十一月十一日 十時三十二分


 猫塚が自分のクラスルーム、二年三組に着いたのは、二限目と三限目の間の休み時間だった。

「おい、はる」

 話しかけてきたのは茅根恋心だ。カヤネココ。ネココ。金髪の左側を編み込み、右にサイドテールを作るという風変わりなスタイル。眉はほぼ無く、目つきは鋭く、左耳には黒いピアスを付けている。この成りで成績が良いのだから神様は不公平だ。

「なんでお前、返信しねーんだよ。警察って云うから、何かやらかしたと思って心配したんだぞ」

 ネココは、はあっと溜息を吐く。猫塚には、ネココ以上に警察のお世話になりそうな知り合いなどいない。中学時代は可愛かったのに。

「まさか。あんたじゃないんだから。事故の目撃証言だ」

 一瞬瞳を左下に逸らすと、パッと目を見開いた。

「駅前の通りの事故か」

「何で分かったの?」

 彼は推察する力が凄い。だから勉強もできるのだろうな。ズルい。

「事故があった事は知ってたのと、昨日のお前の投稿」

「あんたにしたらヒントが多すぎたね」

「まあな。それよりお前、アイツとはいつから連絡が取れてないんだ」

「昨日の夕方くらいかな」

 ネココは、毛の無い眉をひそめ、下唇を噛んだ。いつもは「顔色を伺うのが下手」と言われる猫塚だったが、この時ばかりは彼の表情を汲み取ることができた。

「ネココ、まさかあんたアオイがその事故で――」

 彼が猫塚の口に掌を当てる。

「言霊って有る、口にするな。けどな、もし、もしもこの予感が当たってたら。お前、解るな?」

 猫塚の撮ったタイヤストッパー。彼は、これの事を言っているのだ。爽ウザ刑事は何も言わなかったが、それを車道から除けていれば、事故は起きなかったかもしれない。

 数秒間の沈黙が流れる。気まずい。

「そういえば、今日の一、二限って何だったっけ」

「一限は現国で二限は体育。お前さ、回りみんなジャージなんだから体育だったことくらい訊かずとも分かれ」

 確かに、言われてみれば教室内で制服を着ているのは猫塚ぐらいだった。

「はいはい。倉田、何か言ってたかな」

「いや、女子が休むのには何も言わねーだろフツー。俺らは次に会ったとき滅茶苦茶言われるけどな」

「そっか。あれ、次は何だっけ」

「数Ⅱ」

「あー、花織里ちゃんか」

 ネココは苦笑を浮かべる。

「お前な、二学期入ってどんだけ経つと思ってんだよ。覚えろよ」

「あー、うん」

 アオイの事を考えると、話に集中できなかった。その事を察してか、ネココは「じゃー、着替えるから」と去っていった。

 その後、三時限目と四時限目の間の休み時間にもアオイを探したが、学校内に彼女は見当たらなかった。


  十一月十一日 十二時三十三分


 授業に身が入らないまま昼休みを迎えた猫塚は、真っ先に職員室へと飛び込んだ。

「失礼します!」

 つい声が大きくなってしまう。中を見ると、何やら教職員が集まって話をしている様だった。

「あれ、どうしたの猫塚さん」

 猫塚の担任の涼川花織里が、輪の中から声を掛けてきた。

「アオイが、見当たらないの。連絡もつかないし」

 瞬間、部屋が凍った。誰も動かない。何も口に出せない。それを辛うじて溶かしたのは、アオイの担任、倉田朗だった。

「彼女は今ね、家庭の事情で――」

 倉田は神妙な面持ちで言った。いつもならもっと明るい筈だ。

「ちょっと待ってください」

 涼川が倉田の声を遮り、続ける。

「猫塚さんは、アオイさんと一番仲が良かった。言わない方が、酷でしょう」

 目元が赤くなっている。よく見ると涙も見える。ああ、そうなのか。

「アオイさんは昨日、お母さんと共に事故で亡くなりました」

 猫塚は、自分で自分の瞳が洪水を起こしていると分かった。全身に鳥肌が立ち、頬を大量の雫が伝う。暖房がぼうぼうと鳴いている。

「アオイいいいいいいいいいい!!!」

 思いがけず泣き声が出てしまう。きっと、顔はぐしゃぐしゃだろう。それでも泣かずにはいられなかった。そのまま嗚咽を繰り返す。涼川がそっと抱きしめてくれた。

「午後の授業は無理して出なくていいよ」

 そのまま、二人は保健室に向かった。猫塚はベッドに、涼川は椅子にそれぞれ腰かけた。確認を、しなきゃならないことがある。

「花織里ちゃん。アオイはさ、昨日の駅前の通りの事故で死んだの?」

「うん、そうよ。知ってたの?」

 涼川は、不思議そうな顔を浮かべた。

「ううん、何となくそうかなって。アタシ、その事故をすぐ側で見たの。アタシが殺したんだ」

 口にすると、猫塚の目には再び涙が溢れた。猫塚は落ち着くと、そのまま下校した。帰り道には冷たい雨が猫塚を打った。


  十一月十一日 十六時○○分


 帰宅してから気が付いた。ネココに伝えていない。でも、どうやって。使うべき言葉が見付からない。自分がこれだけ悲しいのだ、ネココはもっと悲しい筈だ。先週金曜日の放課後、喧嘩しているのを見てしまった。おそらくそれっきりな筈だ。


