第7話 襲われる

 事件が起こったのは二日後のことだった。

 イザカヤの営業時間が終わり、二人で片付けしていたところ——勢いよく出入り口が開けられたのだ。

 そこに立っているのは、古びたコートを羽織り、髭を生やした大男。


「……あ、あの」

『もう営業時間は終わり』そう伝えようとしたのだろう。

 その男に近づくテトの腕を、レンは思い切り掴んで言った。


「テト、お前は裏に下がってろ」

「え?」

「いいから裏に下がれ。俺が『いい』って言うまで出てくるなよ」

「で、でも……」

「とにかく言うことを聞け」

「う、うん……」

 只事でないのは、指示するその表情で伝わったのだろう。

 コク、と頷いて裏に走っていく。

 その後ろ姿が消えたことを確認したレンは、その男と向かい合うのだ。


「水しか出せないが、それでもいいか?」

「招くつもりはさらさらないってか」

 渋い声を出すその男は、頭を掻きながらカウンター席に座ってくる。


「水が出るだけでも感謝してくれ。営業時間はもう終わってるんだから」

「ハハ、そりゃそうだな」

「てか、あんた客でもないだろ? テトを狙ってきたんじゃないのか」

「ほう、正解。若いくせに察しがいいことで」

「隠す気がないんだからわかる」

 営業時間外に堂々と訪れたこと。一度も見たことがない相手だったこと。そして、そのいかにもの風貌と、テトを見た時の目。

 ただの客でないのは、予想するまでもなかった。

 レンはグラスに水を注ぎ、男の前に出しながら言う。


「テトのこと嗅ぎ回りやがって。趣味悪いぞ? あんた」

「これがオレの仕事っちゅうやつなんでなあ」

 この手の相手と接するのは初めてのこと。余裕のある態度がなおのこと恐ろしく感じる。


「まあ……ひとまず、あんたに礼を言うよ。ここの営業時間中に来ることもできただろうに、それをしないでくれて」

 もし営業時間中に現れて、騒ぎ立てようものなら店の看板に傷がつく。悪い噂も広がっていたはずだ。

 わざわざ人のいないこの時間を狙ってきてくれたのは、素直にありがたいことだった。


「誰だって穏便にコトを運びたいもんさ。それにもし話が決裂するようなら、力ずくでいかせてもらうだけだしな」

「あんた一人だけで?」

「裏にも控えてるに決まってんだろう? 助けを呼ばれても迷惑だしな」

「さいですか……」

 逃げ場はすでに塞がれているということ。

 さすがはその手の者達だ。隙も抜かりもない。


「まあ、話し合いができる相手が寄越されただけでも感謝するべきだぜ? オレから見れば、あんたは獲物を奪った敵でしかねえんだから」

「その立ち回りを取ることで、すぐに金を回収できる可能性があるからだろ? どうせ」

「ハハハ、否定はしねえよ。あの娘を後ろに下げた時点でお前さんの方針はわかったからな」

「……」

 裏に下げて『守る』その行動は『渡さない』との意思表示。

 これが伝わっていても自由にさせたということは、『自由にさせても問題はない』と確信を得ているからだろう。

 それだけ力づくの行動に自信があると言える。


「気が変わったなら今のうちだぜ? 今ならあの娘をこっちに渡すだけで穏便に済む」

「なわけあるか。あんたなんかに渡したら、テトは娼館に行きなんだから」

「貸した金は返す。これは当たり前の話だろう? 幸い、あの娘は顔がいい。二年もありゃトントンにはなるだろうさ」

「……テトが作った借金じゃないだろうに」

「借金の担保になってるのがあの娘だからな。過程なんか関係ない」

「はいはい……」

 こうして皺寄せがくると本当に実感する。

 ロクでもない母親だと。

 どうして実の娘を借金の担保にできるのか、全くもって理解できない。同情すらできない。



「……で、あんたにいくら払えばテトの安全は保証されるんだ?」

「借金をチャラにするとなると、金貨が55枚だな」

「…………は、はあ!?」

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 かなりの借金があることは予想していたが、それを超える額。

