第6話 風の噂

 テトを拾って二週間が過ぎた頃。


「テトちゃーん。エール一杯お願い」

「わかった」

「テトちゃん、こっちは唐揚げ頼む!」

「わかった」

「俺は焼き魚とテトちゃんで!」

「わたしはダメ」

 コク、と首を縦に振ったり、横に振ったりでイザカヤの接客をこなすテトは、すぐに厨房に向かってくる。


「レン。エールと唐揚げと焼き魚とわたし」

「お前は油で揚げればいいのか?」

「……」

「ほらよ、先にエールな」

「ありがとう」

 さっきの回答はなにが正解だったのだろうか。無視されたということは間違った返答をしたのだろう。

 実際、『わたし』と言った意味は本当に不明だが、バカなことを言える余裕が出ているのは素直にいいことだ。


「ハハハ、お嬢ちゃんはもうすっかりイザカヤのアイドルだなぁ、大将」

「まあ……そうみたいだな。アイツのおかげで前よりも活気づいたのは間違いないし」

 キッチンに立って注文の入った料理を作り続けるレンは、接客や配膳を行っているテトを見ながら、仕立て屋の店長とカウンター越しに話していた。


「あんなに頑張ってるなら、しっかりボーナスも渡さねえとだな?」

「いや、ボーナスは絶対いらんだろ……。ほら見ろ、エールを注文した肉屋の店主からまーたお小遣いもらいやがった。ちなみにアイツ、あんな感じで最低一万は稼いでるからな」

「最低一万!? それ普通に働くよりもらってるじゃねえか」

「そうなんだよ」

 ここの客、みんながそうなのだ。


『テトちゃん頑張ってるね! これでなにかいいものでも食べてね!』

『テトちゃん頑張ってるね! これでなにか欲しいものでも買ってね!』

 そんなセリフの後、お小遣いを渡し、テトがありがたく受け取る。

 その結果、一日働くだけで一万円以上の臨時収入を獲得しているのだ。


「あんまり甘やかさないで欲しいんだがなぁ。ただでさえアイツは図太いんだから」

「遠慮ばっかするより可愛げがあっていいじゃねえか。それに、ああして手伝ってくれてお金も稼いできてくれるんだから、それ以上は贅沢ってもんだぜ?」

「まあ……」

 それを言われたら反論できなかった。

 最初は邪魔してばっかりのテトだったが、最近は居てくれないと困るほどの成長が見られるのだ。


「そういや、お嬢ちゃんのお金の管理は大将がしてんのか?」

「いや、お小遣いから給料まで全部テトに管理させてるよ。最終的には自立させないとだしな」

「自立? おいおい、お嬢ちゃんとずっと一緒に住むつもりはないのか?」

「ないない。さすがに」

 手を横に振って完全否定する。


「あれ、大将とテトちゃんは付き合ってなかったか……?」

「はあ? 一体どこからそんな話が出てきたんだよ……。変わらず家主と居候いそうろうの関係だって」

「そ、そうなのか。オレはてっきり体の関係を持ってんのかと」

「ンなこと言ってるとテトに怒られるぞ?」

「ハハハ、それは勘弁だな」


 ありもしない噂が流れるのは、アイツにとっても嫌なことだろう。

 確かに一緒に住んでいるだけでなく、最近は二人で買い物にも出ているから、そんな誤解を受けても仕方がないが、本当に健全な生活を送っている。

 その証拠がお風呂も別々。寝る場所も別々というもの。


 つい最近、朝起きた時にテトに手を握られていたことがあったが、『起こそうとして』のことだった。

 本当にその程度の普通の関係だ。


「まあ案外、お嬢ちゃんは満更でもなさそうだけどな? 危機としたところを大将に救われて優しくされてるわけだしよ」

「俺がお断りだ」

「ガハハッ、もうちょっとなんかいい照れ隠しはねえのかよ」

「うるせ」

「ってことで、そんなお嬢ちゃんがセクハラされないようにちゃんと見とけよ? 人狐族にとっちゃ、尻尾は大事な人にしか触られたくないらしいからな」

「へいへい」

 テトが嫌がることをされてないか、周りを見ることはもちろん、こう簡単に流すのはあくまで『噂話』の一つだから。そしてレンは信じていないからである。


 今までのテトは尻尾を足に触れさせてきたり、巻きつけてきたりしているのだ。

『大事な人にしか触れられたくない』というのに個人差はあるのだろうが、その様子からしてテトに当てはまるとは言えないだろう。


 一人決断を出しながら焼き魚の盛り付けを完成させたその時。

「……あ、大将。ちょっと話は変わるんだが」

「ん?」

 仕立て屋の店主は、突然と小さな声で耳打ちをしてくる。


「これは風の噂で聞いたんだが、最近、お嬢ちゃんのことを嗅ぎ回ってる男がいるらしいぜ」

「はあ……。そうか。それはいい話じゃないな」

「ただの興味本位ならまだいいと思うんだが——」

「——十中八九、借金関係コッチだろうな」

「気をつけろよ、大将。さすがに手荒な真似を使ってくるとは思えねえが」

「ああ。わかってる」

 不穏な話。ふとテトを見れば、人の気も知らずに接客をこなしていた。



 * * * *



 月が悠々と浮かび、夜も更けた時間。

 今日も無事にイザカヤの仕事を終えた二人は、裏口から外に出ていた。


「……お、お前なぁ。まだ手を繋がないと外歩けないのか?」

「うん」

 外に一歩踏み出した瞬間、躊躇いもなく手を握ってくるテトである。

 それも、ここ最近はグレードアップして腕を組みながらである。


「お仕事頑張ったから、許して」

「別にダメとは言ってないだろ?」

「じゃあうるさい口は閉じる」

「まったく。客が甘やかすからどんどん傲慢になりやがる……」

 小柄のくせして本当に力が強い。絶対にこのホールドは解けないと確信できるほど。そして、当然歩きにくい。

 種族差というのか、力で勝てないせいで本当に好き放題されてしまう。


「あのさ、テト」

「なに?」

「こんなことしてるせいで誤解されてたぞ。俺とテトが付き合ってるって。お前それでいいのか?」

「いい。わたし、レンのこと好き」

「……そ、そうか」

「ん」

 ——友達として、もしくは第二の親としてだろう。

 さすがにここで誤解するほど自惚れてはいない。


「レンもわたしのこと好き?」

「全然」

「……じゃあわたしも嫌い」

「お前は本当に可愛くないなあ」

「大嫌いになった」

「へいへい」

 本当に可愛くない口撃である。

 ただ、言葉に反して、ギュッと手に力を入れてきた行動は可愛くないとは言えなかった。


「……」

 まあ、そんなコイツに早く普通の生活をさせたいものだ。


 レンは思い出していた。

『これは風の噂で聞いたんだが、最近、お嬢ちゃんのことを嗅ぎ回ってる男がいるらしいぜ』

 仕立て屋の店主から聞いたその言葉を。


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