チャプター3 装飾
五
十一月十六日 九時三分
「よお、元気か」
ネココが話しかけてきた。猫塚は、土曜日にネココと同じ塾に通っている。道のりが途中から同じだから、偶々タイミングが合えば一緒に通っていた。しかし今日は合流地点で待っていたようだ。
「元気」
嘘だ。
「嘘つけ。俺だってつらいんだぞ」
「あんたの方がつらいでしょ。なら、あんたよりも元気でいないと」
何が原因か分からないが、ネココとアオイが喧嘩をしていたのを見た。それっきりだとしたら、そんなにつらいことはない。
「え、お前分かってたのか。鈍いから気付いていないと思ってた」
「馬鹿にしないでほしいね」
「ふーん。それよりお前、インスタのチェックしてないだろ」
「あー……、」
ネココの見透かすような態度はムカつくけど、その通りだ。
「そんな余裕なかった」
「見てみろ。というか通知来てないか?」
「面倒だからいつも通知切ってるの」
スマートフォンを取り出し、instagramを確認する。すると、事故直前の投稿に対して、二百件近いコメントが付いている。車道に置き去りにされたタイヤストッパー、つまりアオイが死んだ場所の写真が添付された投稿にだ。有名人じゃん。
「はあ、通りでいつも返信が遅い訳だ。コメントの内容、真に受けるなよ」
「ふーん、どれどれ」
猫塚の息が止まった。
『こいつが捕まらないとかマジ?』
『信じられない。あなたが殺したようなものじゃないか』
『殺人者が。お前みたいな奴が社会を乱すんだ』
『犠牲者と遺族の方に対して何も思わないの?』
『お前が代わりに死ぬべきだった』
『あなたなら事故を防げたのに、何で投稿を優先したの』
猫塚にとって耳の痛い言葉が、ずらーっと並んでいる。しかし、アオイを殺したのは自分だ。何も間違っていない。
ぱーんっ。
猫塚は、自分の左頬から響く乾いた音に気付いた。ネココがビンタをしたのだ。
「おい、そんなの読むな。教えなきゃよかったな、ごめん」
「ううん、これは事実だから」
「違う、悪いのはタイヤストッパー置きっぱなしにしたドライバーだろ」
「気付いたアタシが、除けもせずに写真なんて撮ってたのが悪いの。もういいよ、塾行こ」
塾に着くまでの間、二人の間には一つの会話もなかった。
十一月の冷たく刺すような風は、猫塚を責めているようだった。
十一月十六日 九時三十分
猫塚が塾の教室に入ると、数多の目線を感じた。皆大声で話していたが、一瞬静まり返り、そしてヒソヒソと話し始めた。
「おい、気にすることないからな」
心配そうにネココが言った。
「何か気にする様な事ある?」
猫塚は何も気に留めることはない、といった口調だ。
「気付かないか。皆お前のことを話してるんだぞ」
「嘘!? 何で?」
「お前のインスタが炎上してるからだよ」
ネココは呆れた顔を見せる。それくらい気付けと顔が言っている。
「あー、そういうことか。でも、それにしたら」
猫塚のinstagramは過去にも炎上したことはある。しかし、その時は近しい人物にしか知られなかった。同じ塾の生徒にも知られるなんて、思いもよらなかった。
「そうだな、思ったよりも広がってるな。でもまあ、人の噂も七十五日と言うし――」
「別にアタシのことはいいの。このくらいの仕打ちじゃ足りないくらいだ」
猫塚は、真っ直ぐネココの目を見て言った。
「そうか、このくらいじゃ足りない、か」
「そうだよ、アオイとそのお母さんを殺したんだよ。こうやってのうのうと生きてちゃいけないんだよ」
猫塚の声は思いがけず大きくなり、塾の教室中に響き渡る。それを合図に教室が冷たい陶器の様に静かになる。
「馬鹿だな。前にも言ったが責任はお前に無いんだ」
「それでも――」
「少しでも責任を感じるなら、アイツの分まで楽しんで生きろよ」
ネココは、猫塚の頭を鷲掴みにするように撫でながら言った
「そんなことできない。アタシはアオイを差し置いて楽しむなんてできないよ。アオイは親友だ。それを失ってどう楽しめというの」
「じゃあ俺が楽しませてやるよ。塾終わったら付き合え」
ネココはニィっと笑う。
「やだ。何であんたに付き合わないといけないの」
正直、今は何もしたくない。ただ自室の隅っこでじっとしていたい。塾だって茂が行けとうるさいから来ただけだ。
「親友だろ、俺たちだって。ならいいじゃないか。」
「あんたとアタシが親友? 腐れ縁の間違いじゃないの?」
「奢るぞ」
「行く。ネココとアタシは親友だ」
ネココは自分よりも辛いのだ。だから楽しんで気を紛らわせたいに違いない。それならば、付き合ってやるしかあるまい。
「現金な奴め」
ネココはそう言うと、再びニィっと笑った。
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