 この世界では金貨一枚で100万円の価値。つまり5500万の金が必要なのだ」


「き、金貨55枚ってお前……そりゃボッタクリだろ。絶対」

「これが正式な書類だ」

「だからボッタクリだって……。利子の割合も延滞金の割合も明らかに度が過ぎてる」

「それはこんな場所に金を借りにきた母親に言うんだな」

「……はあ」

 耳が痛い正論だ。

 実際、今回の件で違法性はなにもない。

 現実世界で言えば闇金のようなものだが、この都市にその法律がないのだ。


『金を借りるなら、それ相応のリスクがつく』

『金を返せないのが悪い』

 それがこの世界の常識であるばかりに。


「それで、お前はどうするんだ? この額が払えねえなら、あの娘を引き渡してもらうことになるが」

「……払うって言ってるだろ。最初からその選択しか俺は持ってない」

「ほう? あの娘にその価値があるとは思えねえが、それでも払うってのか?」

「その価値があるから払うんだよ。テトはいいところをたくさん持ってる」

 なんて威勢のいいことを言うものの、レンは背中に冷や汗を流していた。


「……だけど、いきなり金貨55枚は払えない。お金の用意をさせてくれ」

「それを聞いてノソノソ帰るほどオレ達が甘くねえが」

「わかってる。だから今日のところは金貨50枚で帰ってくれ。……小切手に書くから」

「ほう。ヤケに準備がいいな。それなら手を打ってやろう」

「嗅ぎ回ってるって話を聞いた時から用意してたんだ」

「今のでお前の全財産が透けたわけだけどな」

「……」

 小切手に全額書けないということは、そう言うこと。

 だが、『手を打つ』という発言を先に聞いていたことで焦りは減っていた。


「で、残りの金貨5枚はどう用意してくれるんだ?」

「3日までに作る。それまで時間をくれ。今日で9割以上を払うんだから、このくらい大目に見てほしい」

「仮に3日を過ぎても用意できなかったら?」

「その時はあんたのとこでなり金を借りて払う。しっかり期限日までに払えばいいだけだしな」

「じゃあその誓約書もここで書いてもらおうか」

「……はあ。抜かりない仕事ぶりで」

 難しい話はここで終わりである。

 レンは小切手を出し、男の方からは誓約書が出される。

 この二つにペンでサインしていき、ナイフで親指を切って血判する。


「それにしても、若いくせしてよくこんな金を持ってたな。この店はそんなに売上が立ってんのか?」

「俺の全貯金を持っていくやつに話したくない」

「ハハッ、全財産叩いて守ろうとする意味はわからんがな。あの娘に惚れてんのか?」

「惚れてねえよ。……ただ、案外悪くないっていうか、楽しいからな。アイツとの生活は」

「それだけか?」

「まあ」

「ハハハ、とんでもねえお人好しだな」

 皮肉か本音か、それを吐き出した男は水を飲み干して立ち上がった。


「ごちそうさん。そんじゃ、3日後のこの時間に残りの金を取りにくる。約束はしっかり守れよ。残り金貨5枚なんだからよ」

「わかってる……」

 その言葉を最後に小切手を手にした男は去っていく。

 ——ひとまずは一安心と言えるだろう。


「テト、もういいぞ。どうせそこにいるんだろ?」

「……」

 後ろを振り返って呼び掛ければ、目を伏せたままおずおずと出てくる。

 三角の耳もペタンと落ち、尻尾も元気がない。

 話を全て聞いていたのだろう。5000万円を取られてしまったことも理解しているのだろう。



「テト、そろそろ帰るぞ」

「……ん」

 5000万円払ってやったのに、この姿はいかがなものか。

 レンはテトの頭を撫でながら、そう呼びかけていた。



 * * * *



「これで30万、これで50万、これは20万にはなるか……? いや、あの宝石店の親父とは顔見知りだから、頭下げてでも色つけてもらって……。あとはレシピ本も売れば……」