  十一月八日 十九時八分


 十一月に入ってから、急に日が落ちるのが早くなった。大体の部活が終わる十九時には、とっくに辺りは暗くなっていた。

ネココとアオイを見かけたのは、帰宅しようと学校の駐輪場へと向かっていた時だ。校舎の屋上に二つの影が映った。くっきりしない輪郭でも、それが誰であるかは直ぐに分かった。声をかけようとしたその時だった。小さい方の影が、正拳突きを放ち、大きい方はその場にうずくまってしまった。

大変なものを見てしまった。

そう思った猫塚は、直ぐに自転車に跨り、帰ってしまった。


十一月十一日 十六時二分


 ネココはもう、知っただろうか。

もう、何もやりたくない。気力が無い。ごめんなさい、パパ。

 猫塚は、スマートフォンの電源を切り、重たい足取りで家を出た。この時はまだ、例のinstagramへの投稿が、拡散され沢山の目に晒されることを、彼女はまだ知らなかった。


  十一月十五日 八時二分


「見つけたぞ、はる」

 四日振りに知り合いの声を聞いた。ネココの声だ。猫塚は、駅前のインターネットカフェにいた。アオイの死を知ってから三日間、その個室で過ごしていた。

「猫塚はいません」

「あのな、お前には捜索願が出されてんだ、さっさと出てこい。迷惑だろ」

 はあっという溜息が聞える。

「ここからはさ、事故の現場が見えるんだ」

「だから何だ。アイツはそこにはいないだろ。もう棺の中に入ってる」

 ふっと頭に血が上って、猫塚はドアを開く。ネココは扉のすぐ側にいた様で、それが勢いよく顔に当たる。

 しまった。この四日間、シャワーを浴びていなければ身体を拭いてもいない。髪はボサボサでフケが付いているし、ニキビはできてるし、きっと体臭も酷い。他人に見せられる姿じゃなかった。

 痛たた、と顔を抑えるネココは、喪服を着ていた。制服を着ないところが彼らしい。入学式ですら編み込んでいた髪の毛は、今日は一つに束ねている。

 すると突然、黒色が伸びてきて、ぎゅっと猫塚を抱き締めた。

「無事でよかった。お前までいなくなったら、俺……」

 鼻声だ。そしていつになく感情的に聞こえた。まったく、ネカフェだよ、ここは。勘弁してよ、出ていくしかないじゃんか。

「臭いでしょ、離して。お会計してくる」


  十一月十五日 八時十五分


「何で付いてくるのさ。まさか家まで来て襲う気じゃないだろうね。キャッ」

猫塚は、両の掌を頬に当て高い声を出す。

「無理にテンション上げなくていいんだぞ。見ていて痛々しい」

 ネココは、何でもお見通しだ。ネココとアオイ、この二人の前でなら、自分をさらけ出せていたのに。

「実際、家まで来るの?」

「まあ、今のお前、何すっか分かんねーからな」

 まさか。でも、それを否定しきれなかった。

「捜索願出されてるんでしょ、アタシ。それ、取り下げなくていいの」

「そうは言っても、お前の親父さん、仕事行っちゃってるからなあ」

「は?」

 娘が何処に行ったかも分からない状況で、どんなメンタルしてんだよ。

「まあ、怒らないでやってくれよ。お前と連絡取れないって電話来たから一緒に警察行ったけどな、凄い形相だったぞ」

「ふーん。そういえば、『SAKURA GARDEN』の二人はどうなったの? 花織里ちゃんは、アオイがお母さんと共に亡くなったって言ってたけど」

 ヘアサロン「SAKURA GARDEN」には、アオイの父、桜庭涼介と、猫塚の元彼であり、アオイの兄でもある亜蓮が在籍している。猫塚の言う二人とは、その両者だ。四人でお出掛けすると聞いていた。

「家にいたから無事だ。」

「そっか。よかった……のかな?」

「ネカフェに居たんだから調べられただろ」

「気力が湧かなくて」

「ま、いいや。取り敢えず今の俺のミッションはお前を斎場まで連れていくこと」

「そんなの何処で何時からか教えてくれれば行くから」

「いーや、お前は行かないね、逃げるよ」

 当たり前だ。お別れしたら、死んだって認めたことになる。

「よく分かってるじゃんか」

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