第25話 律儀
イザカヤのラストオーダーが過ぎた夜も遅い時間帯。
「今日も美味い飯をありがとな! またくるぜ大将!」
「はいよ。毎度あり」
「この店の酒は本当に美味いんだよなぁ……。一体どんな作り方をしてるんだか」
「酒はうちで作ってないからなー」
「本当に、美味かった……」
「しみじみとありがとうなー」
数時間ぶりに手が空いたレンは、店から帰る常連客一人一人と軽い挨拶を交わしながら見送り、落ち着いた店内を見渡していた。
ずっと満席状態が続き、賑やかだったイザカヤだが、閉店時間ももうすぐとあって、残る客は数人で落ち着いた雰囲気に風変わりしている。
こんな時間もまぁ悪くない。なんて一人感じていたその時。
「レン、お疲れ様」
「おう。まだ仕事は終わってないけどな」
話すタイミングを見計らっていたのか、テトが話しかけてくる。
「って、テトのことを助けてくれたお客さん……今日来てくれたか? 報告なかったけど」
「ううん、来てない」
「そっか」
「残念……。楽しみにしてるって言ってくれたから」
このようなことはよくあることだが、言葉通り残念がっているテト。その証拠に耳がペタンとなっている。
口には出していなかったが、楽しみにしていたのだろう。
「まあなんて言うか、優しい人なのは間違いないから、その言葉に嘘はなかったと思うぞ? 今はトラブルの元を見つけて戦ってる最中なんじゃないかな。ほら、変な名前の店を探してるらしいし」
「……でも、このお店のご飯食べてほしかった。この街で一番美味しいから」
「あはは、そりゃどうも」
よくよく考えれば、プライベートの時間も客引きをしているテトは優秀だろう。
そんな優秀な人材に、なにより従業員に『一番美味しい』と言ってもらえるのは本当に嬉しいこと。
テトの頭にポンポンと手を置き、軽くお礼を伝える。
「おいおい。客が少なくなったからって、まーた大将がイチャイチャしてんぜ?」
「羨ましいよなぁ……」
「一発殴っても今なら許されるんじゃねえか?」
「——コ、コホン」
酔っ払いから飛ばされるヤジにすぐ我に返るレンは、すぐに手を離して背を向ける。
『ぁ……』なんて残念がったような声がテトから漏れたが、聞かなかったことにする。
「さてと、皿洗いでもしてきますかね」
自分が原因とは言え、テトとのことをからかわれるのはなんとも恥ずかしいもの。
上手に誤魔化しながらキッチンに逃げようとした矢先。
出入り口の扉が勢いよく開かれる。
「……あっ、親切なお姉さん」
「ほ、本当にごめんね。今日お邪魔するって言っておきながら、一度も顔を出せなくて……」
すぐに近寄るテトに頭を下げるのは、赤みがかったピンクの髪を二つ結びにした美人な女性。
目に鋭さはあるものの、テトのことを助けてくれた優しい性格の持ち主である。
なによりこんな夜も遅い時間にわざわざ顔を出してくれて、律儀に謝りに来てくれたのだ。
テトには是非とも参考にしてほしい人物である。
「あの……言い訳なんだけど、某件で躍起になってて、気づけばこんな時間に」
「ううん。全然大丈夫」
「もうなんと言ったらいいのか……。許してくれてありがとう」
さっきまで残念がっていて、全然大丈夫じゃなかったことを見透かしているようなセリフ。
『傷つけてしまった』との自負があるのだろう。
「それでその……ラストオーダーの時間はもう終わっているみたいだから、また明日来るわね」
「——ち、ちょっと待ってください」
「えっ?」
少し状況は違うが、サンドラともこんなやり取りをしたことがある。
懐かしさを感じながら、この人を逃すわけにはいかないと心に決めたレンである。
「その様子だとご飯もまだ食べられていないと思うので、どうぞ中に」
「店主さんね? 優しいお言葉をありがとう。だけど平気よ。こればかりは許すべきじゃないと思うの」
器用なもので、一瞬だけ客に目配りをした女性。
『ラストオーダーが終わっているのに、こんな例外を許してしまったら大変なことになる』
暗にそう伝えてくれて、それはレンだって理解してくれていること。
しかし、こればかりはプライドが許さないこと。
「いえいえ、そんなことは気にしないでください。テトを助けてくれた恩がありますので、是非中へ」
「で、でも……」
甘えた方が都合はいいはずなのに、キョロキョロと視線を彷徨わせて店の迷惑にならないようにしている彼女。
そんな彼女の気掛かりを取り除くように、テトはすぐに動き始める。
一人の客に近づいていき——
「内緒にしてくれる?」
「アハハ、そのくらいならお安い御用よ」
了承を取る。
そして別の客に——
「内緒にしてくれる?」
「テトちゃんを助けてくれた人だろう? 当然よ!」
また一人、了承を取る。
さらには別の客にも——
「内緒にしてくれる?」
「そりゃもちろんよ。てか、こんなことで目くじらを立てるような客はいないさ。なあみんな」
その促しに、テトに声をかけられていない客は頷く。『そうだそうだ』なんて同意の声を上げる客もいる。
「な、なんだか不思議な店ね、ここは。変な名前の店でもあるし」
「あはは、よく言われますよ」
なかなか言葉にはしづらい表情での鋭いツッコミ。
少し素が見えた彼女を中に招き入れるレンと、そこから嬉しそうに席へ案内するテトだった。
* * * *
「あ、あれ……。気のせいじゃなければ、今入ってきたの紅の剣姫じゃ……」
「だ、だよな……」
「この前はさ、碧眼の魔女もいたよね?」
「あ、ああ……」
「この店……ヤバくない?」
「いや、普通にヤバい……」
今日もまた偶然居合わせた経験の浅い冒険者は、萎縮する現場に再び遭遇したのだった。
Aランク冒険者全員、テトが客引きした相手だとは今はまだ誰も知らないことである。
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