよ?」

「え、可愛い? じゃなくて、気にしてるのー!」

 猫塚は人差し指で音琴の脇腹をつついた。音琴は猫塚の腹を小突いた。

「うっ。力加減を覚えて、アオイ……」

 猫塚は再び崩れ落ちた。

「そんなに力入れてないけどなあ。そもそもはるちゃんがつつくからいけないんだよ」

「あーあ、一回目ならまだ歩いて帰れたけど、二回目食らったらもう無理だ」

 音琴は腕を組んだ。

「もう、仕方ないなあ。乗ってけ」

「やった! 惚れる!」

 猫塚が飛び起きた。

「惚れんでいい。ほら、行くぞ」

 きっと陽キャはみんな二人乗りするんだ。歌詞とかでもやたら登場するし。猫塚のため。猫塚のため。音琴は、ベンチの傍に止めてあった自転車のスタンドを上げて、サドルに乗った。

「ほら、はるちゃん」

「ん」

 猫塚は荷台に跨って座り、そのまま音琴に抱き着いてきた。

「へっ」

 音琴は思わず、変な声を出してしまった。

「ん? どうしたの? 早く行こうよ」

 二人乗りって抱き着くのが普通なのか。初めてだから分からないけど多分そうなのだろう。

「う、うん、行こう」

 音琴はペダルを漕ぎだした。

「はあっ、はあっ……。ね、ねえ、二人乗りってこんな難しいの?」

 音琴は乗り始めて十秒で弱音を口にした。ペダルが重くて、どうしても蛇行運転になってしまう。たぶん、それでも倒れず漕げているのは、猫塚が上手くバランスを取ってくれているからだと思う。

「そんなに難しいかな」

「はあっ、そりゃやったことないから。はあっはあっ、陽キャってほんとにみんなこれできるの?」

「さあ? 法律違反だし、みんなやんないんじゃん?」

「は? じゃあ何で私にやらせたの? みんなやるなら仕方ないと思って乗せてるのに」

「え、いーじゃん。アタシ好きなんだ、こうやってくっ付いて一緒に自転車乗るの。体温を交換してるっていうか。だからやって欲しかったんだ、アオイに」

 そんな風に言われたら、誰だって嬉しい。許すしかないじゃないか。

「はあっ、はあっ……。しょうがないな。お兄ちゃんのバイクにも、はあっ、はあっ、同じように乗ってたの?」

「お、よく分かったね、そうだよ」

「はあっ、私ね、来年になったら免許取って、そのバイク譲り受けるんだ。そしたら、乗るでしょ?」

「え、凄い! 乗る! 乗せて! あ、ごめん、今のとこ右」

「先に言え」


  二〇一八年 十二月七日 十八時五十二分


「わ、広っ」

 音琴は思わず口にした。

 猫塚がとあるよう指示した建物は、市街地にある大きなマンションだった。音琴の家は1LDKなのに対し、猫塚の家は2LDKだ。しかもリビングがとても広い。音琴は一畳がどれくらいとかは分からなかったが、とても広いことは分かった。

「いーでしょ。部屋もパパ用とアタシ用とあるよ。というか、あんなのと二人で狭い部屋は絶対に無理だけど。今でも嫌なのに。大学は独り暮らししないと通えないとこに行ってやる」

