九
十一月十八日 八時二十八分
月曜日の朝を迎えた。猫塚が高校へ登校するのは、アオイが死んだと知って以来だ。
昇降口で外履きを上履きに履き替えようとした時だった。
「何これ」
猫塚は思わず声を漏らした。上履きにびっしりと画鋲が並んでいる。どうやら接着剤で固定されている様だ。仕方ない、靴下のまま教室へ向かおう。
靴下で廊下を歩いていると、生徒たちから奇異の目で見られた。
猫塚は靴下のまま堂々と教室に入る。
「お、人殺しだ」
「あんたがアオイさんを殺してくれたんだってね」
「あんなに味方になってくれてたのにね」
猫塚にクラスメート達が次々と話しかけてきた。
「そう。アタシが殺したの」
猫塚の返答はその言葉の一点張りだった。
「人殺しが学校通ってていいのかよ」
猫塚は、何とか返事を絞り出した。
「駄目だよね、ごめんなさい」
猫塚がそう言って自席に行くと、マジックで落書きがしてあった。猫塚は立ったまま自分の机を見下ろした。「死ね」「人殺し」「ブス」等々。その時だった。
バシャッ。
突然、後ろから水を掛けられた。どうやら掃除用のバケツを使った様だ。
「罪人には罰が必要だよな」
「そんなんで罰が足りるかよ」
猫塚のみぞおちめがけてパンチが繰り出される。一瞬息ができなくなる。
「おい、こんなに濡らしてよー。拭いとけよな猫塚」
きったない雑巾を投げつけられる。猫塚はしゃがんで、その雑巾で床を拭き始めた。
クラスメートたちが、その様子を輪になって見ている。そして、けらけらと笑っている。その時だった。
「おはようございます。って、ちょっと! 何やってるの!?」
担任の涼川が教室に入ってきて、猫塚の元に駆け寄った。
「花織里ちゃん……」
猫塚が声を絞り出した。
「誰が猫塚さんに水を掛けたの!?」
涼川が猫塚を庇う様に手を広げ、生徒でできた円を見回しながら言った。
「猫塚さんが勝手に水を被ったんです」
テニス部で学級委員長の大杉薫子が言った。
「ほんとなの? 猫塚さん」
薫子は上品でおしとやかだ。それでいてテニスでは全国大会に出場するほど活発。涼川からの信頼が厚い。対して猫塚は涼川にタメ口をきいているから、信頼度は段違いな筈だ。本当の事を言ったとして、信用されるか分からない。
「うん、アタシが自分から水を被ったの」
猫塚は笑顔を作った。それに対し涼川は驚いた表情を見せた。こりゃ本当の事言っても信用されていたかもな。相変わらず人の心を推し量るのは難しい。
「猫塚さん、取り敢えず来なさい」
涼川は立ち上がり、猫塚に手を差し伸べた。猫塚はその手を取ることなく立ち上がった。
「今日のショートホームルームは無しにします。各自、一限の用意をするように」
そう言った涼川に、猫塚は付いて行った。
猫塚が連れて来られたのは保健室だった。涼川からタオルを手渡され、体中を拭いた。
「本当に猫塚さんが、自分から水を被った訳じゃないでしょう? 靴下でいるのだって何か訳があるんでしょう?」
涼川は予備の体操服を探しながら言った。どうやら看護教諭は欠勤らしい。
「うん、水掛けられた。靴下なのはね、上履きに画鋲くっ付いてたから」
再び猫塚は笑顔を作った。
「もう、そんなだから水なんて掛けられるのよ。友達のアオイさんを殺してもけらけらしてるなんて」
それは違う。けらけらなんてしてない。回りに心配をかけまいと思って笑顔を作っているのに。
「あ、体操服あった。これ着なさい」
「ありがと」
猫塚は、ベッドの仕切りの中に入って着替える。
「一昨日だって遊びに行ったんでしょう? そういうのも良くないと思うよ」
涼川が仕切りの外から声を掛ける。遊びに行ったのは確かにそうだけど、アオイを悼んでの事なのに。というか何故知っているのだろう。
「アタシ、今日は帰るよ。いいよね」