「……レン」

「おおっ!? なんだテト、お前起きてたのか」

「ん」

 時刻は0時過ぎ。

 暗い部屋で宝石やレシピ本を床に並べていたところ、寝室にいるはずだったテトの声が背後から飛んでいた。


「なに……してるの?」

「なにってまあ、宝石鑑賞だよ」

「……嘘」

「うるせ。わかってるなら聞くな」

 胡坐あぐらを組んだまま答えれば、テトはいい椅子を見つけたように、その上に座ってくる。

 当たり前の顔をしてもたれ掛かってくる。

 暖かくなったが、毛がこそばゆい。


「こんな宝石、どうやって集めたの……?」

「買ったり、もらったり」

「もらったのも……売るの?」

「今は少しでも金を集めないとだからな。これでお前の安全を買えるなら安いもんだろ?」

「……たくさんのお金、ごめんなさい……」

「なーに謝ってんだよ。気にすんな気にすんな」

 今どんな表情をしているのか、体勢のせいで見えない。

 もしかしたらこれを考えて、あぐらの上に座ってきたのかもしれない。


「だけどな、テト。今から俺はお前に酷いことを言う」

「な、なに?」

「まず一つ目。今回の借金は死んでも返してもらう」

「わかった」

 大金であることをわかってるくせに、ヤケに素直だった。


「二つ目。もうしばらくはこの家に住んでもらう。家賃代がもったいない」

「わかった」

 これもヤケに素直だった。


「三つ目。テト、こっちを向け」

「う、うん」

 小柄な体を使ってあぐらの中で起用に回転するテトは、こっちを向く。

 その至近距離で顔が合ったところで——。

「——あのなぁ……、借金額が5500万とかふざけんなお前! 俺の貯金が全部なくなっただろ! 額がデカすぎてまたあの怖い男に会わないとじゃねえか!」

「うぅ……」

 コイツの頬を思い切り引っ張る。上下に左右に斜めに。

 痛いはずだが、なぜか耳と尻尾がピンと立っている。


「なにか言うことは?」

「ご、ごべんなざい」

「バカ。そうじゃない。これからのお前は安全に過ごせるようになるんだ。楽しく、遠慮なく暮らせ。そうじゃなきゃ金を払う意味がない。いいな?」

『コクコク』

「本当にわかってんのか? このアホ面で」

「それはレンが、ほっぺた引っ張るから……」

「ならいい」

 アホ面はもう見えた。頬を引っ張っていた手を離し、あぐらの上に座っているコイツを退かし、床に置いた貴重品の整理を始める。


「ね、レン」

「なんだ?」

「今日はすごくカッコよかった。わたしを守ってくれた」

「……そりゃあ守る守らない以前に、あんな大金を一気に払ったんだから、カッコよくないわけがないだろ」

 今日だけで全財産を使ったのだ。カッコいいに決まってる。


「じゃあ、わたしと一緒に寝よ」

「……なんでそんな話になるんだか」

「楽しく遠慮なく暮らせって、レンが言った」

「それは500万を払い終わった後の話な」

「じゃあ……レンが逃げないか心配」

「さっきから『じゃあ』の使い方、おかしいからな。てか、俺の家なんだから逃げるわけないだろ」

「それでも、逃げないか心配」

「……はあ。わかったわかった」

 足に尻尾を巻きつけてくる。目的のためにここまで意固地になったコイツに勝つ手段はない。

 そして、コイツは口に出していないが、今回のことが怖かったはずだ。

 もしお金を準備できていなければ、間違いなく強行手段を取られていたわけで、実際にこちらだって怖かった。

 テトの気持ちを考えたら、隣で寝るくらいしてあげた方が安心してくれそうだった。


「……あ、そもそもどこで一緒に寝るんだ? ベッドはお前に部屋にしかないぞ? 入っていいのか?」

「ううん、ソファーの上で寝る」

「いや、ソファーってどう考えても横幅が足りんだろ」

「レンの上にわたし。縦」

「無理だろ」

 コイツを腹の上に乗せながら寝られるわけがない。


「やっぱりお前のベッド使うぞ」

「だ、だめ……」

「は?」

 手を握られて阻止される。


「あのベッド、今ぐちょぐちょ……。朝、綺麗にするから……」

「いや、シワがあるなら直せばいいだろ」

「……ぐ、ぐちゃぐちゃじゃなくて、ぐちょぐちょ……」

「え? 濡れてるってことか?」

「ん……」

「いや、そう簡単にベッドが濡れるわけないだろ。そもそも濡れるわけないだろ」

「……」

「は?」

 テトを見れば、思考が止まる。

 股を押さえてモジモジしているその姿に、一つだけ心当たりがあったのだ。


「お、おい待て。お前、まさか……」

「だ、だって、レンカッコよかった……から……」

「な……」

 声を出せば出すだけに、恥ずかしくなっているように小声になるテト。

 もう確定と言っていいだろうか。


「……い、いや、それ聞いたらもう別々に寝るぞ。まず掃除しろお前は」

「な、なんで」

「なんでじゃないだろ。襲われる」


 この日を境に、レンは二つのことを知った。

 テトが一年に一回の発情期を迎えていることに。

 そして、寝起きでは特に力で敵わないことを。


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