十一

  十一月十八日 十八時四十七分


 プラネタリウムが終わり、音琴と猫塚の二人は、この前の木曜日に歓談したのと同じ公園に来ていた。二人は木製の冷たいベンチに隣り合わせて腰掛けた。腿と腿とが当たって、猫塚の体温が伝わってくる。

「で、何があったの? 実際何も無い訳ない……よね?」

 真っ暗な芝を照らす外灯には、十一月だというのに羽虫が集っている。

「いや、本当に何もないよ? そうだなー、まだお別れしたダメージは残ってるけど」

「え? それだけなの?」

「音琴ちゃんねー、『それ”だけ”』ってことは無いよー。それまで毎日話していた相手と、突然話せなくなるんだよ?」

 音琴を見ていた猫塚は視線を外し、「はあ」と溜息を零した。

「ごめん、デリカシーに欠いた発言だった」

 音琴も視線を逸らした。外灯のジジジっという音が聞こえてくる。どうやって場を繋ごう。音琴がそう考えていた時だった。

「ねえ、音琴ちゃんって普段何してるの?」

「ええっ、小説読んだり、アニメ観たり、音楽聴いたり……かな?」

 きっと笑ったり、蔑んだりするんだろうな。

「へー、充実してていいじゃん。アタシも音楽聴くの好きだよ。何聴くの?」

 小説やアニメに触れないということは、興味は無いのだろうな。残念、残念。

「ボカロとか邦ロックとか。最近はKing Gnuかな」

「ボカロってアレでしょ? 千本桜とか。きんぐぬー?は知らなーい。曲名聞けば分かるかな?」

 知らないか。まあ仕方ない。

「『Prayer X』っていう曲が良いの! 『BANANA FISH』もってアニメの一クール目のエンディングなんだけど、アニメの世界観と曲の悲壮感がマッチしてて良い! 後は『Vinyl』とかもいいな。とにかく低音と高音のハーモニーが素晴らしいんだ」

 しまった、話し過ぎた。アニメに興味が無いと分かっていたのに話に出してしまった。

「あーえっと、ぷれいやーえっくす?がばななふぃっしゅ?のエンディングでびにーる?もいいのね」

 猫塚は、自身の右上に目線を遣りながら言った。全部復唱できてる、凄い。畳みかける様に言ったのに。

「そう! そうなの! どっちの曲もミュージックビデオをYoutubeで観られるから観てよ!」

「うん、そうする! それで、ばななふぃっしゅはどんな話なの?」

 猫塚は、右手人差し指を顎に当てて訊いた。興味が無いと思っていたが、乗ってきてくれた。

「えーと、主人公の英二がカメラマン助手としてアメリカに渡って、ストリートチルドレンのボスのアッシュと、バナナフィッシュが何かを探る話。もう涙なしには語れない名作だよ」

