第9話 忍び込みとオススメ

「……ん」

 時刻は深夜の二時頃。

 イザカヤの仕事を終え、一時間前に就寝したテトはパッと目を覚ましていた。

 疲れがあっても、睡眠が浅いのはテトの当たり前。

 母親に置いていかれ、借金取りに追われる恐怖に襲われ、神経を擦り減らしながら警戒する日々を過ごし、最終的には地べたに倒れてしまうほど困窮な生活を送っていたのだ。


 今、安心安全な生活を送っていても、当時の記憶は心に刻まれているもの。忘れられることはできず、無意識に警戒を働かせてしまうのだから。


「……」

 寝ぼけることもなくベッドから降り、この用意してもらった部屋を出るテトは、すぐ隣の部屋に向かう。

 ここがレンの寝室だ。

 音を立てずに扉を開け、侵入。扉を閉めて鍵をかける。


「……」

 その瞬間、テトは嬉しそうに目を細めるのだ。

 侵入できたことも大きな要因だが、一番は鍵を“開けてくれている”から。

 テトは何度も注意されている。レンから『忍び込むな』と。

 鍵を閉めれば忍び込まれることもないはずなのに、なにもしなければ忍び込まれるのはわかっているはずなのに、その対策をしないのだ。


「レンは優しい……」

 ボソリと呟くテトは、もう一度鍵が閉まっていることを確認して寝息が立っているベッドに近づく。

 そして、無意識に尻尾を揺らしながらゴソゴソと布団の中に入っていくのだ。

 テトにとって好都合なことは、一度眠った家主は全然起きないということ。

 だからレンの体の上に乗り、ぎゅっと抱きつくのも自由。

 胸元に頬擦りするのも、なぜか安心できる心臓の音を聞くのも自由。


「んぅ」

 レンの体と布団にサンドイッチされているテトは、満足げな声を漏らす。

 この時だけはすぐに睡魔が襲ってくる。いつもより深く睡眠を取ることができる。


 だが、最近はこれだけでは物足りなくなっていた。

 テトは無防備で無抵抗なレンの手を持ち、頭の上に持ってくる。

 その手にスリスリすると、三角の耳が触れられる感覚を覚える。

 心地よさがあるのか、触り心地がいいのか、この時に寝ているレンの手が動くのだ。


 本来なら誰にも触れられたくない敏感な部位。だが、心を許したものに触れられると、心がポワポワする箇所。

 詳しく言えば、起きている時のレンが絶対に触ってくれない箇所でもある。

 もっと詳しく言えば、人狐族にとって『触って』とおねだりするのが恥ずかしい箇所でもある。


「んっ、んぅ……」

 耳を擦りつければつけるだけ、反射的に触ってくれる。

 大事な人に触られると、変な気持ちになってくる。……下腹部が熱くなってくる。お風呂に入ったのにもかかわらず、下着が濡れてしまう。


 側にいることで安心したいのに、気持ちよく眠りたいのに——この時期はどうしてもこうなってしまう。

 一度歯止めが効かなくなったら、もう抑えられなくなってしまう。


「レン……」

 ゴソゴソと動くテトは布団から顔を出し、無抵抗なレンの口に押し付けるようにして呼吸を奪う。

 そして、耳を触らせていた手は自身の下腹部に。


「っ、んうぅ……」

 疲れているレンであるのは理解しているが、火が灯った欲には逆らえない。

 好きな人が起きてしまうことを承知で、したいことをしていく。


「レンが……悪いから……」

 鍵をかけていれば、こうなることはなかったのだ。

 盛ってしまうその頭で考えるは責任転嫁。


 レンが目を覚ましたのはそれから20分後。

 二人が寝静まったのは、朝日が昇る頃だった。



 * * * *



 さまざまな武器を持ち、さまざまな防具を着た者らが集うこの場所は冒険者ギルド。


「おいおい聞いたぜ? お前らのパーティ、昨日大怪我したんだって?」

「ハハハ……まあな。情けない話、モンスターに周りを囲まれちまって、そのままやられちまったよ」

「よくもまあそんな状態でクエストクリアできたもんだなぁ……」

