八
十一月十六日 十九時八分
冷凍食品って最っ高!
猫塚が帰宅した時、煙草の匂いがした。茂だ。
「おかえり」
「ただいま。どうしたの? いつもいないのに」
「いやあ、偶には一緒に食事をと思ってな。はるは最近寂しそうだし」
「寂しいのはまあ、そうだけど、無理に帰って来なくてもいいんだよ」
「そうは言わずに。今日はカレーだぞ」
「え」
一週間で使う食材や献立は決めてあるのに。それを無視してカレー? 納得できない。どうして猫塚の到着を待てなかったんだろう。家にある具材ではカレーを作れない筈。もしや。
「わざわざ買い物行ったの?」
「うん、パチンコで勝ったからね。良いお肉買ってきたよ」
最悪だ。いつも使いきれる量を計算して買っているのに、増やされては困る。
「いつも食材買うときは一言言ってって言ってるじゃん」
「メールしたんだけどな」
スマートフォンを確認すると、確かにメールが入っている。
「ごめん、ネココと遊んでて確認できてなかった」
「まあ、いいよ。ちょっと手伝ってよ、まだ野菜切ってる段階なんだ」
嘘でしょう。いつ帰ってきたの。もう七時過ぎてるんだよ。
「今野菜切ってるとか、いつになったらご飯食べられるの。今日は冷食にして明日カレーにしよ?」
「せっかく食材買ってきてここまで作ったのに……」
茂は切りかけの食材を指さしながら言った。
「家事手伝ってくれるのは凄く有難いんだけど、もう時間も時間だから」
「そうか、悪いな。野菜はどうすればいい?」
「ジップロックに入れて冷蔵庫入れとけば大丈夫だよ。ほら、キッチン貸して」
冷凍庫には、業務スーパーで買った三十個入りの冷凍餃子が入っている。それを焼こう。
フライパンに油を敷いて、ガスコンロに火を点ける。フライパンが温まってきたら、餃子を螺旋状に並べる。焼け目が付いたら水を入れて蒸し焼きにする。水気を飛ばしたら、お皿に盛る。それでもう完成だ。冷凍食品はあらゆる手間が無くなる、とても優れた食品だ。後は、麩とわかめの味噌汁でも作ればいいだろう。
「「いただきます」」
夕飯を猫塚と茂で一緒に摂るのは久しぶりだったが、自然と食前の挨拶が揃う。
一皿に盛った餃子を、二人で分け合って食べる。
「美味しい! 冷凍食品って最っ高!」
「私のカレーより冷凍食品の餃子の方がいいの?」
「そんなことないよ。食べるのが遅くなっちゃうからだよ。冷食ならあっという間でしょ? 明日早く帰ってきて続き作ってよ、楽しみにしてるから」
「そうか、それは良かった! じゃあ明日待っててね」
「うん、待ってる」
カレーを作ってくれると分かっていれば、それで数日持つから献立が立てやすい。明日の買い出しもきっと楽になるだろう。そう思えば多少の感謝の気持ちが湧いてくる。口には出さないけれど。
「はる、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ。けど、それなりにやっていくしかないじゃん」
何の動揺もなく言えたと思う。父を信用していない訳じゃないけれど、心配はかけたくない。
「そっか。はるが家出したのなんて初めてだったから、私は焦っちゃったよ。アオイさん、残念だったね」
「うん……」
茂は、猫塚の家出とアオイの死を同列に扱うのか。それに、残念だったなんて一言で片付けられる話じゃない。親友を殺したんだ。
「ほら、沢山残ってるよ、食べよ」
三十個あった餃子は、まだ半分くらい残っている。
「うーん、パパ食べていいよ」
「やっぱり元気ないんだね」
茂は、猫塚の瞳を下から覗き込んでくる。
「違うよ、お昼食べたパンケーキがまだ残ってるの。それだけ」
「そっか、なら良かった」
茂は安心した様にふぅっと息を吐いた。
「じゃあ明日から心置きなくパチンコ行けるよ。あ、明日はカレーを作るんだったね。じゃあ早く切り上げないとだ」
「明日も早く帰って来てくれるの!? 嬉しい! じゃあカレーの付け合わせの用意するね。パパは何時ごろ帰って来れるの? 十八時くらい?」
「十八時かー、ちょっと早いな」
茂は渋い顔をして言った。