「面白そう! 今度ツタヤで借りて観るよ」

 猫塚は右手拳を胸の前に持って来て、いいねポーズを作って言った。でも。

「無理しなくてもいよ。アニメなんて興味無いでしょ?」

「うーん、どちらかと言えば無いけど、でも、音琴ちゃんのオススメなんでしょ? なら観るよ」

「2クールだから二十四話あるけど見きれる?」

「げ、そんなにあるの? うーん、でも観るよ、頑張って。そしたら音琴ちゃんとお話し進むもんね」

 なんて性格美人だ。

「そうだね、ありがとう。じゃあ猫塚さんは普段何してるの?」

「うーん……、普段は前にも言ったけど家事かなあ」

 猫塚は眉をひそめて言った。

「あ、そうだったね……。大変な思いしてるのにごめんなさい」

「大変じゃないよ! 好きなの、家事。それに、遊ぶときは遊ぶの。カラオケとかカフェ巡りとか」

 音琴はそっと旨を撫で下ろした。嫌な思いをさせたかと思った。いや、しているかもしれないが表に出さないでくれてよかった。

「そうなのね。私、家事とか全く手伝わないから尊敬だよ」

「そうだよー、アタシを崇め奉りなさい」

 猫塚は足を組み、手の甲を顎に当て、女王の様なポーズで言った。

「ははー」

 音琴はベンチに座ったまま土下座の様なポーズをした。

「ところでさ」

 音琴は座り直して続けて言った。

「私もよくカラオケ行くの」

「そうなの!? 誰と行くの? ボッチなのに?」

 頭の毛細血管がブツブツっと切れる音がした。手拭いを引き裂くような音。猫塚は無自覚に人を傷付けることを得意としているらしい。

「一緒に行く人ぐらいいますー。勝手にヒトカラしかしてないって決めつけないでくださーい」

「え? 別にそんなつもりないけど。単純に誰と行くのかなって」

 額面通りの意味だったの。

「それは、キレてごめんなさい」

「それにヒトカラって悪い事じゃないでしょ。アタシだって、偶にヒトカラするし」

「そうなの? うん、そうだよね。採点で高みを目指すならヒトカラの方が良いしね」

「えー、あんまり採点は入れないかなあ」

「え、高い点数が取れるのが楽しいんじゃないの? 採点入れなかったら何のためにカラオケしてるのか分からなくならない? 私はまず部屋に入ったら、ログインして採点入れるよ。もう目をつぶってもできると思う。採点入れ忘れて一曲目入れちゃったら死ぬほど後悔する」

 捲し立てた音琴に、猫塚は若干引いた様だ。

「えー、そんなにいいかなあ」

「よーし、今度教えてあげるよ。一緒に行くよ」

「やった! うん!」

 猫塚は満面の笑みを浮かべている。音琴なんかよりも一緒にカラオケ行きたい人なんて大勢いるだろうに。でも、こんな顔されたら一緒にカラオケ行きたい人ランキングに一位でランキングされているんだと勘違いしてしまう。