 その中で雑談に花を咲かせている二人の冒険者がいた。


「ただ運が良かったんだ。A級冒険者が偶然通りかかってな。攻撃援護から回復魔法までかけてくれて、あれがなかったらポックリ逝ってたぜ」

「A級!? この街に3人しかいない冒険者にか!?」

「一応言っておくと、別の街からの冒険者だな。綺麗なエルフの嬢ちゃんだったからよ」

「ほえー。エルフがよく助けてくれたなぁ……。あの種族は他種族を嫌う傾向にあるだろ?」

「それはオレも聞いたんだが、全員が全員じゃないらしい。てかその嬢ちゃん、分け前を受け取らないどころか、負傷したオレらを気遣って、この街に戻るまでずっと前衛に回ってくれてな」

「高ランク冒険者がそんなに優しいのか……」

「オレもビックリしたぜ」


 冒険者はいつ命の危機に晒されてもおかしくない仕事。実力が足りなければ命を失ってしまう自業自得の世界。

 完全なる実力主義で苛烈な働き口だからこそ、足手まといが邪魔となり命を脅かす存在になる。

 結果、実力があればあるだけ高圧的な態度になってしまう。

 この男が言うように、高ランク冒険者で優しいというのは珍しいこと。


「って、おーい! 嬢ちゃん!」

 噂をすればなんとやらである。このタイミングで冒険者ギルドに入ってきたのは、細い杖を持ち、金の刺繍が入った緑のローブを羽織った一人の女性。

 エルフ族を示す尖った耳、金糸を編んだような綺麗な金髪。シャープな青の瞳。首にはA級を示す金のプレートがかけられている。

 そんな高ランク冒険者、サンドラは呼びかけられた方向に顔を向ける。


「昨日は助かったぜ。本当にありがとな」

「あら、昨日さくじつの。体はもう大丈夫なのかしら?」

「ああ。嬢ちゃんの魔法のおかげでな。あんなに協力してくれたってのに、分け前は本当に大丈夫だったのか?」

「ええ。お気持ちだけ受け取っておくわ」

 ニッコリと微笑むサンドラは、昨日の出来事を思い返させないように話を変える。


「あっ、その代わりと言ってはなんだけど、一つ質問をよいかしら」

「もちろんなんでも構わねえぜ」

「あたしこの街に来たのは初めてなのだけど、なにかオススメの食堂があれば教えてもらえないかしら。クエスト終わりに向かおうかと思ってて」

「食堂に詳しいのはコイツだが……おい、なにかねえか?」

 ずっと手持ち無沙汰だった冒険者に投げかける。


「そうだなぁ。エルフのお嬢ちゃんはお酒飲むかい?」

「……え、ええ。冒険者だもの」

 噛んでしまったのか、少し上擦った声を見せるサンドラ。


「それならイザカヤが断然オススメだな!」

「イザ……カヤ?」

「そう! イザカヤだ。人族が経営してて値段はちとするんだが、店内は綺麗だし、とにかく全部の料理が美味い。酒も進む。この街に来たら一度は寄ってほしいところだ」

「ふふ、そこまで言われたら気になっちゃうわね」

「美味さで言ったらあそこが一番だ」

 うんうん、と頷きながらゴリゴリ紹介していく。


「でも……そのようなこだわりのあるお店って、異種族は拒否みたいな傾向にあると思うのだけど、そんなこともないのかしら?」

「全然そんなことはない! むしろ客も種族を気にしない過ごしやすい場所さ。なんたって狐人族のお嬢ちゃんが働いてるくらいだしなぁ」

「あらっ、それはなんだか不思議な組み合わせね。それじゃあ少し地図を書いてもらえないかしら? お礼は銀貨でも大丈夫?」

「いやいや、コイツを救ってくれた恩人に金なんか取れねえよ。タダで書くから少し待っててな」

「ありがとう」

 そうして目印となる場所やその地図を渡し、サンドラと別れた二人の冒険者は——


「マジで綺麗だな。見てみろ、何人も見惚れてやがる」

「だろ? マジで綺麗なんだよ」

「マジで綺麗だよな」

「ああ」

 思考が停止したような会話を広げるのだった。



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