 こんな良いとこ住んでても不満があるんだ。

「さて、で、今日は何作るの?」

「んー、何食べたい?」

 言いながら猫塚はキッチンに下げてあったエプロンを身に着けた。

「え、私食べていいの?」

「そのつもりで付いて来たのかと思った」

「いや、私も手伝った方が早いかと思って来たんだよ。はるちゃん学校でカップ麺食べたいって言ってたし、家では食べないかと思ってたの」

 猫塚は「あー」と言って、頭を搔いた。

「それはさ、夜食。夕ご飯食べた上で、カップ麺食べるつもりだった」

「え、太らない?」

 音琴は、自らのお腹を摘まんで言った。

「あー、何かアタシ太りにくい体質っぽい」

「ずる」

「えー、でもアタシ的にはアオイくらいの方がいいと思うけどな。太りにくいってのは太りたくても太れない訳で」

「隣の芝生は青く見えるってか」

 猫塚も音琴のお腹を摘まんだ。

「そういうことだよ。アオイのお腹気持ちいい」

「やめなさい。で、何作るの?」

「んー……。この間、ペンネが収納の奥で眠ってたの見付けたんだよね。それ使っちゃおうかな」

「いいんじゃない? パスタ好きだよ、私。ソースは?」

「んー、時間考えたらペペロンチーノかな? ジェノベーゼかアラビアータでもそんなに時間かからないけど。」

 まずい、何を言っているのか分からない。ペペロンチーノは分かる。けれど、ジェノベーゼとアラビアータは、イタリアンのお店に行った時、メニューで見たくらいだ。どんなな味か分からないから、スルーの対象だった。であれば。

