4.思い出:カラオケ

ある日、フェネは言った。

「一日中一緒にカラオケで歌いたい!」と。

僕は返事かえした。

「次の日曜日なら空いてるから行こうか?」と。

フェネは嬉しそうにカレンダーにマルをつけた。僕はこの時予想だにしなかったのだ。

『一日中』が文字通り朝から晩までを指していたことを。



鳴る音が煩いが聞こえる。眠さが重たいがので、回らない頭が回らない。音が鳴るを捕まえるて煩いを止ませた。

今日のカラオケはカラオケに行く予定えあ。眠さが大きいなで、眠る二度寝にしようとした。何かが僕の頭の顔の頬をつついてれ?

「起きて〜カラオケ行かないの?」

「まじぇへってったてまだ3時えひゅ…」

「なんて?まだ3時って言っても6時にオープンだからそろそろ起きたほうが良くない?」

「ううぅうぅぅむううぅぅぐ…」

起きるでも苦労が沢山だ。顔を洗らわないきゃ…


たとえ春先だったとしても、水道の蛇口から出る水は冷たいものだ。顔を洗うとぱりっと眠気が吹き飛んだ。タオルに顔を埋める。

それにしても、フェネに起こされるとは不覚だった。いやしかし、よく考えてみればここ数日というものフェネに朝起こされてばかりだ。最近夜中に目が覚めなくなった代わりに、朝起きるのが辛くなった。ある日僕が二度寝を決め込んで大学に遅刻しそうになったのをフェネが防いでくれたという出来事以来、何故かますます起きれなくなった。

ちなみにフェネはプロのショートスリーパーなので、僕よりもだいぶ遅く寝てだいぶ早く起きる。そんなに遅寝早起きして何をしているのか聞いてみたところ、彼女曰く『いろいろ』だそうだ。

フェネが洗濯機を回してくれる間に、ハムエッグを作る。思えばこういった面でも知らず知らずのうちに彼女に頼るようになってしまった。

本人は「勝手に住まわせて貰ってるしこのくらい」と言ってはいるものの、何となくばつが悪かった。今やフェネは僕の生活の一部と化していた。


近所の中学校の桜がだいぶ開いてきているというのに肌寒いのはまだ太陽が昇っていないからだろうか。5時40分。この調子で行けばカラオケが開くのと同時に入店できそうだ。

「今日はありがとね。なんか突然付き合わせる感じになっちゃったけど。」

出し抜けにフェネが言う。

「ぜんぜんだいじょぶ。まさか、こ、くぉ、くぉんなに早いとは思わなかったけど。」

あくびを噛み殺しきれずに答える。

「いやぁごめんごめん。いつも一人だったからさ、これが普通だと思ってたわ。」

「いつも?」

「あぁうん、しょっちゅうカラオケ行くんだ私。」

「そんなに行ってたんだ。知らなかったなぁ。」

「もう行き過ぎてるぐらいには行ってるね。具体的には月三回ぐらい。」

「おぉう、本当に行き過ぎてるぐらいには行ってるね。歌うのが好きなんだ?」

「いやそうじゃないんだけど。なんだろう、カラオケって腹の底に溜まったイヤなモノが吐き出される感じがする。それが好きだから、私はカラオケに行くんだ。」

フェネは下腹部のあたりを指で示した。

「あぁ、多分だけど共感できる。なんか歌を歌うと心がすっと軽くなって、老廃物が吐き出された感じがする。」


カウンターでドリンクバー用のプラスチック製のコップをもらって、僕とフェネは個室に入った。大きなテレビと壁に沿って部屋をぐるりと囲む縫い目の端から綿がはみ出たソファ、高さの合ってないテーブルがある、ごく普通の部屋だ。端末を取ってフェネに渡す。「何歌う?」

「私の好きな曲入れていい?」

「勿論。」


前奏が始まる。フェネが口を開き、息を吸い込む。

聴いたことの無い、不思議な言語の曲だった。というよりも、それは言語というよりいくつもの感嘆詞が繋がった音なのかもしれない。しかしその音はすっと耳に入ってきて、僕の耳たぶを熱くした。何語なのかも、誰が創ったのかも、タイトルすら分からない。でも、この曲とそれを歌うフェネの何よりも美しい事だけが真実として胸に落ちた。伸びやかだが、どこか悲しさもある。新しさがあるが、どこか懐かしさもある。何となく旅の出逢いと別れを歌った曲ではないかと思った。


赤みがかった、砂利混じりの砂漠に緩やかに曲がりながら伸びる一本道。空は青く、雲は千切れてぷかぷか遠くに浮いている。前方には奇妙な形をしたメサが立ち上がり、そのさらに彼方には街の高層ビルが太陽の光を反射してきらきら輝いている。しかしあんまり遠いので、ここからではメサと摩天楼が同じ高さに見える。何で旅をしているのだろうか。自転車だろうか。バイクかも知れない。何にせよ、ここでは車や列車はナンセンスだ。刺さるような陽光や乾燥した空気を生身に感じずに、どうやって旅をしようと言うのだろう?

風が強いので襟を立て、姿勢を低くして街を目指す。あそこにはどんな出会いがあるのだろう。旅の出会いは別れとセットだ。なのに何故、出会おうとすることを止めれないのだろう。その理由は本能が語っていた。


その後、僕らは交代でいろんな曲を歌った。いろんな感情を声に乗せ送り出した。喜び、後悔、悲しみ、決意。それらが祝詞のりととなって狭い個室を満たした。歌はどんな感情も人生を照らすエネルギーに変換するのだと、確信せざるを得なかった。


この日が『ギネス僕の人生レコーズ』に、『人生で最も長時間カラオケにいた日』として登録されたことは言うまでもないだろう。また『人生で最も幸せだった日』でもある。その他にも『人生で最も喉が痛かった日』、『人生で最も多くののど飴を食べた日』などの記録も更新し、結果この日は『最も多くの記録が更新された日』としても登録されたのだった。

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