「猫塚さんは、カラオケでよく何歌うの?」

「んー、EXILEとか西野カナとか歌うな。後は流行ってるやつかな。」

「あー……、そうなんだ……」

 選曲被らなそうだな。一緒に歌うとか、ハモリとかしたいけどな。

「音琴ちゃんは何歌うの? やっぱさっき言ってたボーカロイドとかきんぐぬーとか?」

 猫塚は身を乗り出し、ベンチにあった二人の隙間を詰めて言った。

「そうだね。後は邦ロック全般」

「音琴ちゃんがロックって何か意外。私も好きだよ、邦ロック」

「そうなの!? King Gnuも、ジャンル的には邦ロックだよ」

 猫塚の口が”O”の発音の形になった。

「じゃあ余計聴かないと。アタシ、結構沢山知っているつもりだったから、教えてもらうのはレアケースだ」

「まあね」

 二人はお互いに語り合った。こうやって家族以外の誰かと語らうのは、音琴にとって久々だった。こういうのも偶には良いな。

「音琴ちゃんは、何で邦ロックにハマったの?」

「うーん、一番の理由はお兄ちゃんかなー。大好きなの、邦ロック。まあ、後はアニメのタイアップで知って……ていうのもあるけど」

「お兄さんがいるんだ。仲良いんだね。」

「うん、そうなの」

「アタシ兄弟姉妹いないから羨ましいな」

「でも、偶にしか会えないんだよねー、うち、両親が離婚してて私はお母さん、お兄ちゃんはお父さんに付いて行ったから」

 目をキラッとさせたのが、暗がりの中でも分かった。

「なんだ、片親同士じゃん! 仲間! 早く言ってよー」

「いや、だって猫塚さんはお母さん亡くなってるでしょう? 私はお父さんとは会おうと思えばいつでも会えるから」

 同じ片親でもこちらの方が恵まれている。それで仲間だなんて軽々しく言えない。

「えー、でも家に片親しかいないのは同じじゃん。同盟を組もう、片親同盟!」

 猫塚は鋏だ。音琴を守る蚊帳をザクッザクッと裁断していく。

「ほら、リピートアフターミー、片親同盟最高!」

 猫塚続けて言う。猫塚の中では、既に音琴は同盟に入っている算段の様だ。

「か、片親同盟最高」

 音琴は控えめに言った。街中の公園だ、大きい声でなんて恥ずかしい。

「何か片親同盟って安直でダサいな」

 猫塚が真顔で言った。

「え、猫塚さんが言ったんでしょ。まるで私が悪いみたいな口ぶりだ」

「だって音琴ちゃん、片親同盟最高って言ったじゃん」

「それは猫塚さんが促したからだよ。もう」

 猫塚は、懸命に答える音琴を見てけらけら笑った。

「あはは。じゃあネコ同盟っていうのはどう? 二人とも名前に『ネコ』って入ってるじゃん。アタシ天才か」

 猫塚はニコニコしているが。

「それも安直でダサいと思う」

「え、ひどーい。でも確かにちょっと安直だよね。じゃあどうしよ。種類がいいかな。アメショ同盟とか?」

 その時、音琴の脳裏に、ある猫種が思い浮かんだ。

「ラグドールはどうかな?」

「いいじゃん、可愛い! ラグドール同盟!」

 猫塚はこれ以上ないはしゃぎ様だ。

「あ」

 猫塚が一音口にした。途端、猫塚の動きがピタリと止んだ。

「どうしたの? 猫塚さん」

「いやね、名前にネコって入ってる人、知り合いにもう一人いて。しかも親いなくて。その人どうしようかと思って。同盟のこと知られて後でグチグチ言われても嫌だなと思って。でも仲良くない人入るの嫌だよね?」

 猫塚とさえ、仲が良いというよりは無理矢理距離を詰められたのだ。もう一人くらいどうってことないだろう。

「大丈夫だよ、誰?」

「いいの? やった! ネココだよー」

「ネココ? て茅根恋心君のこと? だよね?」

 クラスの中で、猫塚がそう呼んでいた。

「そそ。カーヤーネーコーコ」

「恋心君なら、いいよ」

「いいの!? あんな見た目の奴」

 猫塚の声が裏返った。驚いているのだろう、音琴が恋心を許容した事に。

「大丈夫だよ、恋心君優しいもん」

「意外だ、音琴ちゃん陰キャだから敬遠しそうに思ってた。絡みあるんだ?」

 目を見開いて猫塚が言った。にしても陰キャってダイレクトだな。事実だけど、もっと他に言い様があるのではないだろうか。

「まあね、色々あって」

「アイツあんな見た目だけど、中学の時は根暗な真面目がり勉だからね、音琴ちゃんと波長は合うかも」

 猫塚は、右手人差し指を顎に当てながら言った。

「あー、中学同じなんだってね。何となく分かる気がする、それ」

「でしょー! ていうかなんなら保育園から一緒だけどね。まあ、仲良いなら都合いいや。ラインのグルチャ作ろ」

 LINEで連絡取り合うの苦手なんだけどな。

「いいよ」

「音琴ちゃんってクラスLINE入ってないでしょ。どうして?」

 そう言って猫塚はLINEのQRコードを差し出してきた。

「いやー、そういうの苦手で」

 音琴がLINE内のカメラの起動方法が分からずあたふたしていると、猫塚が音琴のスマートフォンをぶんどって友達追加した。

「じゃあグルチャ作るねー。はい、招待したよー」

『ラグドール同盟に招待されています。参加しますか?』

 LINEから通知が来た。参加を押す。

『何これ』

『ラグドールってエロいな』

 恋心からだ。参加が早いし、意味分からないレスしてるし。

「恋心君ったら早いね。今日はバイトしてるはずなんだけど」

「よく知ってるね。じゃあネココに説明しておいてよ」

 猫塚は音琴の肩を叩いた。え、なんで。

「さて、そろそろ帰りますか」 

 猫塚はそう言うと、ベンチから立ち上がり伸びをした。

「もう帰るの?」

「お、恋しいか。可愛いなーよしよし」

 猫塚は音琴の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「でもね、アタシは家事しないといけないからさ、ごめんね。明日また学校で」

「うーん、分かった。じゃあね、ばいばい?」

「ばいばーい」

 猫塚はベンチから立ち上がり、音琴に背を向けながら大きく手を振った。音琴は、猫塚が去った後のベンチの温かみを、しばらく感じていた。

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