「じゃあ、ペペロンチーノで」

「いいの? そんな簡単なので」

「うん、大丈夫大丈夫! さて、私は何をしたらいい?」

「じゃあ、ペンネ茹でて。十二分て書いてあるから、十一分くらいで。あと、アタシはベーコンと大蒜と鷹の爪切るから、フライパンにオリーブオイル入れて熱しといて」

「分かった。ペンネは?普通に鍋で茹でていいの?」

「あー、それでもいいし、パスタポットもあるよ。そっちのが湯切りはしやすいと思う。上の棚の右に入ってる」

 音琴は、猫塚の指示通りパスタポットを取り出すと、水と塩を入れ、火にかけた。

「ほら、フライパンも用意して」

「はい」

 オリーブオイルってどれくらい入れればいいんだ? 少し入れて猫塚に確認すればいいか。

「あっ!」

 入れすぎたかも。

「ん? どした?」

「オリーブオイル入れ過ぎたかも」

 ペペロンチーノだし、三人分だし、もう少し入れてもいいよ。そう言って猫塚はオリーブオイルをどばどば追加し、そこに輪切りになった鷹の爪を投入した。

「そこの木べらで鷹の爪炒めてて。色変わってきたら教えて」

「はーい」

 音琴は、炒めるのを手の感覚に任せて猫塚を見やった。猫塚は包丁の腹でニンニクを潰していた。

「はるちゃん、本格的だね」

「こら、よそ見しないの、アオイ」

「はいはい」

 で、鷹の爪の色が変わるってどれくらいを指すんだ? もう既に少し黒っぽく変色してる気がする。

「ねえはるちゃん、これってもう色変わった?」

「ん? あー、いい感じいい感じ。じゃあ一回弱火にして」

 音琴はつまみを回した。

 そのフライパンに、猫塚は大蒜を投入した。

「じゃあいい感じに色着くまで炒めて」

 音琴は「はーい」と返事をしたが、またしてもどれくらいまで炒めるのかは分かっていなかった。

 そんな時だ。猫塚がブロックベーコンを取り出したのは。うちなんて薄くスライスされたベーコンしか食べないのに。

 切り終えた猫塚がフライパンにベーコンを投入した。分厚い。

 お湯が沸いたのでペンネを入れてタイマーをセットした。

「ここまで来たら、後はアタシだけでいいよ。ほら、紅茶入れたから」

 いつの間に。

「ありがとう」

「そこのカウンターで飲んでて。スティックシュガーとミルク置いてあるからお好きにどうぞ」

「はーい」

 音琴は、スティックシュガーとミルクを一つずつ入れた。

 猫塚がまた新たに別な料理を作り始めた。鍋に野菜とウィンナーを入れて煮ているみたいだ。

「ねー、何作ってるの?」

「別に? ただのコンソメスープだよ。パパ、汁物無いの嫌みたいでさ」

「そういえば、お父さん、まだ帰って来ないんだね」

「あー、うーん……。いつものことだから」

「仕事、大変なんだね」

「いや、たぶん、パチンコ……」

 重力が二倍になったような感じだ。

 PPPPPP。

 スマホでセットしていた、ペンネのゆで時間を計るタイマーが鳴った。何を言ったらいいか分からなかった音琴にとってこれ以上ない助け舟だった。

「はっ、ペンネ取り出すね」

「いいよいいよ、やるやる」

 猫塚は、言い終わる前に手際よく水を切り、具材を炒めたフライパンに入れて、炒め始めた。

「アオイってさ、普段料理しないでしょ」

 図星だ。やっぱり手際とかが、普段からやってる人と比べると劣るのだろう。責められると思うと、会話から逃げたくなった。

「別に責めようとも料理しろって言おうともしてないの。ただね、アオイ。死って突然訪れるからね。アタシのママは病気で死んじゃったんだけど、何もしてあげられなかったの。パパのために色々家事してるのは、それもあってなのかも。やっぱ、後悔したくないしね。アオイもさ、後悔しないようにしなきゃだめだよ」

「それは間違いない。私も、できることしようと思う。はるちゃん、たまにでいいから料理教えてよ」

「やる気だね、いーよ! 偶にじゃなくても、いつでも家に来な!」

「やった!」

 音琴は、カウンターに座ったまま諸手を突き上げて喜びを表現した。

「さーて、じゃあご飯食べようか」

 猫塚は話しながらも料理をよそっていた。

「お父さんは? 待ってなくていいの?」

「食べないことの方が多いし、いいのいいの」

「せっかく作って待ってるのに食べないなんて……」

「いいのいいの、アタシが明日の朝食べればいいだけだから」

 猫塚がペンネ・ペペロンチーノとコンソメスープを配膳してくれた。

 猫塚はそのままカウンターの音琴の右隣りに座った。

「じゃ、いただきます」

「召し上がれ」

 音琴はペンネを口に運んだ。ニンニクとオリーブオイルの香りが口いっぱいに広がり、唐辛子の辛みがピリッと腔内を刺激した。

「どう?」

「んー! 美味しーい」

「よかった。見た目はさ、インスタで美味しそうって言ってもらえるんだけど、味については誰からも褒めてもらえないからさ。嬉しい。でも、アオイも手伝ってくれたし、二人の味だね」

「初めての共同作業だね。パパパパーン、パパパパーン」

「結婚行進曲やめなさい。取り敢えず次は一人でペペロンチーノ作れるようにしないとだ。まあ、スマホで探せばレシピ載ってるし、見れば誰だってそれなりには作れると思うけど」

 音琴は「はあっ」と深いため息をついて言った。

「あのね、レシピ見ても作れないからどんどん作る気が失せていくんだ。ハードル下げる発言してるつもりかもしれないけど、寧ろハードルは上がってるんだからな」

 カンッ。

 話しながら食べているうちに、皿にあったペンネは無くなっていた。スープも無くなって、ぬるくなった紅茶を飲んだ。

「お、完食か」

 猫塚が音琴の食器を覗き込んできた。

「美味しかったよ、ごちそうさまでした」

 音琴は両手を合わせた。

「はい、お粗末さまでした」

「人に美味しいって言われるのってこんなに嬉しい事だったんだね。忘れてたよ」

「私も、お母さんが美味しいご飯作ってくれるの、当たり前だと思ってた。ちょっとでも孝行しないとだ」

「そうだね。で? そろそろガッコ行く?」

「洗い物はいいの?」

「そんなのは帰って来てから食洗器でガーっとやるからいいのいいの」

「じゃあ学校へしゅっぱーつ……だね!」

「あ、カップ麺持ってかないと。アタシシーフードだけどアオイは何食べる?」

「いや、もう十分」

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