チャプター5 仕上
十二
十一月十九日 七時五十二分
「うわー。びっくりした!」
猫塚が登校しようと玄関の戸を開けると、そこにはネココがいた。
「大丈夫か? 昨日早退したって聞いたぞ。何があった? LINEも返さないし」
ネココは凄い剣幕で言った。
「あー……、ちょっとね。歩きながら話そう?」
「おう」
ネココはいつもホームルームギリギリで来るし、猫塚以外のクラスメートと話さないため、何が起こったのか知らないのだろう。
猫塚は、イジメられたこと、インスタの炎上が原因であること、炎上させたのが小屋根香子という人物であることを話した。
「小屋根香子に心当たりはある?」
猫塚はネココに尋ねた。
「いや、無いな。そんな名前、聞いたことがない」
ネココは左上の空中を見遣り、思案したかのような素振りを見せる。
「だよねー。まあ、犯人捜ししようって訳じゃないんだけどね。ただ、誰がアタシに罰を与えてるのか興味があるだけ」
「いや、犯人捜しはした方が良いんじゃないか? 実害が出てるんだ」
「害じゃないよ、罰。だからいいの」
「よくない。そんな考え方してたら、いつか壊れるぞ」
「いいの。それもまた罰だよ」
はあっとネココが溜息を漏らした。
十一月十九日 八時二十九分
二人が教室に入ると、異変があった。猫塚の席が無い。
「おい、誰だ!? はるの机退かした奴は!」
ネココが、本来猫塚の机がある場所を指して怒鳴り散らすと、教室は朝凪の様に静かになった。
「ちょっと、貴方は猫塚さんの味方をするの?」
静寂を破ったのは、薫子だった。薫子はネココの真正面に立って言った。
「当たり前だ。そもそもお前らは、アイツの味方だったのか?」
「アイツってアオイさんのことかしら? えぇ、勿論」
薫子は表情一つ変えず言った。
「え、そうなの?」
猫塚はきょとんとした顔で言った。
「そんな訳あるか。アイツはいつも除け者だったじゃないか」
ネココが反論した。そうだよね、アオイはいつも独りだったもん。
「それは、勝手にアオイさんが独りでになっていただけじゃないかしら。心の中では常に味方だったわ」
「詭弁だな。埒が明かない」
ネココは、はあっと溜息を吐く。
その時だった。
「おはようございます」
涼川が教室に入ってきた。
「涼川センセー、はるの机が無いんですけど」
ネココが言った。平坦な口調だ。
「仕方ないですね、猫塚さんはショートホームルームの間立ってなさい。その後は、話があるから職員室に来るように」
「先生、そりゃないでしょう」
ネココが反論する。
「いいの、ネココ。花織里ちゃん、アタシはオッケーだよ」
猫塚は涼川の言葉を受け入れた。
「では、ショートホームルームを始めます」
涼川が言うと、猫塚の耳に、「猫塚、ほんとに立ってるよ」「だっさ」などの言葉が嘲笑混じりに入ってくる。でも、いいんだ。
涼川が出欠を取り始めると、猫塚は立ったまま返事をした。また、涼川がプリントを配り始めると、猫塚は立ったままプリントの受け渡しをした。多分、クラスの皆からはそれが滑稽に映ったと思う。それでいいんだ。
「はい、行き渡りましたか? これをよく読んでおいてください。では、今朝のショートホームルームは終わりです。猫塚さんは私と一緒に来てください」
「はーい」
猫塚はあっけらかんととした返事で涼川に付いていった。
十一月十九日 八時五十分
「え?」
猫塚は思わず声を漏らした。
「だから、あなたには一週間の停学処分が下ったの」
涼川が事務的な口調で言う。
「なんで?」
「あなたはSNSを炎上させて、うちの学校の評判を落とした。簡潔に言うとそれが要因でよ。あなたのアカウントは個人情報が特定されていて、うちの高校に通っていることも周知の事実となっている。問題児に対して何もアクションをしないのは学校としての体裁が保てない。だから停学という形を取ることになったの。事実、抗議の電話が何件も寄せられているわ」
