十三
十一月十九日 十時五十二分
猫塚はみらい科学館に着いた。教科書の入った鞄を抱えたまま、坂を駆け上がった後、三キロメートルもの道のりを歩いてきたため、猫塚は疲労していた。入口に行くのにも階段を上る必要がある。これもきっと皆の足が遠のく原因だろう。猫塚は階段を上って、受付に辿り着いた。
「あれ、いつも来てくれてる子だ。授業サボタージュしたのかな?」
受付の、シルバー人材センターから派遣された様なお爺さんが言った。
「違います。色々あって……。あの、高校生二人分ください」
慣れた手つきで猫塚は学生証を見せる。
「もう一人の姿が見えないようだけど」
お爺さんは、覗き込む様な仕草を見せる。
「いいんです。二人分ください」
猫塚は真剣な眼差しをお爺さんに向けて言った。
「もう一人は成人とかは駄目だよ?」
お爺さんは猫塚を、訝し気な目で見て言った。
「いえ、実際に入るのはアタシ一人なんで大丈夫です」
「じゃあ二千円ね」
「はい」
猫塚はお金を払ってチケットを買い、二人分もぎってもらった。
「本当にいいの?」
しつこいな。でも当然か。普通なら二人分を一人で使うなんておかしいもん。
「はい、大丈夫です」
猫塚は、エントランスホールに足を踏み入れた。人がいない。靴音が響くのが聞こえる。まるで猫塚一人だけの世界へ来てしまった様だ。ここはこんなにも人が来ない場所だったのか。いつもは誰かと来ていたから気付かなかった。平日のこの時間だからというのもあるだろうけど。
施設の中は暖房がかかっていたが、猫塚の芯は凍ったままだった。
ふとスマートフォンを見るとネココからLINEが来ていた。
『どうした』
『何があった』
『もう帰ったのか』
メッセージを連投するのがネココらしい。
『停学食らった
今みらい科学館にいるよー』
猫塚は、できるだけ平静を装った様な返事をした。
そして猫塚は、プラネタリウムドームへ向かった。施設の奥にあるため、色々な所を通る。
先ず、ミュージアムショップがある。ここで買い物をしたことは、高校に入って一度もない。プラネタリウムはいつも最終上映を見ていたから時間が無かったし、そもそも小学生向けのラインナップだったため、惹かれるものが無かった。一度アオイは、このショップで買ったものを誕生日プレゼントにくれた。家庭用のプラネタリウムだ。プラネタリウム自体が好きで通っていた訳ではなかったが、嬉しかった。毎夜毎夜寝る前に点けて星を見ながら眠りについた。
次に、展示場だ。身体を使って科学の原理等を学べるエリアだ。ここで遊んだことも数える程しかない。プラネタリウムの上映開始までに時間潰しのために利用していた程度だ。こちらも小学生向けであるため、展示場で遊んでいるとスタッフから白い目で見られた。それでもアオイは楽しそうに遊んでたな。
猫塚はプラネタリウムドームに足を踏み入れた。定員は二百人らしいが、席は埋まっているどころか、半分に届いた所すら見たことが無い。でも、この場所が無ければアオイとは仲良くなっていなかっただろう。不思議な縁だ。あの日、亜蓮と別れたショックでここに来ていなかったら、まともな会話も交わすことが無かったかもしれない。
もう二人でこのプラネタリウムを観ることはできないんだな……。
間も無くして、プラネタリウムショーが始まった。猫塚は急いで真ん中の席に着いた。演目は、アオイと初めて一緒に観た「銀河鉄道の夜」だった。
自然と涙が出てくる。まだ物語が始まったばかりなのに……。
十一月十九日 十二時三分
プラネタリウムショーが終わってスマートフォンを見ると、またネココからLINEが来ていた。
『何でだ』
『インスタの炎上が理由か』
『そんな遊んでいて大丈夫か』
『通報されたらどうする』
『停学延びるかもしれないぞ』
怒りのスタンプが添えられている。そんなに連投されると返信が大変だ。
『うん、そう
確かに……まあでもみらい科学館は人いないし大丈夫でしょ』
『みらい科学館の中にいる内はいいかもしれないが、帰るときはどうする?』
『制服は目立つぞ』
確かに。それなら。
『じゃあ夜までずっといるよ
それならいいでしょ』
『まあ、それならいいか』
『お前、もう少し危機感を持って生きた方がいいぞ』
余計なお世話だ。猫塚は既読スルーをした。
そういえば、お昼の時間だ。食欲は無いが、お弁当を作ってある以上、食べねばなるまい。みらい科学館は、半券があれば再入場が可能だ。公園に行こう。プラネタリウムが終わった後、よくアオイと語らい合った場所だ。
みらい科学館近くの公園に、昼間に来るのは初めてだった。いつも夜のプラネタリウムショーの後に来ていたからだ。一本だけの外灯がおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。今はまた雰囲気が違う。夜は分からなかったが、遊具はあちらこちらで塗装が剥がれ、錆びている。公園の木々は、葉を無くし寂しそうにしていた。
猫塚は、いつものベンチに座ってお弁当の蓋を開けた。ベンチはきぃきぃと音を立てる。手がかじかんで上手く動かせない。口に運ぶお弁当が冷たい。食べるのに努力を要する。綺麗な筈の落ち葉の絨毯は、グロテスクに見えた。それはそうだ。落葉なんて人間なら切った爪とか抜けた髪の毛と同じなのだから。
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