チャプター2 Pattern
三
十一月十五日 十七時五十二分
「あれ、音琴ちゃんじゃん」
同じクラスの、猫塚はるだ。ど真ん中の席を陣取り、両の手を振っている。彼女は、可愛い。女子同士で交わされる、口先だけの「カワイイ」ではなくて、本当に可愛い。目は二重でパッチリとしていて、涙ボクロが左眼の下にある。適度に丸みを帯びた顔の輪郭とショートカットはとても合っている。更に背が低いのが愛らしい。そして、性格は明るく朗らかで、いつもクラスの輪の中にいた。授業中であっても構わずに私語を叩き、にも関わらずそれが許される。
音琴と猫塚とでは、人種が違った。「磁荷以外の全てのものは、二つに分けることができる」音琴の持論だ。磁荷は必ずS極とN極がセットになり、磁気双極子モーメントを形成している。どんなに小さく磁石を分割しようと、二つの極は分割できない。しかし、それ以外のものは違う。動物なら脊椎動物か否か、植物なら種子植物か否か、ピーマンの肉詰めならピーマンか肉か。クラスの人間も同様だ。陽か陰かで大別できる。太陰図の様に、中には陽に陰が紛れ込んだり、陰が陽に紛れ込んだりすることもあるが、何事にも例外はあるから気にするべきではない。そして、音琴は陰、猫塚は陽に区別された。よってこの時、音琴の脳裏には二つの考えがよぎった。「何故猫塚はこの場にいるのか」。音琴にとっては、客のいないプラネタリウムなんていう陰の自分にお似合いの場所は他に無かった。だから、何故、陽の彼女が。そして、「何をされるのか」。挨拶を交わすことすらしない程関わりのない人間だ。何をされるかと思うとたまったものではなかった。
「う、うん。奇遇だね」
それだけ言うと、音琴は端の席にそそくさと座った。
「ちょっと。折角なんだから一緒に観ようよ。遠慮しないでさ」
は。お前は遠慮しろよ。そう思った音琴だったが、よくよく猫塚の目元を見ると赤くなっている。何かがあったから来たのだ。気付かなければ、よかった。
「じゃあ、失礼します」
音琴は、猫塚の座席から一席開けて座った。
すると、猫塚はそれを埋める様に隣り合わせて座ってきた。
「遠慮しないでって言ってるのにさ」
嫌いかもしれない、この人。しかし、声もよくよく聴くと鼻声だった。質が悪い。
「ねえ」
音琴は意を決した。尤も、目は猫塚に合っていなかったし、声も細々としていたが。
「いつもは来ないけれど、何かあったの? その、泣いてるように見えたから」
余計な事を言っただろうか。気分を害したらどうしよう、ただでさえ居場所の無い教室が、地獄になってしまわないだろうか。いや、それはそれで、この人はもう此処に現れなくなるだろうからいいか。
「音琴ちゃんって優しいんだね」
そんな事はない。ただ、義務感を感じたのだ。聴いてあげなくてはいけない、と。泣いている人がいたら、手を差し伸べるのは、当然の事だ。例えそれが、嫌いな人であったとしても。
「なんかロボットみたいな人だと思ってた」
そうだ。結局のところ、この言動はプログラミングされたロボットと同じようなものだ。て。
「え?」
音琴は思わず声を出してしまった。表情筋も固まってしまったように感じた。
「冗談だって。あ、でも優しいと思ったのはホント」
猫塚は笑顔を見せる。冗談だとしても、あまり話さない相手に普通そういう事言うのだろうか。仲が良い相手ならともかく。いや、そういう事が出来ないからいつも独りになってしまうのだろうか。はあ。
「ていうか今、『いつもは』って言ったよね。ていう事は、いつも此処に来てるの?」
失言だったか。何と答えるべきか。
「いや、その、言葉の綾というか何というか、毎日通ってる訳じゃないし嫌なことがあったり気分が落ち込んだりしたときに偶にくるだけというか、ここはその、癒しスポットというか」
あれ、質問、何だったっけ。これだから駄目なんだ。猫塚の方を見やると、彼女は口を半分開け、目をパチクリさせている。一拍、二拍、三拍と間を置いてから、猫塚は言葉を発した。
「音琴ちゃん、めっちゃ喋るじゃん」
顔がカーッと熱くなった。音琴は、話すのは苦手なため、学校の中ではいつも独りでいた。登下校の際も、イヤフォンで音楽を聴きながら歩き、誰かと一緒ということは無かった。だからだろうか、偶に授業で指されて答えると、教室の中がざわざわした。その現象が余計に音琴を沈黙させた。あー、もう。最初っから無視しておけばよかった。なんでプラネタリウムを観に来てまで色眼鏡で見られて恥ずかしい思いをしなければならないのか。そりゃあ喋るよ、喋りますよ。鳴かされたり殺されたりする不如帰とは違うんですよ。
「あ、不快にさせてたらごめんね。私、そういうの読み取るのニガテなんだ。」
狡い。そう言われたら、「ううん、大丈夫。気にしてないよ」 と返すしかないじゃないか。全く、厄介な女に絡まれたものだ。その女が再び口を開いた。
「ていうか、音琴ちゃんも嫌なことあったの?話聞くよ」
「いいよ。もう始まるし」
「大丈夫。私、聖徳太子ほどじゃないけど同時に話聴くの得意だから」