涼川は割れたガラスの様な冷淡さで言った。
「そう……か。そうだよね……。あー……、花織里ちゃんだけはアタシの味方だと思ってたんだけどなー」
「そもそも私は、最初からあなたのことが嫌いよ。教師をちゃん付けで呼んだり、タメ口をきいたりをきいたりするのは、人としてどうかと思うわ」
猫塚の双眸から涙が溢れて、頬をどっと濡らした。
「え」
猫塚の声が裏返った。そんな。猫塚は滝から突き落とされた。
「では、このことはお父さんにも報告するわね。一週間、自宅で謹慎しなさい。さあ、話は終わり。真っ直ぐ家に帰りなさい」
「はい」
猫塚は、何とか声を絞り出した。
十一月十九日 九時三十一分
「やあ嬢ちゃん、今日もサボり?」
アオイの事故現場に着いた時、爽ウザ刑事から話しかけられた。名前は、えーと。
「松坂さん?」
「松崎だ」
松崎は目を釣り上げて言った。
「そうだ、松崎さんだ。アタシ、サボりじゃないです。停学食らっちゃっただけです」
猫塚は伏し目がちに言った。
「停学? 何故だ。君は被害者だろう」
松崎は不思議そうな目で猫塚を見ている。
「学校にインスタの件で抗議の電話が来てて、面子を守るためだそうです。後、アタシは加害者です」
松崎が顔をしかめた。
「それはおかしい。 君はインスタに何も間違ったことを上げていない。炎上させられた被害者だ。学校に抗議すべきだ」
松崎はひどく憤慨した様子で言った。
「無理です。アタシの味方だと思ってた、担任の花織里ちゃんに、『嫌い』って言われちゃいました。多分もう味方になってくれる先生はいません」
思い出すと、猫塚の双眸からはまた涙が零れそうになる
「そりゃ酷い話だな。教師が言っていい言葉じゃないと思うが」
松崎は目を見開いた。メガネザルみたいだ。
「アタシ、泣いちゃって」
「だからか。目が赤くなっていると思った」
「嘘、やだな」
「お嬢ちゃん、泣きたい時は泣いた方がいいよ。じゃないと碌でもない大人になる」
五分くらいだろうか。猫塚は松崎に見守られながら泣いた。アオイを思って。嘆かわしい自分を思って。
「もう、大丈夫です。ところで、松崎さんはサボりですか? 昨日今日と」
「あー、バレちゃった? うん、サボり。俺ね、アオイさんの事故現場に居合わせたんだ。助けようとしたんだけど、無理だった。後で聞いたら即死だったらしいから、俺の手では救いようが無かったんだけど。でも、悔しいなあ。目の前で死にゆく命を掌から零してしまった」
アオイを救おうとした? それって。
「もしかして松崎さん、その時『どけよ』って大声で怒鳴りました?」
「ああ、怒鳴った。あの時は事故現場にも関わらず野次馬ばかりで邪魔だったからな。非番だったんだが、助けなきゃと思った」
松崎は、事故が起きた時、唯一救おうと努めた男だったのだ。
「ありがとうございます。あの時アタシ動けなくて」
「礼を言われる筋合いは無い。当然のことをしたまでだ。まあ、結局助けられなかったから無意味だったがな」
そう言って松崎は、目頭を押さえた。
「ごめんなさい。アタシ、昨日怒っちゃって。アオイを助けようとしてくれてたのに」
「いいんだ。あんなの怒られる内に入らないよ。取り調べしてると理不尽な怒り方してくる奴もいるからな、殴られそうになる事もある」
松崎は、にっと笑って見せた。
「そうなんですね」
松崎には悪いが、猫塚には今、笑う余裕は無かった。
「さーて、そろそろサボりは終わらせないとね。ところで、小屋根香子の正体は掴めたかい?」
松崎は伸びをしながら言った。
「掴めてないです。そもそも掴もうとしてないんです。昨日も言ったように、当然の報いだと思ってるんで」
「それは違う。お嬢ちゃんは、無理してるだろう?」
「無理……してないです。いいから放っておいてください。松崎さんサボりはもう終わりなんでしょう?」
猫塚は、松崎から目を逸らして言った。
「はいはい。耐えられなくなったら警察に相談するんだよ」
「はーい、じゃあアタシはもう少しここにいるので」
松崎は背を向け、右手を上げながら「じゃあね」と言って去っていった。
猫塚はそのまましゃがみ込んだ。事故で壊れたガードレールと電柱は、既に修理が完了している。献花だけが、事故があったことを知らせている。なんだか、世界に置いてけぼりを食らったようだ。無理……してるのかな……。猫塚は、右手人差し指でアスファルトを撫でる。
「おはよう。先客がいるとはね」
猫塚は、突然後ろから話しかけられたため、驚いて立ち上がり、振り向いて飛び退いた。猫塚の後ろにいたのは、涼介と亜蓮の父子だった。声が似ているが、口調からして話しかけてきたのは口調からして涼介の方だろう。
「お、おはようございます」
涼介はペットボトルの水、亜蓮は花をそれぞれ持っている。
「なーんで人殺しと朝イチで会わなきゃならないかなー」
「こら、はるちゃんは大事なお客様なんだから、そんな口叩いちゃ駄目でしょ」
亜蓮の毒突きを涼介が窘めた。でも、涼介も「人殺し」を否定しなかった。つまり、そういう目で見られているのだろう。という事は、この二人のどちらかが小屋根香子である可能性もあるという事か。探りを入れてみるか?
「事故現場に来てくれるのは有難いんだけど、学校はどうしたの?」
涼介が、背の低い猫塚に目線を合わせるように屈んで言った。
「アタシのインスタが炎上してるのは知ってます?」
「うん」
涼介は頷きながら言った。やっぱりみんな知ってるんだ。
「それを理由に停学になっちゃいまして」
「そんな理由でか!?」
亜蓮が驚きの声を上げる。
「そうなの。学校の体裁を守るためだって。そういえば、知ってますか? アタシのインスタ拡散させた人」
「あー、ツイートは見たなー。亜蓮、分かるか?」
涼介はそう言って、亜蓮を見遣った。
「小屋根香子か」
「知ってるのね? 怪しい」
ツイートを覚えていても、アカウント名まで覚えているというのは何か繋がりがあるに違いない。
「いや、フォロワーなんだよ。だから元々知り合いなんだ。まあネットでの、だけど」
「ふーん、まあいいや。ところでお二人は何をしに? 『SAKURA GARDEN』はいいんですか?」
「献花だよ。『SAKURA GARDEN』は、火曜日だから定休日」
「あー、成程。アタシも手伝います」
「いや、立ち去ってくれねえかな」
亜蓮は冷たく言い放った。
「ちょっと、亜蓮たら――」
「人殺しに献花なんてして欲しくないんだ」
涼介の窘めにも応じず、亜蓮は続けた。
「そう……だよね……」
猫塚は下を向き、振り返って駆け出した。「おーいはるちゃん。亜蓮、何て事言うんだ」という涼介の声が聞こえたけれど、無視をした。
もう、「SAKURA GARDEN」には行けないのかな。もう、亜蓮と愛し合う事はできないのかな。
事故のあった駅前通りは坂になっている。猫塚はそこを全速力で駆け上がった。もう二人からは見えないだろう。さて、目的地をどこに設定しようか。鈴川は家に帰れと言ったが、今は帰りたくない。かと言って、制服で街中を歩いていたら目立ってしまう。
「みらい科学館だな」
みらい科学館には殆ど人が来ない。先ず立地に問題がある。駅から三キロメートル程離れているため、バスを使う必要がある。次に対象年齢だ。基本的に小さい子供を対象としているが、深刻な少子化で近くの小学校は統廃合となり、ニーズに合わない設定となっている。まあ、それによって広々とみらい科学館を使えていた訳だけれど。
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