六
十一月十六日 十三時三分
「あんたにパンケーキは似合わないわ」
猫塚が、店の前でそう言葉を漏らした。
「良いんだよ、俺に似合わなくても。お前のためなんだから」
さ、入るぞと言って、ネココはドアを開け入っていった。猫塚もそれに続く。
案内されたのは窓際の席だった。二人は向かい合って座った。
「何食べるんだ?」
ネココがメニューを猫塚の方に向けながら言った。
「何がいいかな。ベリーベリーベリーパンケーキとコーヒーのセットにしようかな」
猫塚は苺が好きだ。だから、メニューを見て一番に目に留まった。本当はこんな事してる場合じゃないんだけどな。
「じゃあ俺はキャラメルバナナにしようかな。ミルクティーとセットで」
「カワイイもの選ぶね」
「そうか? 普通だと思うが」
「うん、カワイイ。後で一口頂戴ね。」
「ああ、いいけど、俺にもベリーベリーベリー一口くれよ? 他に何か頼むもんあるか?」
「奢りだもんなー。そうだなー」
「おい、あんまり高いもんはやめろよ」
「じゃあ手作りスコーンも」
「まあ、そのくらいならいいか。すみませーん」
ネココが店員を呼ぶ。店員がバタバタと猫塚たちの席に来る。アルバイトだろうか。
「ご、ご注文はお決まりでしょうか」
アルバイトと思しき店員が言う。ネココはそれに答える。
「はい。ベリーベリーベリーのコーヒーセットが一つと、キャラメルバナナのミルクティーのセットを1つ、あと、スコーンを一つ」
「はい。あ、コーヒーとミルクティーはホットでよろしいでしょうか」
「はい。はるもいいよな」
「うん」
猫塚は首を縦に振る。
「で、ではご注文の確認を致します。ベリーベリーベリーとホットコーヒーのセットがお一つと、キャラメルバナナのホットミルクティーのセットがお一つと、スコーンがお一つでよろしいでしょうか」
「「はい」」
猫塚とネココの声が重なる。
「では、出来上がるまで少々お待ちください」
そう言うと、店員がまたバタバタと去っていった。
「ねえ」
「なんだ」
「スコーンまで食べきれるかな」
「知らねーよ。お前が頼んだんだろ。……まあ、一緒に食べよう」
「うん」
二人の間に沈黙が流れる。今まではこんな事無かったのに。
「ねえ」
「なんだ」
「私たち、こんな事してていいのかな」
「こんな事ってなんだ」
ネココの眉間に皺が寄る。
「こうやってパンケーキ食べに来てる事」
「いいんだよ。俺たちが楽しめば、その分アイツがあの世で喜ぶ」
「そうなのかな。アタシはアオイに悪い気がして……」
「そんなこと言い出して、お前を楽しませようとしてる俺に悪いとは思わないのか。今は楽しめ」
ネココはテーブルを人差し指で繰り返し突きながら言った。
「んーそれもそっか。奢りだもんね」
ネココの言うことも分かる。でも正直楽しむなんて無理だ。ここは楽しんでいる振りをしよう。それでやり過ごそう。
再び二人の間に沈黙が流れる。何も話題が見つからない。今まではどんな風に話してたんだっけ。話し方が分からなくなってしまった様だ。
猫塚は窓の外を見やる。あらゆる建物の看板が錆びたり禿げたりしている。その通りを、お爺さんが杖を突いて歩いている。今にも転びそうで見ていて危ない。歩行者は殆どいない。代わりに自動車が群れを成している。典型的な地方都市だ。駅から少し離れれば田畑が広がる。
「お待たせ致しました」
猫塚が窓の外を見ている間に、パンケーキが運ばれてきた。
「ベリーベリーベリーのホットコーヒーセットと、キャラメルバナナのホットミルクティーセット、スコーンになります」
先ほど注文を取りに来た店員が配膳をしていく。スコーンはネココの側に置かれた。
「以上でご注文はお揃いでしょうか」
「はい、スコーンは俺の方じゃないすけど」
ネココが言った。食い意地張ってる様に見られたくないんだろうか。自分も食べるのに。
「失礼いたしました」
店員がそう言ってスコーンを猫塚の方に寄せる。
「ではこちらが伝票になります。ごゆっくりどうぞ」
店員は伝票をテーブル上の円筒型のケースに入れて、またバタバタと去っていった。
ベリーベリーベリーパンケーキは、パンケーキ二枚の上に入道雲の様にホイップクリームが盛られている。その上に小さく切られたストロベリー、ラズベリー、ブルーベリーが飾り付けられている。ベリーからは甘酸っぱい匂いが放たれ、食欲を掻き立てる。
キャラメルバナナはパンケーキ二枚の上に輪切りのバナナが敷き詰められ、その上からキャラメルソースがかけられている。キャラメルソースからは甘い匂いが漂い、うっとりするほどだ
「いただきます」
猫塚が両の手を合わせて言った。
「おい、写真撮らなくていいのか」
「あー忘れてた。でもいいかな。気分じゃないし」
「折角なんだから撮っとけよ。俺も撮るぞ」
