第20話 混沌

 サンドラ移住の知らせに、ラディンの街のざわつきが未だ残る中。


「本当にすごい手際ね。よくその速さで手を切らないものだわ」

「あはは、慣れるまでは何度も手を切ってましたけどね」

「わたしもイザカヤのお料理作れるようになりたい」

「親子丼だろ? お前が作りたいのは」

「うん。サンドラお姉さんに食べてもらうの」

「あらっ、それは嬉しいわね。楽しみにしているわ」

「ありがとう」

 レンの自宅では、テーブルを綺麗に拭くサンドラと料理に取り組む二人の姿があった。

 それはまるで家族のような団欒だが、家族というわけではない。


「あの、サンドラさん。住む街を変えたってことですけど、本当に大丈夫だったんですか? テトがワガママを言ったみたいなので、一応殴っておきましたけど」

「殴られてない」

「ふふっ、実はテトちゃんに言われる前から考えていたの。それに10年前後でいつも住む街を変えているから」

「ほう。そうなんですね」

 今思えばサンドラの過去を聞くことは初めてのことで、長寿な冒険者らしい姿だと感じる。

 やはり長生きすることが保障されているからこそ、たくさんの街を見て新鮮味に触れたいという思いがあるのだろうか。


「まあ、今回のことで一つだけ心配ごとを挙げるなら、この知らせを聞いて少し暴走しちゃいそうな子がいるのよね。私のことをよく想ってくれているみたいだったから」

「そ、それはちゃんと別れを告げた方がよかったんじゃ?」

「それもそうなのだけど、送別会のようなかしこまったような雰囲気は苦手なのよね」

「あー、なるほど。その気持ちはわかりますよ」

 送別会に参加するならまだしも、送別会の主役になると話は変わってくる。


「だから自分勝手を通す代わりに、また顔を出しにくるって連絡と小さな伝言をしておいたわ」

 と、筋を通したことをサンドラが口にした瞬間である。


「ダ、ダメ」

「えっ?」

 テトが小さく呟いた。


「サンドラお姉さんはずっとここにいて……」

「あっ、ふふふ。安心してテトちゃん。仮にこの街を離れたとしても、顔を出してすぐに戻ってくるから」

「本当?」

「ええ。夕食は絶対にイザカヤで食べたいから」

「なら許す……」

「許すってなんだよ。許すって」

 真面目なくせして、こんな抜けたところがあるのがテトである。


「ドラさん、最近コイツの甘え癖がすごいんで厳しくしちゃっていいですよ? なんでも言うこと聞いてくれるって勘違いしてるんですから」

 甘え癖の被害を受けているのは、サンドラに限ったことではない。

 レンだってその一人で——最近始めた筋トレで腕立て伏せをすれば、絶対に背中に乗ってくる。それだけでは飽き足らず、お腹の方に入り込んできて、抱きついてきたりする。

 スクワットをすれば、絶対に背中に抱きついてくる。

 甘えようとする結果、邪魔しかしてこないのだ。


「でもまあ、甘えたいお年頃だから仕方がないわよね? テトちゃん」

「むふ」

「おいテト、なんだお前のその顔は」

 サンドラを味方につけたからと、嬉しそうな(レンから見れば挑発的な)表情で視線を向けてくる。

 テトは知っているのだ。こちらがサンドラに勝てないことを。


「それに、甘え癖がすごいことは私も強く言えないのよね。『いつでもこのお家にお邪魔していいですよ』とか『夜も遅いので泊まっていってください』なんてお言葉に一番私が甘えているんだもの」

「それはお互い様ですよ。テトの相手をしてくれるだけで本当に助かってますから。一昨日だって長い時間面倒見てくれましたし」

 その言葉通り、サンドラはテトを連れて外出してくれたのだ。

 アクセサリーを見たり、服屋を見たり、いろいろしたらしい。


 さらにはテトに誘われ——商店にとって悪魔のような遊びもしたらしい。

 その内容こそ、食材をどれだけ安く入手できるのかと言うもの。


『美しい』と『可愛い』の容姿を持つ二人が協力すれば、当然とんでもないことになり……交渉術が得意なサンドラのおかげで、それはもう少しのお金で大量の食材を集めてきた。

 確かに安く仕入れる工夫は皆がやっていることで、こちらとしても嬉しいことで、サンドラも楽しめたらしいが……もう少しマシな遊びに誘うように、とテトにはちゃんと言った。


「ね、レンに一つ質問」

「ん?」

「サンドラお姉さんにあのこと聞いてくれた?」

「あ、ああ。高い宿に泊まるならもうこの家に〜って話だろ?」

「うん」

 サンドラは家を持たず、宿の一室を貸し切って住んでいるらしい。

 つまり、この家に泊まる日もお金を支払っている状態。言うならば、半同棲しながら宿代を払っているようなもの。

 それならいっそのこと……なんて話になったのだが——。


「まあ、ドラさんにもいろいろあるらしいから」

 濁されながら断られたことをやんわりと伝える。


「……いろいろある?」

「ああ、いろいろ」

 レンがそう答えれば、

「いろいろ?」

 今度はサンドラに悲しい目を向けるテトである。


「サンドラお姉さん……このお家は嫌?」

「いっ、嫌ではないのよ、全然。むしろそのお誘いは本当に嬉しくてありがたいの」

「じゃあ、どうして?」

「そ、それは……」

 ここでガツガツ行けるのがテトの強さ。そして、断られた理由はレンも気になっていた。

 水をささずに二人のやり取りを見守ることにする。


「それは、その……」

「うん」

「あ、あの……変な気持ちになってしまうから」

「変な気持ち?」

「え、ええ。変な気持ちよ」

「もう少し詳しく教えてほしい」

 テトの疑問はこちらも同じ。さらに踏み込んでくれるのはこちらとしても助かること。

「く、詳しく?」

「うん」

 珍しく言葉がだんだん詰まっているサンドラ。ふと後ろを振り向けば、なぜか顔が真っ赤になっていた。


「く、詳しく言うとその……ね?」

「うん。正直に言って大丈夫」

「あ、あのね。正直にお話すると、その……お二人の……特にテトちゃんの営みの声がこちらにまで聞こえたことがあって……。そ、それを何度も聞いてしまったら、私も自制が効かなくなると思ったの……」

「ッ!?」

「っ」

 途端、リビングに包丁が落ちる音が響き渡る。

 モジモジするサンドラだけではなく、テトの顔も紅葉するように色づいていく。


「わ、私もエルフ族では若い方だし……そ、そう言ったことに興味がないわけではないの……。だ、だからその……自制をするために宿を取っているの。さ、さすがに人様のベッドを汚すわけにはいかないでしょう……?」

「……」

「……」

 呆ける自分。目を大きくして口をパクパクさせているテト。恥ずかしそうに目伏せしているサンドラ。

 この家で初めてだった。こんなにも気まずい空気が流れるのは。

 この原因を作ったのは間違いなく『詳しく』と深堀りした狐娘である。


「おいテト。この責任は取れよ」

「えっ、ぅ……。で、でも、レンだって気になってた」

「俺はそんなことない」

 時には嘘をつくことも必要だ。が、それは地雷を踏ませるスイッチだった。


「うぅ……。なら……その、サンドラお姉さんも一緒にする? サンドラお姉さんなら大丈夫」

「ッッ!?」

「っ!?」

「あのね、レンの……大きい」

「ちょ、テトお前!!」

 全ての責任を押し付けられたからこそ、恥ずかしさで限界になったからこそ、テトの頭は真っ白になりパンクする。

 その結果が、さらなる混沌に包まれるというものだった。

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