「だって煮込み料理だよ。今ぐらいの時間に食べ始めるなら、アタシが手伝ったとしてもそれぐらいに帰ってきてもらわないと無理だよ」
「そうかー。まあ、タイミング悪くフィーバー入らなければね」
茂は、渋い顔のまま顔を下に向ける。
「はぁ。まあいいよ。間に合わなければアタシが勝手に作っとくから」
「それは駄目だよ。私が買ってきたんだから」
茂は笑顔で言ったが、猫塚はその裏には怒気が隠れている様に思えた。
「なら早めに切り上げてきてよ」
「わかったわかった」
話が纏まる頃には、食事は終わっていた。
「片付けは私がやるよ」
「いいよ、食器の片付け場所分からないでしょ。ネカフェから帰ってきたらぐちゃぐちゃだったよ」
茂はしょぼんとした顔になった。
「でも、大変だろう。はるがいなかった四日間で痛感したんだ。私はこれをはる一人にずっと任せてたのかって」
「もう慣れたことだよ」
「ううん、はるは今後大学に進学して、就職して、お嫁さんに行くんだ。そこに私という足枷があったら邪魔だろう。安心して出ていってほしいんだ」
「勝手なこと言わないでよ。アタシはここにずっといるって決めてるんだから」
茂は驚いた顔を見せた後、ちょっとだけ笑顔になった。
「そうやって言ってくれるのは嬉しいけれど、はるには外の世界を知ってほしいな」
「いいの。パパは私がいないと何もできないんだから」
「そんな事ないよ。大学生の時からママと同棲するまで独り暮らしだったんだから」
「うーん、それはそうかもしれないけど……。どうせアタシは、今は未来のことなんて考えられないよ。アオイを殺したんだから」
人殺しなのだから本当は罪を償わなければならないのに、堂々と生きている。その自分が猫塚は許せない。
「殺した訳じゃないだろう。責任があるとすれば、タイヤストッパーを置き忘れた人だ」
「でも、アタシが除けてれば……」
「アオイさんのお母さんにも非はあるよ。普通避けられるだろう」
背中からぞわーっと怒気が上ってきた。
「ゆう子さんを悪く言わないでよ! 故人を悪く言うのは最悪だよ」
「ご、ごめん」
茂はおろおろとした様子だ。猫塚が怒る事など滅多に無いため、どうすればいいか分からないのだろう。
「今回は水に流すけど、二度と言わないでね」
「うん」
鋭い眼光を見せた猫塚に、茂はしゅんとなった。
その時だ。お風呂が沸き上がる音声が鳴った。
「ごちそうさま」
猫塚はそう言うと、自分で食べた分のお碗を重ねて持ち、台所のシンクに置いて水に冷やした。
「じゃあ、アタシ先に風呂入るから、食べたお皿水に冷やしておいてよね」
猫塚は、ドアをバタンと大きな音を鳴らせてリビングから出た。
十一月十六日 十九時四十分
猫塚は湯船にどっぷりと浸かった。
感情が忙しない。喜怒哀楽に身体が追い付かない。気持ちが落ち込んでいたと思えば、茂の帰宅に喜び、発言に憤っている。
アオイさえ死ななければ。でも死なせたのは猫塚だ。自業自得だ。あーもう。
そういえば、instagramに投稿しろとネココに言われてたんだった。猫塚は、浴槽に浸かりながらスマートフォンを弄る。
『Hal Nekoduka
#パンケーキ #スコーン #オケ』
このコメントと共に、パンケーキの写真と、ネココに送ってもらったカラオケ中の写真を投稿した。
「これで文句は無いだろう」
猫塚はそう言って、首まで湯に浸かる。お風呂出たらパパに謝らなきゃな。でもパパもパパだよ。いっそ叱ってくれた方が気が楽なのに。
猫塚は風呂から上がり、スキンケアをしてリビングに戻った。
「パパ、さっきはごめん。ちょっと言い過ぎた」
「ごめんね、私も酷い言い方をした。洗い物は私がやっておいたから」
ああ、やっぱり茂は優しい。だから家事もできるし、茂が死ぬまで一緒に暮らそうと思える。
「いいよ。仲直りの握手」
そう言って猫塚は右手を差し出す。茂もそれに応える。
「じゃあ、これ以降恨み言は無しね」
「勿論」
これで父娘の親子喧嘩は幕を閉じた。
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