ネココはスマートフォンを取り出して、鋭角に構え、写真を撮っている。奢ってもらっている身だ。ここは指示に従おう。猫塚も同様にスマートフォンで写真を撮る。
「インスタには上げないのか?」
ネココは身を乗り出して訊いた。
「インスタに上げるのは写真を加工してからだよ。分かってないなぁ」
「見るから後で投稿しろよ」
「えー、めんどくさいな。やめようかな、上げるの」
猫塚は目を細めて言った。
「奢るのやめようかな」
「分かったよ、上げればいいんでしょ、上げれば」
カメラを横に構えての二人の攻防は、こうして幕を引いた。
「じゃ、今度こそいただきます」
「いただきます」
まず猫塚が言って、その後に続いてネココが言った。そして二人はパンケーキをナイフで切り、口に入れた。
「んー、美味しい! 生地ふわっふわ。それにベリーの酸味が生クリームと噛み合って最高。アタシ、苺大好きなんだよね」
「知ってる。メニュー見たときそれ選ぶと思った」
「お見通しって訳ね。そっちはどうなのよ、美味しい?」
「まあ、まずまずかな」
「約束通り一口ちょーだいよ」
「いいぞ」
ネココは、キャラメルバナナを猫塚の方へ押した。猫塚は一口サイズにパンケーキを切り、バナナとキャラメルソースごとフォークで刺した。
「いただきまーす。んっ! 美味しいじゃん。キャラメルとバナナってこんなに合うもんなんだね。これでまずまずとは、相当舌が肥えている様で」
猫塚はキャラメルバナナを突き返した。
「俺にはちょっと甘ったるかったな。お前のも一口くれよ」
そういうとネココは、半立ちになってベリーベリーベリーから一口サイズより大きめに切り取って口に運ぶ。
「これは美味しいな。酸味と甘みのバランスが丁度いい」
「でしょー。苺料理に間違いはないのだ」
「これなら、俺がベリーベリーベリー頼みたかったな」
ネココは口を尖らせて言った。
「なら今度来た時に頼んだら。ま、あんたがここに一人で来ると思うと笑えるけどね」
「それ暗に、俺に友達いないことディスっていないか?」
「それは深読みしすぎ。アタシがそんな冗談言えると思ってるの?」
「無理か」
ネココは、猫塚が人の機微から心情を察することが苦手だと知っている。
「その答えは、それはそれで酷いね」
「仕方ないだろ、事実なんだから。」
「ほんと酷い」
猫塚は笑った。アオイの死を知って以降初めてだった。アオイが死んでからは、ネカフェでコメディ映画を観ても、家でバラエティー番組を観ても、心動かされることはなかった。何が違うんだろうか。直に人と接するのが良いのだろうか。それとも。
「ようやく笑ったな。笑ってる方がお前らしいぞ」
「あんたのお蔭で少しは元気になれたかも。ありがとうね」
「ほら、まだパンケーキ残ってるぞ。さっさと食え」
ネコのパンケーキは、あと一口といったところだ。それに対し猫塚のパンケーキは、まだ半分の一枚ずつが残っている。その上、スコーンは手付かずのままだ。
「そっちこそ。スコーンも食べるんでしょ」
猫塚はパンケーキがお腹に溜まってきている。何とかしてスコーンだけでもネココに食べさせたい。
「スコーン頼んだのはお前だろ。お前が主体となって食べるんだよ」
正論だ。でも負けない。
「だって店員さん、ネココの方に置いてたじゃん。それはつまりネココのものって事だよ」
「今どっちにあるか見てみろよ。お前の方にあるだろ」
「うん、店員さんが移動させたね」
「じゃあはるのものってことだな。」
「いや、それは……」
完敗だ。
「なあ、お前もうお腹いっぱいになってきてるだろ」
「何故バレた!?」
「そりゃ、そんだけ人に押し付けようとしてたら分かる」
「お願いします! スコーン全部食べてください」
「仕方ないな。次は無いからな」
「ありがと」
猫塚がベリーベリーベリーを何とか食べきる頃には、ネココはスコーンを食べきって手持ち無沙汰になっていた。
「ふう、何とか食べきった。偉いでしょ」
「偉くないだろ、人にスコーン押し付けやがって」
これ以上食べられないくらい食べたのだ。少しくらい褒めてくれてもいいじゃないか。
「でもどっちみちお金払うのネココなんだからお得じゃん」
「全然お得じゃない。お腹パンパンになるまで食べさせられて寧ろマイナスだ」
ネココは、右の掌でお腹をポンポンと叩くジェスチャーをしている。
「お腹パンパンになるまで食べられるのは幸せな事なんだよ、感謝しないと」
「そうだな、神様にでも感謝しとく」
「ちょっと! アタシのお蔭で食べられたんだからアタシに感謝しなさい」
「お前には恨みこそすれ、感謝はしないね」
「ひどーい」
「酷いのはお前だ」
ネココは苦い顔をしながら言った。
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