2.その日

目が覚めた。なぜ起きてしまったのかは分からない。時計の針は深夜2時を告げていた。そういえば一年ぐらい前は毎日こんな調子で夜中に目が覚めて、そして吐いていた。最近は滅多に夜中に目が覚めないし、吐くこともない。彼女と一緒に暮らし始めたからだろうか。

隣の布団ではフェネが小さな寝息をたてている。昼間は吸い込まれそうなほど大きなその瞳も、今はまぶたの下に隠れていた。


フェネが成り行きで僕の家に住み着いて一年が経とうとしている。彼女が来てからも、案外僕の生活はありふれたものだった。警察が僕を逮捕しに来ることもなかったし、スーツを着た謎の組織の人間が彼女を捕らえに来ることもなかった。

というよりも、フェネはまるである日突然この世に現れた幽霊みたいに過去を示すものがなかった。フェネは何者なのか。その問いは幾度となく頭に浮かんだが、それを彼女に聞いてもはぐらかされるだけだった。彼女が話したがらないのに無理矢理聞き出すのも道理が違う気がしたので結局、この問題は時間が解決するだろうと結論を出した。

今日まで彼女がそれを語ったことは一度もないが。

それに僕を除いた全ての周囲の人間がフェネに一切の違和感も疑問も感じていないかのように振る舞うのも気になっていた。彼らはフェネがどこにいようと、何をしてようと大きな人混みを構成している一人のように扱った。一度フェネは僕の幻覚なのではないかと考えさえした。フェネいわく、「周囲の人間は私のことをはっきりと認識できない」そうだ。それがどういうことなのかはよく分からなかったが。

こうした疑問がずっと解決せず、ずるずるとこの奇妙な関係が続いているのは僕がそのために積極的に動いてないのもあるのだろう。正直彼女の過去についてほとんど興味が湧かなかった。彼女が何者だろうが些細な問題だった。日々の生活にフェネがいて、のどかに暮らしが過ぎていく。それで充分じゃないか。

なんだか喉が乾いたので、水でも飲もうかと起き上がった。フェネを起こしてしまわないよう、月面を歩くみたいな足取りで台所に向かった。


グラスを洗って、シンクの横に伏せて置いた。時計の針は2時18分を指していた。布団の方を見る。フェネが胎児のように丸まっていた。足元ではタオルケットがとぐろを巻いてる。


フェネにタオルケットをかけ直してやる。目が冴えてしまって寝れそうに無かったが、残念ながら明日も講義がある。とりあえず布団に横になった。

フェネのかおがすぐ近くにある。いつもはピンで留めている黒い前髪が目を隠していた。口が小さく開いていて、息を吸う度に微かに唇が震えている。彼女の皮膚を産毛がうっすらと白く縁取る様は、まるで赤子のそれだった。一年の間、僕の目の前で笑って、拗ねて、照れてきたかお。表情の数だけ、思い出が脳裏に浮かぶ。月明かりに照らされた僕の心は過去に沈んでいく。

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