「まあ、この状況で授業を受ける訳にもいかないしね……うん、いいでしょう。真っ直ぐ家に帰るのよ」
「はーい。じゃーねー、ばいばーい」
猫塚は保健室を後にし、学校から立ち去った。
十一月十八日 九時三十分
「お嬢ちゃん、奇遇だね」
アオイの事故現場で、猫塚は声を掛けられた。
「あ、爽ウザ刑事だ!」
猫塚は声を掛けてきた人物に向かって、指を指しながら言った。事情聴取を担当してくれた刑事さんだ。名前は忘れた。
「
眼鏡をくいっと持ち上げて松崎は言った。
「色々あって……」
再び猫塚は笑顔を作った。
「大方同じ学校の生徒に攻撃でもされたんだろう」
松崎は表情を変えずに言った。
「何で分かったんですか!?」
「君のinstagram、凄い炎上しているからね」
猫塚の頭の中にはてなマークが浮かぶ。
「何で松崎さんがアタシのインスタ知ってるんですか?」
松崎の顔が崩れた。
「君は自分が置かれている状況を理解していないんだね。君は今、ネットでちょっとした有名人だよ。元々はこのツイートから炎上したんだ」
そう言って松崎は猫塚にスマートフォンの画面を見せた。猫塚は口調にイラっとしながらもその画面を見た。
『小屋根香子 @Punishment_for_sin
この投稿の直後に事故が起きているのよね。この人がタイヤストッパーを除けていれば事故は起こらなかった。つまりこの人が事故を起こしたも同然って事よ。これは殺人よ。殺人者に制裁を!
instagram.com/…
https://...
pic.twitter.com/…
pic.twitter.com/…』
ツイートの本文に、猫塚の事故直前のインスタと事故のニュース記事のスクリーンショットが添えられ、それぞれのリンクが貼ってある。ツイートは三万リツイートもされている。
「この小屋根香子っていう人がアタシのインスタ炎上させたんですか?」
松崎は頷いた。
「それで間違いないだろうね。こうやって炎上させて何が楽しいのか分からないけど」
「自己顕示欲じゃないですか。こんなリツイートされてて」
「そうかもね。それで、これには続きがある」
松崎がスマートフォンを操作して、スレッドのツイートも猫塚に見せた。
『小屋根香子 @Punishment_for_sin
この殺人者、人殺ししてすぐパンケーキ食べてカラオケなんてしてるわ。信じられない。殺人者に罰を!
instagram.com/
pic.twitter.com/…』
一昨日のネココと遊んだ時のインスタの、スクリーンショットとリンクが貼ってある。先のツイートのスレッドとしてぶら下がっているこのツイートも、三万リツイートされている。涼川が一昨日遊んだ事を知っていたのはこういう事だったのか。
「恐らくこれで攻撃に一気に火が付いたんだろうね。
「そんな名前の知り合いはいませんね」
「twitterなんて本名でやってる人の方が少ないよ。君を攻撃した人物にそれっぽい子はいないのかい?」
「あー、そういえば大杉薫子って子が、アタシが水掛けられたとき、先生に自分から被ったて言ったです」
「それだけでは断定できないけど怪しいね。酷かったら警察にも相談するんだよ?」
「いいんです。アタシがアオイを殺したんだから、その罰を受け入れなくちゃ」
「被害者と知り合いだったのか。そう言えば同じ学校だったね。それはご愁傷様。でも、お嬢ちゃんにそんな責任は無いよ。もっと気楽に――」
「松崎さんにアタシの気持ちは解らないでしょう」
猫塚は松崎と向かい合っていたが、踵を返した。
「さようなら、松崎さん」
早くも冬の冷気が下りてきて、空間を凍らせた様だった。
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