お前が大丈夫かどうかじゃねーよ。こっちはプラネタリウム観に来てんだよ。お話しに来たんじゃない。それに、“貴重な”私の話をクラスルームでネタにしたいだけだろう。死にたいのか。
「でも、このプログラム、銀河鉄道の夜をモデルにしてるから、登場人物何人か出てきてそれに加えてナレーションだよ。そこに私の話が入る余地は無いと思うんだけど」
「ふーん、そっか。じゃあ終わってからにしよう。その代わり、私の話にも付き合うんだぞー」
猫塚はそう言って、右手の人差し指を音琴の左上腕に押し当てた。取引になっているとでも思っているのだろうか。取引というのは、双方にメリットがあって初めて成り立つものだろう。猫塚にあってもこちらには無い。この時点で、音琴の人生の中で最も酷烈なプラネタリウムショーだった。
十一月十五日 十八時
ピアノの音と共に、投影機から星々が溢れ出した。音琴は、このプログラムを何度も観ていた。いや、このみらい科学館で上演される全てのプラネタリウムショーについて、何度も何度も観ていた。だから、彼女の心がそれを観て大きく動くことは最早なかった。しかしこの時、彼女は二度驚いた。
一度目は、始まってすぐだ。猫塚が、一言も発していなかった。授業中ですらお喋りな彼女がだ。時々、「へー」とか「ほー」とか感嘆するように息を漏らしてはいたが、それは寧ろ、ちゃんと聴いているのだと感心させられた。
ニ度目は、プログラムの終盤だ。鼻を啜る音が、隣から聞こえた。猫塚は泣いていた。そっか、ちゃんと創作物で泣ける人だったんだ。いや、耐性が無いだけかもしれない。見るからに宮沢賢治なんて読んでないだろうし。まあ、中には真顔で「何が面白かったの?」とか言う人もいるだろうし、それに比べればいいか。
十一月十五日 十八時四十分
「ねえ、プラネタリウムって面白いんだね、知らなかった」
ショーの終了後、ドームにはおよそ似つかわしくない、明るく大きな声で猫塚は言った。ああ、他に人がいなくて本当に良かった。こんなのと知り合いだと思われたくはない。
「うん、そう、だけど」
静かに、と言いたかったが言葉にはできず、右手の人差し指を唇に当てただけになった。それでも伝わった様で、猫塚は小声になった。
「あ、ごめん。でもさ、この気持ちを共有したかったの」
共有か。音琴は、いつも作品を味わった後、自分の中だけで噛み砕き、消化していた。好きな作品について語り合いたい、そういう気持ちが全く無かった訳ではない。寧ろその逆だ。どちらかと言えば音琴は、よく喋る子供だった。昨日観たアニメやドラマについて教室で話し合った。「何でそんなことまで知ってるの」とか「それは気付かなった」とか、褒められていると思って調子に乗っていた。しかし、実際は引かれていた。回りのみんなは、表層を撫でて面白ければそれで良かったのだ。だから、監督や脚本、音楽のことまで語りだす音琴の事を、教室の人間の殆どが敬遠していた。だから諦めた。理解されないのは理解できない馬鹿な奴らが悪いと。そして傲慢になった。深くまで作品を愛する自分は頭が良い、いや、良過ぎるのだと。
「どこが面白かった?」
意地悪な質問だ。音琴にだって、すぐに答えられる質問ではなかった。そもそも、プラネタリウムを面白いかどうかでは見ていなかったし。
猫塚は腕を組んだ。うーん。首を傾げた。ほら、訊かれたって答えられないんだ。
「イメージとしてね」
猫塚は音琴の目を見て言った。いつもなら目線を外して会話する音琴だったが、この時は釘付けになってしまった。
「プラネタリウムって教材っていうのが有ったの。星空見せといて」
上を指さし「これが何座、これは何座」と手と口を同時に動かしていた。
「みたいなね。でも、ちゃんとストーリーが有ったんだね。その驚きかな」
ちゃんとしているじゃないか。どうせ、スゴイ、ヤバイ、エモイしか語彙が無いと思っていた。
「うん、始まる前にも言ったけど、銀河鉄道の夜モチーフだからね」
実際、教室での猫塚はそうだ。
音琴は、よく人間観察をしていた。尤も、好き好んでしていたのではない。小説を読んでいる時に回りが騒々しいと、自然と注意がそちらへ傾いてしまうだけだった。それでも、うるさいなんて言えなかったから、仕方なく話を盗み聞きした。バレるのが嫌だから、読書するふりをしながら。
教室で人間観察をしようとすると、自ずと対象は猫塚になった。とにかく彼女の声は大きかった。それは他の会話を拾うのは困難な程。面白いのが、大声で話している割には全然中身がないということだ。自らの話はしない。テレビやネットで見聞きした内容をそのまま伝えているだけ。あとはその反応に対して無難に肯定する。そんな女が、今は自分の意見を述べている。
「ねえ。」
猫塚が言った。鼻声に聞こえた。
「何?」
「私ね、今日お別れをしてきたんだ」
仕方がない。付き合ってあげよう。普段と様子が違う。己が内に蠢くものを吐き出したいのだろう。
「ここはもうじき閉まるから、場所を移動しよう。話はそこで聞く」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます